『坂の上の雲』「(15)日露開戦(前編)」 ― 2024-12-27
2024年12月27日 當山日出夫
『坂の上の雲』 (15)日露開戦(前編)
このドラマの作られた時代というものを感じる。日露戦争の原因を、ロシアの南下政策……朝鮮半島まで全部を支配したい……に対する、日本の防衛戦争という位置づけを明確に示している。これは、朝鮮や清(中国)から見れば、ロシアのみならず、日本の、帝国主義、植民地主義以外のなにものでもない。
とはいえ、この時代、帝国主義の覇権を争っている時代、勝つか、負けるか(植民地になるか)しか、選択肢がなかったこともたしかだろう。(それ以外の国家の選択肢があったということも、考えられなくもないかもしれないけれども。帝国主義にならず、独立を保つということは、きわめて困難であっただろう。そんな日本のおもわくとは関係なく、ロシアの帝国主義南下政策はあっただろうから。)
『魔風恋風』(小杉天外)は、文学史のなかで名前は知っているが、はっきりいって読んでみようという気にはならないでいる。だが、明治の文学史、風俗史、生活史、というような観点からは、重要な作品の一つだろう。
季子と結婚した秋山真之のもとを、正岡律がおとずれる。兄、正岡子規の形見分けだという。下駄を真之にわたすのだが、それを履いて外出することのかなわなかった子規の思いが伝わってくる。
男子厨房に入るべからず、と言っていたが、このドラマの作られた時代では、ドラマのなかで、こういう言い方が許された時代といっていいかもしれない。今だと、たとえドラマのなかとはいえ、このような家父長制的封建的な文言は、そう簡単には使えないかもしれないと思うが、どうだろうか。
乃木希典の夫人、静子が、おちついた雰囲気でとてもいい。歴史の結果としては、後に明治天皇の崩御のとき、乃木希典は殉死するが、そのとき、一緒に静子夫人も夫にしたがっている。(このドラマでは、ここまで描いてはいないことになるが、これは、知られたことである。)
気になるのは、何のためにロシア艦隊と戦うことになるのか、ということの意味づけが明らかではないことである。結果として、日本海海戦で、日本の連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させることになるのだが、なぜ、ロシアははるばるとバルチック艦隊を派遣することになったのか、その理由をどう描くかという問題がある。日露戦争は、主に朝鮮半島から満州にかけての利権をめぐる戦いであって、ロシアとの海上の覇権をめぐる戦いではなかった、と私は思っているのだが、戦史としては、どう考えることになるだろうか。
秋山真之は、東郷平八郎のもとで参謀をつとめることになる。ここで、東郷は、よき指揮官とは、と真之に問うていた。しかし、真之は参謀である。参謀には指揮権はない(はずである、私の知識としては)。
山本権兵衛は、東郷平八郎を全人格的に信頼して連合艦隊をまかせる、ということになっていたが、はたして、指揮官の資質とはいったい何であろうか。
好古が、騎士道と武士道と言っていた。ナレーションでは、この時代が、騎士道や武士道の感覚が残っていた最後の時代、ということを言っていたのだが、しかし、昭和になっても日本の軍隊は、武士道を語っていた。これは、明治の時代と昭和の戦前の時代を対照的に見る司馬遼太郎の歴史観の反映ということになるだろう。
2024年12月26日記
『坂の上の雲』 (15)日露開戦(前編)
このドラマの作られた時代というものを感じる。日露戦争の原因を、ロシアの南下政策……朝鮮半島まで全部を支配したい……に対する、日本の防衛戦争という位置づけを明確に示している。これは、朝鮮や清(中国)から見れば、ロシアのみならず、日本の、帝国主義、植民地主義以外のなにものでもない。
とはいえ、この時代、帝国主義の覇権を争っている時代、勝つか、負けるか(植民地になるか)しか、選択肢がなかったこともたしかだろう。(それ以外の国家の選択肢があったということも、考えられなくもないかもしれないけれども。帝国主義にならず、独立を保つということは、きわめて困難であっただろう。そんな日本のおもわくとは関係なく、ロシアの帝国主義南下政策はあっただろうから。)
『魔風恋風』(小杉天外)は、文学史のなかで名前は知っているが、はっきりいって読んでみようという気にはならないでいる。だが、明治の文学史、風俗史、生活史、というような観点からは、重要な作品の一つだろう。
季子と結婚した秋山真之のもとを、正岡律がおとずれる。兄、正岡子規の形見分けだという。下駄を真之にわたすのだが、それを履いて外出することのかなわなかった子規の思いが伝わってくる。
男子厨房に入るべからず、と言っていたが、このドラマの作られた時代では、ドラマのなかで、こういう言い方が許された時代といっていいかもしれない。今だと、たとえドラマのなかとはいえ、このような家父長制的封建的な文言は、そう簡単には使えないかもしれないと思うが、どうだろうか。
乃木希典の夫人、静子が、おちついた雰囲気でとてもいい。歴史の結果としては、後に明治天皇の崩御のとき、乃木希典は殉死するが、そのとき、一緒に静子夫人も夫にしたがっている。(このドラマでは、ここまで描いてはいないことになるが、これは、知られたことである。)
気になるのは、何のためにロシア艦隊と戦うことになるのか、ということの意味づけが明らかではないことである。結果として、日本海海戦で、日本の連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させることになるのだが、なぜ、ロシアははるばるとバルチック艦隊を派遣することになったのか、その理由をどう描くかという問題がある。日露戦争は、主に朝鮮半島から満州にかけての利権をめぐる戦いであって、ロシアとの海上の覇権をめぐる戦いではなかった、と私は思っているのだが、戦史としては、どう考えることになるだろうか。
秋山真之は、東郷平八郎のもとで参謀をつとめることになる。ここで、東郷は、よき指揮官とは、と真之に問うていた。しかし、真之は参謀である。参謀には指揮権はない(はずである、私の知識としては)。
山本権兵衛は、東郷平八郎を全人格的に信頼して連合艦隊をまかせる、ということになっていたが、はたして、指揮官の資質とはいったい何であろうか。
好古が、騎士道と武士道と言っていた。ナレーションでは、この時代が、騎士道や武士道の感覚が残っていた最後の時代、ということを言っていたのだが、しかし、昭和になっても日本の軍隊は、武士道を語っていた。これは、明治の時代と昭和の戦前の時代を対照的に見る司馬遼太郎の歴史観の反映ということになるだろう。
2024年12月26日記
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