『べらぼう』「逆襲の『金々先生』」 ― 2025-02-24
2025年2月24日 當山日出夫
『べらぼう』 「逆襲の『金々先生』」
『金々先生栄花夢』は、国文学を勉強した学生なら、少なくとも名前は知っている作品である。ただ、これを本当に読んでみたいと思うか、また、さらに研究してみたいと思うか、となるとまた別の話ではあるが。
ただ、この作品について、作者名が出ないのは意図的なことだったのだろうか。
一般的な文学史の知識としては、江戸時代の「小説」は、人間の内面を描くところがなく、それが、近代になって、『当世書生気質』などが出て、日本の近代文学が始まった……という筋書きである。まあ、これに対しては、今では、いろんな方面から異論があるところにはちがいない。
だが、通俗的な理解としては、こういうものかとも思う。『坂の上の雲』の再放送を見ていて、正岡子規が、坪内逍遙に感激するシーンがあったのだが、これはこれとして、その時代の一般の受け止め方だったのだろう。
現在では、上田秋成とか、あるいは、本居宣長の「もののあはれ」の論など、人間というものの内面を、文学作品は描くものである、という認識が、決して明治以降になってから、西洋の文学の模倣によってもたらされたものばかりとはいえない、このように考えることもできるだろう。さらには、江戸時代の漢詩に近代文学に通じるものを読み解くことも可能である。例えば、中村真一郎の著作などは、そのような方向性を持っている。
ともあれ、江戸時代の戯作と一般に言われる文学作品が、現代でいう文学作品として、社会における人間のあり方や、心のうちのことを、細密に描写するというものでなかったことは確かである。このことは、比較的近年まで、通俗的な文学と、いわゆる純文学、という対立構図として、生きのびてきた考え方でもある。
後に、蔦重は浮世絵の分野で、歌麿や写楽とかかわる。これらの浮世絵は、現代の評価としては、描かれた人物の内面を描いている、というところがポイントになるかと思う。だが、この同時代の人びとにとって、人間のこころのうちを表現するということが、文学や美術……芸術……として、どう意識されていたのか、となると、また別かもしれない。
蔦重が、出版に乗り出すことになり、地本問屋たちが、それをこばむ、というのが、この回の大きなすじである。江戸時代、そう簡単に、既存の商売の仲間に入れてもらうことはできなかっただろうということは、考えられることであるが、実際はどのようだたのだろうか。このあたりの経緯については、江戸時代の出版史の専門家の考証があってのことだろうと思う。
気になることとしては、吉原細見という類の本が、いくら売れたとしても、そんなに大規模な出版の動きとして考えていいのだろうか、ということがある。この時代の、江戸における出版の全体像のなかで、どう描くかというところでは、これは、蔦重の仕事を大きく描きすぎではないかな、という気がする。
それよりも、さりげないが、須原屋が、出版が上方中心から、江戸に移ってきたということを言っていたことの方が、重要だろう。江戸時代の書物の出版や流通ということを考えるとき、いったいどんなふうにして流通したのかということがある。本は、軽いがかさばる。(これが、現代の紙の本だと、とにかく重いということになるが。)場合によっては、本を持って行って、それをばらして被せ彫りで作る方が、より現実的だったかもしれない。(現代なら、出来上がった本を船やトラックで運ぶよりも、組版データを送信して、現地で印刷製本した方が手軽でコストがかからない、ということになるかもしれない。)
吉原の描写については、できる限り、画面の映像美で見せようとしている。特に、瀬川の花魁道中などが、そうである。
吉原の恋、ということは、どうなのだろうか。遊里にあっては、現代のような恋愛感覚はなかったろう。そもそも、近代的な恋愛という観念が、新しいもの、と考えることもできる。(ただ、これに対しては、昨年の『光る君へ』で描いたような『源氏物語』などの王朝文学の「恋」はどうなのだろうか、という気もするが。)
ここで、お稲荷さんが身請けについて解説していたが、これは、これからの展開のための伏線ということになるかと思う。
蔦重が、蕎麦を食べるシーンがあったが、これは粋と言っていい。しかし、私のこのみとしては、野暮と言われてもいいから、たっぷりと汁をつけて食べる方が好きである。死ぬときに、思い残すことのないように……(と言って分かる人は、少なくなってしまったかもしれないが。)
『女重宝記』が出てきていた。この時代、これに類する本は、多数、刊行されている。これらの本(女性向けの教養書)をコレクションしている大学などもある。こういう種類の出版をふくめて、江戸時代の出版文化ということを、考えなければならない。これらの本は、蔦重が目指している地本問屋のあつかいになるのだろうか。(こういうところは、できればきちんと描いておいてほしいところである。)
お稲荷さんが蔦重に「バーカ」と言っていた。たしかに、蔦重は、バカである。少なくとも、瀬川花魁の気持ちを分かってはいない。しかし、これも、吉原に育った人間なら、こんなものかと思うところもある。
男の寝ている横で、起き上がった女郎(瀬川)が、「むちゃくちゃしやがって」と言って、枕紙を手に取って横にやるようなシーンなど、おそらくこれまでのNHKのドラマのなかでは、出てこなかったところかもしれない。(何のために使った紙なのか……あるいは、これは想像をたくましゅうしすぎかもしれないが。)
