NHKスペシャル「臨界世界 -ON THE EDGE- 生か死か 難民たちの“ゲーム”」2025-02-20

2025年2月20日 當山日出夫

NHKスペシャル 臨界世界 -ON THE EDGE- 生か死か 難民たちの“ゲーム”

この種のテーマについての番組では常に思うのだが、登場する人たち……難民、避難民、非合法の移民……は、とても悲惨で可哀想と思うが、これは例外的にそうなのか(例外的だから除外していいとは思わないのだが)、それとも、普通にこんなふうなのか、このあたりのことが、あまりはっきりと語られないことで、なんとなく納得のいかない気持ちが残る。

ドイツが、移民や難民に対して冷淡になってきている、ということはたしかだろう。それを、寛容になれ、と片づけてしまうのはどうだろうか。寛容さだけで問題が解決するような言い方しかできないから、いわゆるリベラルの側が信用されないのである。ここは、ドイツに住んでいる移民や難民の人たちが、現地の人びととどのような生活を送っているのか、その日常の生活感覚を丁寧に描くことが必要である。(これはこの番組のメインのテーマではないことは分かっているつもりだが。)

文化、言語、宗教、生活の慣習などが異なる人びとを受け入れた場合、同化政策をとるか、隔離政策をとるか、というのが基本的な選択肢になる。まあ、どちらの方向をむいても、リベラルの側からは、マイノリティを迫害しているとしか、評されないことにはなる。寛容であればすべてがうまくいく、ということはない、これは、これまでの人類の歴史がしめすところだろと思っている。たまたまうまくいったとされる場合は、どのような社会的な条件があったから、うまくいったように見えるのか、ここのところを具体的に示すことが必要だろう。そして、それが、今の国際社会で実現できないとするならば、それは何故なのか、説明が必要になる。それをせずに、寛容さに欠ける……言いかえれば理想を理解しないバカだから……と言えば、解決するようなことではない。(これもこの番組の趣旨からははずれることではあるが。)

EUを目指して国境を越えていくことになるのだが、ここのところは、どうにもEUを理想社会のように描きすぎているように思えてならない。自国中心主義……その地域の歴史や文化を尊重し、経済的、軍事的にも自立する……これは、現代の世界の大きな流れであるとしか言いようがない。これが、たまたま、冷戦終結後において、微妙なバランスのなかで、表面的に問題化してこなかっただけ、というべきかとも思う。

難民、移民の移動をビジネスにする人たちがいて、それを、「ゲーム」と言う。なんとなく違和感を感じるところがないではないが、これが、世界の現実なのだと思うことになる。

アフガニスタン、イラン、エチオピア、などの国からEUを目指すという事例が出てきていた。その費用は高額である。数十万から数百万といったところのようだ。しかも、その行程は命がけである。かつては、海を渡るルートが多かったらしいが、(これは国際的にかなり批判されたこともあったからなのだろう)今では、陸上ルート、あるいは、ロシアなどを経由するルートが使われる。こういうことの背景には、それぞれの国の、いろんなおもわくがからんでのことにちがいない。

EU、なかでも、ドイツに、大量の移民を送り込んで困らせる……その意図が本当かどうかはともかく、現実に、ドイツの社会のなかで移民が問題になっていることはたしかである。

興味深かったのは、闇の送金ルート。中東などの国々と、EUとの間で、お金のやりとりができる。このようなシステムが動いているのがいいことなのか、悪いことなのか、一概に判断はできないかもしれない。このとき、現金(紙幣)を持って行っている。世の中、キャッシュレスとは言っているが、一方で、このような場面では、やはり、現金がものをいうことになるのだろう。

最後に、ドイツにやってきた移民の男性が、生活に困って、自ら運び屋を始める……いかにもNHKらしいオチのつけかたかなという気がする。たしかに運び屋のゲームは、儲かるだろうが、そう簡単に誰でもが参入できることなのだろうか。各国の表と裏の社会に、濃密なコネを持っていないとできないはずであるが。どの国のどの国境警備が甘いか、賄賂で通ることができるか、知悉していないとできない。それが簡単にできるなら、運び屋にたよらず、自分でなんとかする、ということにならなかったのだろうか。

また、生活に困窮している移民、難民は、少なくないはずだが、もっとてっとりばやく金になる仕事なら、非合法的なものをふくめれば、そう難しいことではないかもしれない。まあ、このあたりのことは、見る人が想像してみてくださいということなのかなと思う。

ただ、国境の管理というのは、近代の国民国家において、基本の原則であり、難民認定というのは、緊急的人道的な一時的な対応策である、ということは基本において考えるべきだろうと思う。

