『坂の上の雲』「(23)敵艦見ゆ(前編)」2025-02-21

2025年2月21日 當山日出夫

『坂の上の雲』 (23)敵艦見ゆ(前編)

テレビドラマとして作るとなると、どうしても迫力のある映像が必要になるので、奉天会戦のシーンは、日本軍とロシア軍の白兵戦……軍刀、あるいは、銃剣による突撃……ということがあったが、実際はどうだったのだろう。日露戦争を通じて、日本軍は砲弾の不足ということになやまされつづけたというのが、よく言われていることだが、これも実際のところは、どのような状態だったのだろうか。

砲弾や武器の不足は、肉弾戦で突破する……というような考え方が、テレビの画面を見ていると感じられる。こういうことは、後の太平洋戦争で、繰り返されることになる。

このドラマの比較的始めの方で、秋山好古は、騎兵が機関銃(日本のその当時のいいかただと機関砲)を持つことになったとあったと憶えているのだが、実際にはどれほどの数があって、どれほどの攻撃力があったのだろうか。

実際の戦争では、砲兵、歩兵、騎兵が、どのように運用されていたのか。それから画面には、工兵が出てきていない。塹壕を作るとなると、また、砲台を作るとなると、工兵の仕事のはずだが、やはりここはその仕事の様子を描いておくべきではないだろうか。また、敵情視察は具体的にどうだったのだろうか。日本軍は、インテリジェンスの点で、どれぐらいロシア軍に対して有利、あるいは、不利だったのだろうか。それから、日本海をわたって満州の戦線までの兵站のことが、まったく出てきていない。

戦争は戦場で兵士が戦うだけのものではない、ということは常識的なことだと思うのだが、どうしても戦争をドラマで描くとなると、兵站の部分とか、工兵の作業とか、省かれることになるようだ。こういうあたりのことをふくめて考えると、後の太平洋戦争の無謀さを、司馬遼太郎が語っていたことは、ただ財政面だけのことではないと思わざるをえない。日本陸軍の戦車が使い物ならないということは、強く言っていたことであるが。

この回の終わりの方で、児玉源太郎が、秋山好古に、敵の背後に回って鉄道を破壊せよ、と命令していたのだが、こういう作戦は、もっと早くに立案して実行しておくことのように思える。極東までのロシア軍の兵站を崩すということは、常識的にはまず考えつくことだと思える。また、ロシア側も、それに対して備えていただろう。こういうあたりのことは、軍事史の専門家から見れば、どうなのだろうかと思うところである。それにしても、ロシア軍は、どのようにして、極東までの軍事物資の補給、兵員の輸送ということを、行っていたのだろうか。

たしかに戦争のドラマとしては、迫力のある映像であり、登場人物のそれぞれは魅力的に描かれているのだが、ロジスティックスや、インテリジェンスをふくめた、戦争の大局的な見方ができていないように感じることになる。

2025年2月20日記

3か月でマスターする江戸時代「(7)「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?」2025-02-21

2025年2月21日 當山日出夫

3か月でマスターする江戸時代 (7)「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?

いろんなことが語られていた回であったが、まあ、そんなところなのだろうなあ、という感想である。

新井白石の事跡については、蘭学との関わりで重要である。これは、江戸時代を通じて、その後に与えた影響ということで考えなければならない。

吉宗が蘭学書の輸入を認めたということは、知られていることだと思うのだが、番組のなかで言っていなかった重要なポイントは、漢訳されたということである。つまり、一度、中国に入ってそこで学ばれ漢文になった本が、日本にもたらされたということになる。では、中国では、どのように西洋の科学・技術にかんする学問を受容していたのだろうか……ここのところが、最も重要な点である。科学・技術と東西交易の歴史を、日本のことだけに限らず、もうちょっと広い視点から見なければ分からないことである。

吉宗が将軍の意志として、リーダーシップを発揮したということであった。それは、以前の、綱吉の時代から始まり、将軍の意向で全体が動くという組織を作ったから、ということなのだが、これも、そうかなとは思う。だが、その一方で、江戸時代の政治のシステムは、トップの意向だけではそう簡単にことを決めることができず、役職の輪番制、合議制、ということもあったかと思っている。ここは、江戸時代を通じて、政策の意思決定のシステムが、時代によってどう変遷してきたのか、という観点から整理して語るべきところになる。

