偉人の年収「ミステリー作家 江戸川乱歩」2024-10-17

2024年10月17日 當山日出夫

偉人の年収 How much? ミステリー作家 江戸川乱歩

乱歩については、NHKで少し前に、「英雄たちの選択」で取りあげていたかと思う。番組が変われば切り口もかわる。

ちょうど私の年代(昭和三〇年生)だと、テレビの「少年探偵団」の時代になる。「勇気リンリンくりのいろ……」のメロディを憶えている人は多いはずである。

中学生ぐらいになって、春陽堂文庫だったと思うが、乱歩の作品が収録されているので読んだのを憶えている。その後、折に触れていくつかの作品を読んできている。乱歩から始まって、ドイル、ルブラン、このあたりの主な作品は、中学生ぐらいに読んだだろうか。高校生になると、エラリー・クイーンなどに夢中になった。

この番組では、推理小説、探偵小説、ミステリー、これらの用語を同じように使っていたが、おそらく文学史的には、きちんと使い分ける必要があるだろうと思う。乱歩が、「新成年」などを舞台にして発表していたのは、探偵小説、というべきかと思う。これは、狭義の推理小説利かなり幅の広いジャンルである。猟奇的な作品もあるし、冒険小説というべきものもある。「陰獣」などは、どうジャンル分けすべき作品なのだろうか。(ちなみに、乱歩より後のものになるが、横溝正史の『八つ墓村』や『犬神家の一族』なども、冒険活劇という部分もかなり含んでいる。)

乱歩賞受賞者の名前が映っていたが、その中に、仁木悦子の名前があった。今ではもう読まれない作家になってしまったかと思うのだが、現代のいわゆる本格ミステリの系譜につらなる重要な作家である。(それから、障害者と文学という観点からも、仁木悦子の存在は語られるべきかと思う。)

今、子ども向けのミステリというと、はやみねかおる、の名前が思いうかぶ。我が家には、そのほとんどが揃っている。当然ながらというべきであるが、「青い鳥文庫」のバージョンである。子ども向けの読み物だからこそ、きちんとしたものを作る、こういう姿勢がなによりも感じられる・

また、戦前の都市部を中心とした勤労読者層というべき人びとは、いったい何を読んでいたのか、日本人の読書の歴史、という観点からも、乱歩の業績、それから、「新成年」や「キング」という雑誌の価値は、もっと考えられないといけないと思っている。その他にも、講談本のこともあるし、また、貸本屋という存在もある。出版史のうえでの円本ということもある。

2024年10月14日記

「ロフティング“ドリトル先生航海記” (2)「道のり」を楽しむ」2024-10-17

2024年10月17日 當山日出夫

100分de名著 ロフティング“ドリトル先生航海記” (2)「道のり」を楽しむ

文学作品を読む、芸術にふれるというのは、その時間を楽しむことであって、それを短縮してしまうのは、とてももったいないことだと思うのだが、しかし、今の時代だと、タイパ重視ということに流れがちである。

この回の冒頭で、ファスト映画と言っていたが、今の時代ではストーリーを知るということが重視されて、その時間を味わうということが意味のないものとされてしまっている。

ドリトル先生が、途中の寄港先で、船に乗っていた密航者(?)を下ろして、お金を全部渡してしまう。このとき、植木等に言及して、そのうちなんとかなるだろう、と言っていたが、ちょっと古すぎやしないか。まあ、私は、植木等は憶えている世代だから理解できるが、若い人には意味が分からないかもしれない。(まあ、若い人は、この番組は見ないかもしれないけど。)

作者のロフティングの紹介があった。第一次世界大戦のときに、軍事につかわれる馬のことにこころを痛めたという。動物に対する愛護の精神が、このあたりにあったということなのだろう。この時代、馬は、軍事目的ではなくても、日常的に使われていた労働力であった。日本でも、馬や牛は農耕に必須であった。これが、急速に減少するのは、昭和も戦後になって、高度経済成長の時代を迎えてからのことになる。

この作品には、オールマイティな登場人物は出てこない。みんながお互いに補いあう、助け合う。これを、福岡伸一は、相補的と言っていたが、生物学ではどのような概念として使うのだろうか。言語研究の分野だと、相補分布という用語は使うのだが。

今、アメリカなどでは、ドリトル先生はあまり読まれないという。PC(政治的タテマエ)からの評価ということになる。

だが、その作品全体をとおして見るならば、その時代の価値観のなかで何を語っているのかということが重要になる。部分的な切り取りで、PC(政治的タテマエ)に反する部分だけを取り出して批判するのは、いいことではないと、私も思う。

このようなことは、最近の事例では、村上春樹についても言われることである。あるいは、『源氏物語』も現代の性的な規範意識からすれば、不適切な表現ばかりかもしれない。しかし、全体を通じて読んで、芸術として読む、人間とはどういうものなのか感じるところがある、こういう作品の受容の仕方があってよい。伊集院光の言っていた、0.5倍速で読む、というような読み方があってよい。

2024年10月16日記

「ゲンジボタル大調査!点滅間隔の謎に迫れ!」2024-10-17

2024年10月17日 當山日出夫

サイエンスZERO ゲンジボタル大調査!点滅間隔の謎に迫れ!

これは面白かった。

ゲンジボタルの2秒タイプと4秒タイプのことは、以前に「フロンティア」で言っていたことなので智識としては知っていたが、全国規模で調査してみて、さらにいろんなことが分かり、考えることにつながる。

そもそも、なぜ、蛍の発光間隔に違いがあるのか、点滅すること、また、それが同時明滅することに、どのような意味があるのか、このあたりのことから興味深い。

仮説としては、遺伝子によるものとも考えられるし、環境によるものとも考えられる。いったいどうなのだろう。現時点では、まだ有効な仮説とまではいたっていないようである。

この全国規模での調査が、来年以降も続くと、さらにいろんなことが分かってくるのだろう。

我が家の近くでも、蛍は見られるのだが、さて発光間隔はどうだったか、もう夜になって外に出かけることもない生活なのであるが、気になってきた。

2024年10月15日記