2025年2月18日記

ねほりんぱほりん「元力士」2025-02-20

2025年2月20日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 元力士

相撲は、テレビで見るだけである。そんなに熱心に見るということもない。まあ、自分がものごころついて、テレビが家にあったころは、すでに相撲の中継はあった。私にとって、相撲はテレビで見るもの、というイメージが強い。

相撲の世界の前近代性ということは、すでにいろんなところで言われていることだと思うのだが、たしかに、今の時代の若者の感覚にはそぐわない部分があるかなと思う。しかし、その一方で、相撲取りとして、体力をつける、体を作る、という観点からは、かなり合理的な生活スタイルが、生み出されてきたとも言えるかもしれない。

これからは、相撲の世界も変わっていかないと、新しく入ってくる人は少なくなる一方だろうと思う。外国から入門者をつれてくるのにも、限界があるだろう。

いろいろと面白いエピソードがあった。日本の、前近代的な徒弟制度というものは、こんなものだったのかとも思う。商家の丁稚奉公なども、非常に非人道的な部分があったにちがいない。

関取の付け人というのは、非常に大変な仕事のようだ。だが、そこから学ぶものもあることにはなるが。

少なくとも、相撲の世界に入って、それを辞めた後、どうなるのか、ということの保証を、日本相撲協会は本格的に考える必要があるだろう。まったく知らないのだが、力士と所属している相撲部屋、日本相撲協会、これらの間の雇用契約は、いったいどうなっているのだろうか。正規雇用として、失業保険とかあるのだろうか。また、力士の健康保険は、いったいどういうことになっているのだろうか。

たぶん、同じような問題は、芸能界とか、スポーツ関係でも、いろいろとあるにちがいない。ただ、それが表だって社会的に問題にならないだけのことだろう。

相撲の世界を辞めて、就職するとき、履歴書に、「元力士、醜名~~、最高位幕下~~」と書いて、こういう人物なら雇おうと思う企業はあるだろうか。あるかもしれないなあ、とは思うが。

2025年2月15日記

よみがえる新日本紀行「南伊豆」2025-02-20

2025年2月20日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 南伊豆

最初の新日本紀行の放送が、昭和44年(1969)2月17日。よみがえる新日本紀行としての最初の放送は、2022年6月17日。

南伊豆というと、熱川のバナナワニ園。これは今でもある。日本で初めてワニの人工孵化に成功したということだったが、繁殖に成功したということではなかったようである。これは、今ではどうなっているのだろうか。

川端康成の『伊豆の踊子』は、私は何度も読んでいる。映画化、ドラマ化も、見ている。この時代(昭和44年)のころというと、ちょうど山口百恵主演の映画のころかと思う。これは映画館で見た。(どうでもいいことだが、近年、『伊豆の踊子』の映画やドラマが作られていない。世間の興味がなくなったのか、あるいは、製作のコストを考えてのことなのか。)

マーガレットの栽培風景が映っていたが、露地栽培だった。今なら花の栽培は、ハウス栽培になっているかと思うのだが、どうだろうか。ちなみに、Copilot で、伊豆でのマーガレットの栽培について聞いてみたら、今でも行われているとのことだった。

南伊豆の漁村にやってくる、都会の若者たち、という描き方であった。この時代(昭和44年)、地方から都市部への人口移動が顕著にになり、地方の過疎化が、そろそろ問題とされるようになったころである。田中角栄の日本列島改造論は、この時代を背景にしないと理解できないことになる。

興味深かったのは、海上保安庁の仕事。小笠原が返還になって管轄する区域が増えた、とあったが、小笠原が返還されたのは、昭和43年のことである。海の位置の特定には、紙の地図に、三角定規とデバイダであったが、これは今ではどうなっているだろうか。デジタル地図上に、GPSやレーダーの情報をプロットするということになっているかな、とは思うのだが。映っていたなかに、モールス信号があった。この時代、まだ現役の通信手段だったことになる。キーボードを打つ場面があったが、これは、テレタイプでいいだろうか。これらは、今では、姿を消してしまったものであるかと思っている。

漁村での民宿の営業ということが、この時代からおこなわれていたことになる。都会からの若者がやってくる。なかで、女性が、バスの車掌をしていた……とあったが、この時代、バスには車掌さんが乗っていて、それは女性の仕事であった。このような時代があったことを思い出す。

老人が多いことを、長寿の村、と言っていたのは、時代を感じさせる。今なら、高齢化地域ということになる。そして、それに過疎ということが加わる。

現代のパートでは、都会から移住してきた人が映っていたが、これは、成功例ということになるのだろう。さて、南伊豆のこの地域の将来性というのは、はたしてどうなのだろうか。

2025年2月16日記