『解体新書』が出てきていたが、人物としては、杉田玄白の名が高い。『蘭学事始』のことが広く知られている。小説になるが、前野良沢のことを書いた『冬の鷹』(吉村昭)は面白い。

江戸時代の上層の農民や町人などの、知的レベルをどう考えるかというのは、江戸時代のことを研究するとき、重要なことになる。旧来の歴史観だと、支配層である武士と、虐げられた百姓、という図式で考えていたことになるが、これでは、江戸時代の知的な活動を考えることができない。

この意味では、四国の百姓の作った目黒山形は意味のあることである。(これは、すこし前、「英雄たちの選択」であつかっていたはずだが。)それから、本居宣長の国学のことがすこし出てきていたが、ここは、本居宣長がどういう人であったか、その国学の周辺の人たちがどんな人たちであったか、それをささえた江戸時代の出版や情報通信のこと、これらを総合的に考えなければならない。ちょっと時代は下るが、島崎藤村の『夜明け前』を読むと、信州の宿場町で国学が学ばれ、それが、明治の時代になってどう継承されるのか、というあたりのことが描かれている。

江戸時代に、いわゆる科学・技術の、日本での発展はあったことは確かなことである。そのなかでは、天文学や測量学は、重要かもしれない。しかし、厳密な意味での、「サイエンス」の方法論が日本で生まれたかどうか、という観点からはいろいろと考えるべきところがあるだろう。

2025年2月20日記

時をかけるテレビ「わたしが子どもだったころ 詩人 谷川俊太郎」2025-02-21

2025年2月21日 當山日出夫

時をかけるテレビ わたしが子どもだったころ 詩人 谷川俊太郎

この番組の演出は、是枝裕和。

かなり実験的なこころみの映像として作っているという印象をうける。音楽はいいなあ、と思って見ていたのだが、最後まで分からなかったのが、透明なアクリル板(だと思う)に絵を描いていたのは、いったい何だったんだろうと、思うところがある。しかし、これが、無かったとしたら、つまらない番組になったかもしれない。

私が興味をもったのは次の二点。

第一には、戦中の国民学校の思い出として、その当時の子どもはどんなふうに生活していたのか、その実感を感じとれるものだったということ。アメリカのB29の爆撃機が飛んできても、その飛行機の姿を美しいと感じる、素直にそう思っていたことになる。爆撃というと、すぐに、戦争の恐怖と結びつけなければならないと思っている、今の我々の感覚の方が、むしろ変なのかもしれない。

その他、父親の谷川徹三の思い出とか、北軽井沢の避暑地に行くと、オープンカーのタクシーがあったとか、銀座にでかけたとか、興味深いが、このような話しは、おそらくは東京に住む中流以上の階層の体験談ということになるだろう。

第二には、詩について。詩は内面の表現、ということだけではない。自分の外にある、日本語の豊かな世界があって、それを再構築して表現するものである……このような意味のことを語っていた。これは、なるほどそういうものかと感じたところである。

このごろは特にそうかもしれないが、子どもの創作(作文や絵画など)、自分の思っていること、感じていることを、表現したものが良い、という考え方が主流かもしれない。そうではなく、面白いものを作りあげることの楽しさ、という観点から見ることもあっていいだろう。

去年、谷川俊太郎が亡くなって、いくつかの詩集が文庫本などで刊行になったものを、買って読んでみた。いいなあと思うものもあるし、よく分からないと感じるものもある。

これまで詩を読むときは、本であることにこだわってきた。昔、高校生ぐらいのときに読んだ、中央公論社の「日本の詩歌」シリーズは、その薄紫の装丁とともに、記憶のなかにある。

だが、その一方で、純粋にテキストとしての詩ということであるならば、いっそのこと、Kindle版でもいいのか、という気もしてきている。

谷川俊太郎というと、やはり、私にとっては、「鉄腕アトム」の作詞者である。それから、「死んだ男の残したものは」は、石川セリが歌っているのが、一番気に入っている。

2025年2月20日記