「怪物オグリキャップ 伝説のラストラン」2024-12-21

2024年12月21日 當山日出夫

あの日偶然そこにいて 怪物オグリキャップ 伝説のラストラン

競馬にはまったく関心のない人生をすごしてきた。オグリキャップという名前も、かろうじて憶えているぐらいである。

番組の手法としては、昔のテレビ映像を手がかりに、今のその人を探し出すということなのだが、わずかな手がかりを見つけて、なんとか探し出そうとこころみる、そのプロセスそれ自体が、見せどころということになる。(このような探索型の作品の傑作としては、森鷗外の『澁江抽斎』があると、私は思っている。)

地方競馬の笠松競馬の、昔の様子がなんとものんびりしていて、こういう時代が、少し昔の日本にはあったんだと思う。現在のその競馬場の雰囲気は、ある意味での趣があると言っていいだろうか。そんなにたくさんのお客さんがいるわけではないみたいだったが、どういう人がここに来ているのだろうか。私としては、こっちの方が気になったところである。

レースを最前列で観戦していた女性の身元は、結局わからずに終わった。気になったのは、手にしていたカメラ。CONTAXだった。その当時としては、高級な機種になる。これを手にしているだけで、かなり裕福な生活をしていたらしいと推測することもできるだろうか。

時代背景としては、バブル景気のまっただなかということでいいだろうか。「24時間、戦えますか」は、憶えている。この時代を象徴するCMである。

思い出したのが、「ドキュメント72時間」で昔放送した、日本ダービーに並ぶ人の三日間。いい場所で観戦するために、数日まえから並ぶ。たぶん、オグリキャップの出た、有馬記念のレースでも、一二月の冬の寒いなか、何日もならんだのかもしれない。はたして、どうだったのだろうか。

日本の競馬において、トップクラスの馬になると、莫大なお金が動き、また、それにかかわる人たちがいることになる。厩務員もその一つの仕事であるが、具体的にどのような仕事をするのか、よく分からないところがある。だが、オグリキャップの担当になって仕事をするというのは、その世界では誇りに感じられる仕事だったのだろう。

ひょっとして、この番組を見た人から、あの場面に映っていたのは私です、というような連絡があるのかもしれない。たぶん、番組を作る方としても、そのようなことを期待しているかと思う。

どうでもいいことなのだが、競馬の歴史は、おそらく日本の近代の産業、農業、運送、さらには騎兵や軍馬の歴史と深くかかわることになるにちがいない。たぶん、調べれば専門の研究があるはずである(もう、調べてみようという気にならないのだが)。有馬記念の名称が、まさにその歴史を背負っている。

2024年12月20日気記

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