『カーネーション』「誇り」 ― 2024-10-20
2024年10月20日 當山日出夫
『カーネーション』「誇り」
糸子は、ようやく洋裁を習うことができた。
不況でパッチ店で働くことが難しくなったが、ミシンの先生に出会う。かなり強引に、おしかけてミシンの使い方(これは、パッチ店で習得済みであるが)から、洋裁を教えてもらうことになる。木之本の電気店に、ミシンの実演販売にやってきて、それをきっかけに心斎橋のミシン教室に行くあたりの流れは、自然に作ってあったと感じる。(このドラマは、見るのはこれで三回目ぐらいになるはずだが、基本的に流れが自然である。)
根岸先生は、糸子に洋裁を教えるとき、まず、洋服を来て心斎橋を歩くことになる。人間は、着るものによって変わる。自身を持って堂々と歩きなさいという。これは、これからの糸子の人生の芯になる考え方である。
まあ、たしかに着るものによって人間の意識の持ち方は変わるものである。私も昔は学校で教えるときは、かならず上着を着るか、あるいは、スーツでネクタイを締めていたのだが、このごろは、ネクタイ無しになっている。これも、時代の流れということもあるのだが、着るものに留意することが面倒になったということもある。今では、年中、家では、ほとんど同じ恰好をしている。冬になって寒くなれば、上になにかはおるぐらいである。着替えるのは、病院に行くときぐらいになってしまっている。
小原呉服店でもラジオを買った。昭和の初めのころのラジオは、かなり高級品だったはずだが、それを買うことができたというのは、経営が苦しくなっているとはいえ、まだそれだけの余裕があったということなのだろう。
週の最後で、デパートの火災のことが出てきていた。おそらく、東京での白木屋の火災であり、これをきっかけに、女性の洋装が進んだということは、言われていることである。実際にどうだったかといういことは、かなり面倒な考証が必要ではあるが。少なくとも、デパートの女性従業員の洋装にはつながることになったはずである。(この白木屋は、その後、東急百貨店の日本橋店。今ではもうない。)
洋裁を始める糸子なのだが、自分自身は相変わらず着物姿である。その方が楽であるというのは、当時の女性の実感であったのだろう。
ところで、小原呉服店は、どういう種類の商売をしているのだろうか。古着もあつかっているようだし、店にあるものを見ると、男女を問わず着物関係の細々としたものを広くあつかっているようである。店のなかの文字を見ると、モスリンとあった。この時代の呉服店は、必ずしも絹物だけを扱うということではなかったのかと思うが、考証の結果として、こうなっているのだろうと思う。
この後の展開のことを思ってみるならば、このドラマは、小原のイエと家族の物語であると同時に、その建物としての家の物語でもある。糸子の仕事が変わるごとに、建物としての家も姿を変えていく。岸和田の町並みの景観と、小原の家が、これからどう変化していくことになるのか、これからの見どころである。
木之本の電気店でミシンの実演販売をしていたし、小原呉服店でアッパッパを売っていた。このころ、商店街の店では、どの店でどんなものを売っていたのだろうか。これは、考証して考えるとかなり難問かもしれない。
2024年10月19日記
『カーネーション』「誇り」
糸子は、ようやく洋裁を習うことができた。
不況でパッチ店で働くことが難しくなったが、ミシンの先生に出会う。かなり強引に、おしかけてミシンの使い方(これは、パッチ店で習得済みであるが)から、洋裁を教えてもらうことになる。木之本の電気店に、ミシンの実演販売にやってきて、それをきっかけに心斎橋のミシン教室に行くあたりの流れは、自然に作ってあったと感じる。(このドラマは、見るのはこれで三回目ぐらいになるはずだが、基本的に流れが自然である。)
根岸先生は、糸子に洋裁を教えるとき、まず、洋服を来て心斎橋を歩くことになる。人間は、着るものによって変わる。自身を持って堂々と歩きなさいという。これは、これからの糸子の人生の芯になる考え方である。
まあ、たしかに着るものによって人間の意識の持ち方は変わるものである。私も昔は学校で教えるときは、かならず上着を着るか、あるいは、スーツでネクタイを締めていたのだが、このごろは、ネクタイ無しになっている。これも、時代の流れということもあるのだが、着るものに留意することが面倒になったということもある。今では、年中、家では、ほとんど同じ恰好をしている。冬になって寒くなれば、上になにかはおるぐらいである。着替えるのは、病院に行くときぐらいになってしまっている。
小原呉服店でもラジオを買った。昭和の初めのころのラジオは、かなり高級品だったはずだが、それを買うことができたというのは、経営が苦しくなっているとはいえ、まだそれだけの余裕があったということなのだろう。
週の最後で、デパートの火災のことが出てきていた。おそらく、東京での白木屋の火災であり、これをきっかけに、女性の洋装が進んだということは、言われていることである。実際にどうだったかといういことは、かなり面倒な考証が必要ではあるが。少なくとも、デパートの女性従業員の洋装にはつながることになったはずである。(この白木屋は、その後、東急百貨店の日本橋店。今ではもうない。)
洋裁を始める糸子なのだが、自分自身は相変わらず着物姿である。その方が楽であるというのは、当時の女性の実感であったのだろう。
ところで、小原呉服店は、どういう種類の商売をしているのだろうか。古着もあつかっているようだし、店にあるものを見ると、男女を問わず着物関係の細々としたものを広くあつかっているようである。店のなかの文字を見ると、モスリンとあった。この時代の呉服店は、必ずしも絹物だけを扱うということではなかったのかと思うが、考証の結果として、こうなっているのだろうと思う。
この後の展開のことを思ってみるならば、このドラマは、小原のイエと家族の物語であると同時に、その建物としての家の物語でもある。糸子の仕事が変わるごとに、建物としての家も姿を変えていく。岸和田の町並みの景観と、小原の家が、これからどう変化していくことになるのか、これからの見どころである。
木之本の電気店でミシンの実演販売をしていたし、小原呉服店でアッパッパを売っていた。このころ、商店街の店では、どの店でどんなものを売っていたのだろうか。これは、考証して考えるとかなり難問かもしれない。
2024年10月19日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/10/20/9725350/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。