「安克昌“心の傷を癒すということ” (2)さまざまな「心の傷」を見つめる」2025-01-17

2025年1月17日 當山日出夫

100分de名著 安克昌“心の傷を癒すということ” (2)さまざまな「心の傷」を見つめる

録画を見たのだが、たまたまであるが、この放送のとき、宮﨑で地震があって、津波注意報の画面がずっと表示されていた。

この回で語っていたことは、三つ。

一つには、PTSDということの定義について。どのような症状があるのか、という精神医学の立場からの解説。

二つには、喪失感ということ。大切な人をなくした喪失感を人はどう感じるかということ。

三つには、安克昌が感じた、リアル病という感覚。自分の体験したこととは隔絶した、安穏な生活について感じる様々な複雑な気持ち。

おそらく、災害……自然災害のみならず戦争などをふくめて考えてもいいと思うが……これらのことは、多くの人びとが経験することになるはずである。それらを、今の社会では、心の傷、心のケア、ということでひとくくりに考えてしまいがちである。だが、ここは、精神医学の観点から、冷静に考えるという視点も重要である。なにか事件があったら、すぐに、心のケア、ということばをニュースなどで目にするようになっているが、それが不必要とは思わないが、定義や使い方については、慎重であった方がいいかと思う次第である。

2025年1月15日記

Asia Insight「地震からの再建 〜台湾 花蓮県〜」2025-01-17

2025年1月17日 當山日出夫

Asia Insight 地震からの再建 〜台湾 花蓮県〜

台湾で地震があった直後は、日本のテレビでもニュースで報道していたが、今ではまったく報道しなくなった。(印象的だったのは、地震直後の台湾での避難所の光景であったことは、記憶にあるのだが。)

花蓮県にタロコ族が、二万人ほど住んでいるという。台湾全体のなかでは、いわゆる少数民族、先住民族ということになるのだろう。おそらく、この人びとについても、その歴史があるはずである。少なくとも、日本の植民地時代のこと、それから、中国から蒋介石がやってきてから後のこと。だが、そういうことには、まったく触れることがなかった。これは、この番組の方針として、これでいいと思う。(えてして、日本のメディアが、こういう人たちのことを取材すると、日本の植民地時代のことを告発するようなことから始まらなければならないようなところがあるのだけれど。)

地震の直後のニュースで、タロコ渓谷の観光客の避難のことが大きな話題になっていたことは記憶している。だが、この地域が、タロコ族の人びとの生活の場であり、おおきく観光収入に頼っている、ということは、私が見たかぎりの日本のニュースでは語られていなかったと憶えている。

地震からの復興の話題と見ることもできるが、私にとって興味深かったのは、タロコ族の人びとの暮らしである。番組のなかで、この人びとの話しているのは、中国語だったと理解するのだが、その言語は、今、どれぐらいの規模で母語話者として残っているのだろうか。民族の文化が生きのこるためには、言語と宗教を基本として、日常の生活習慣や規範意識が重要である。観光客相手に、民族音楽と踊りを見せる、民芸品を作る、これ以外に、どのような生計の手段があり、生活をしているのだろうか。

観光業が復活するためには、道路の復旧と、生活インフラ(電気や水道など)が不可欠であるはずだが、まだ、困難がありそうである。台湾全体の経済のなかで、この地域の観光業はこれからどうなるのだろうか、と思う。

2025年1月15日記

『坂の上の雲』「(18)広瀬、死す(後編)」2025-01-17

2025年1月17日 當山日出夫

『坂の上の雲』 (18)広瀬、死す(後編)

戦争が、英雄を生み出すものであるということは、いたしかたないことだとは思う。広瀬中佐は、日露戦争において、日本における戦争の英雄の一人であった。やはり、ここは「あった」としておくべきである。かつて、広瀬中佐の銅像が神田須田町にあったことは、もはや歴史の知識として知っていればいいことである。そして、そのような歴史があったことは、忘れるべきではない。

ところで、旅順港閉塞作戦であるが、疑問として思うことは、この時代、船はどのようにして自分の位置を把握していたのだろうか。現在のようにGPSはないし、レーダーさえもない。月があったとしても、その明かりで、地形を正確に見て取れたとは思えない。月明かりがなかったら、どうしようもならないだろうと思うが。船の位置を確定できないで、ねらった位置に船を自沈させることは不可能だと思わざるをえない。さて、この時代において、この旅順港閉塞作戦は、どれほど軍事的に合理的な作戦だったのだろうか。

旅順艦隊の動きを封じるだけであれば、機雷とか駆逐艦による雷撃でなんとかなりそうかなとも、思ってみるのだけれど、軍事史の専門家にとってどう評価されることになるのだろうか。

ドラマの中で使われていた曲は、「蛍の光」(OLD LANG SYNE)と「軍艦マーチ」だった。ともに、この時代にあった曲なので、使われていても不思議ではないのだけれども、旅順港閉塞作戦の艦隊を見送るときに、本当に演奏されたのだろうか、という気はする。

広瀬武夫は、死ぬためにこのドラマの中で描かれてきたことになる。繰り返しになるが、原作の司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、広瀬武夫のことは出てこない。広瀬武夫を、特にロシアとのかかわりで描くことによって、当時のロシアの人びと……それは、海軍士官であり、上流階級の人びとということにはなるが……を、ドラマの中に登場させることになる。ロシアの人びとが、日露戦争をどう見ていたかという視点を、設定することができる。無論、旅順港閉塞作戦は、日露戦争を語るときの山場の一つになる。このような意図があってのドラマであるとは思うのだが、今の時代の価値観で見ると、広瀬武夫をあまりにも英雄的に描きすぎているように感じられる。

私ぐらいの年代だと、「とどろくつつおと とびくるだんがん」という歌詞は知っているのだが、もうこの歌は、忘れられてしまっていい歌だと思う。広瀬武夫という歴史上の一人の軍人の事跡は、語り継ぐべきかもしれないが。

2025年1月16日記