検校が出てきた。盲(めしい)というあたりが、今の時代のドラマとしては、使えることばの限界かなとは思う。ここはお稲荷さんの説明があって、江戸時代、視覚障害者は、(これを現代からどう評価するかは難しいが)ある種の特権が与えられていて、金貸しの仕事をして、大金持ちになる人もいた……これは、一つの事実としては、そのとおりということになるだろう。(すべての視覚障害者がそのように裕福であったということではない。)
吉原が悪所である、という認識がようやくこの回になって表面に出てきた。だが、これは、公認の悪所である、という微妙な位置づけになる。それ以外に、江戸市中の岡場所などのことも考えると、江戸時代、吉原という場所は、どのようなところだと、普通の江戸の市井の人たちは見ていたのだろうか。
だからこそ、吉原の親父たちは、自らを忘八と言って、ひらきなおることもできる。
田沼意次は日光社参の準備をしているが、それを見て、平賀源内は、社参を見世物にして、金を稼ぐことにしてはどうか……という意味のことを言っていたが、これは、実際にはどうだったのだろうか。江戸幕府主催の一大イベントとして、道中の宿場町を巻きこんだ経済効果ということになるのだろうが、なんとなく、今の時代の万博の経済効果と言っているようで……私は、これは、絶対に失敗すると確信しているが……ちょっと不安ではある。
2025年2月23日記
『べらぼう』 「逆襲の『金々先生』」
『金々先生栄花夢』は、国文学を勉強した学生なら、少なくとも名前は知っている作品である。ただ、これを本当に読んでみたいと思うか、また、さらに研究してみたいと思うか、となるとまた別の話ではあるが。
ただ、この作品について、作者名が出ないのは意図的なことだったのだろうか。
一般的な文学史の知識としては、江戸時代の「小説」は、人間の内面を描くところがなく、それが、近代になって、『当世書生気質』などが出て、日本の近代文学が始まった……という筋書きである。まあ、これに対しては、今では、いろんな方面から異論があるところにはちがいない。
だが、通俗的な理解としては、こういうものかとも思う。『坂の上の雲』の再放送を見ていて、正岡子規が、坪内逍遙に感激するシーンがあったのだが、これはこれとして、その時代の一般の受け止め方だったのだろう。
現在では、上田秋成とか、あるいは、本居宣長の「もののあはれ」の論など、人間というものの内面を、文学作品は描くものである、という認識が、決して明治以降になってから、西洋の文学の模倣によってもたらされたものばかりとはいえない、このように考えることもできるだろう。さらには、江戸時代の漢詩に近代文学に通じるものを読み解くことも可能である。例えば、中村真一郎の著作などは、そのような方向性を持っている。
ともあれ、江戸時代の戯作と一般に言われる文学作品が、現代でいう文学作品として、社会における人間のあり方や、心のうちのことを、細密に描写するというものでなかったことは確かである。このことは、比較的近年まで、通俗的な文学と、いわゆる純文学、という対立構図として、生きのびてきた考え方でもある。
後に、蔦重は浮世絵の分野で、歌麿や写楽とかかわる。これらの浮世絵は、現代の評価としては、描かれた人物の内面を描いている、というところがポイントになるかと思う。だが、この同時代の人びとにとって、人間のこころのうちを表現するということが、文学や美術……芸術……として、どう意識されていたのか、となると、また別かもしれない。
蔦重が、出版に乗り出すことになり、地本問屋たちが、それをこばむ、というのが、この回の大きなすじである。江戸時代、そう簡単に、既存の商売の仲間に入れてもらうことはできなかっただろうということは、考えられることであるが、実際はどのようだたのだろうか。このあたりの経緯については、江戸時代の出版史の専門家の考証があってのことだろうと思う。
気になることとしては、吉原細見という類の本が、いくら売れたとしても、そんなに大規模な出版の動きとして考えていいのだろうか、ということがある。この時代の、江戸における出版の全体像のなかで、どう描くかというところでは、これは、蔦重の仕事を大きく描きすぎではないかな、という気がする。
それよりも、さりげないが、須原屋が、出版が上方中心から、江戸に移ってきたということを言っていたことの方が、重要だろう。江戸時代の書物の出版や流通ということを考えるとき、いったいどんなふうにして流通したのかということがある。本は、軽いがかさばる。(これが、現代の紙の本だと、とにかく重いということになるが。)場合によっては、本を持って行って、それをばらして被せ彫りで作る方が、より現実的だったかもしれない。(現代なら、出来上がった本を船やトラックで運ぶよりも、組版データを送信して、現地で印刷製本した方が手軽でコストがかからない、ということになるかもしれない。)
吉原の描写については、できる限り、画面の映像美で見せようとしている。特に、瀬川の花魁道中などが、そうである。
吉原の恋、ということは、どうなのだろうか。遊里にあっては、現代のような恋愛感覚はなかったろう。そもそも、近代的な恋愛という観念が、新しいもの、と考えることもできる。(ただ、これに対しては、昨年の『光る君へ』で描いたような『源氏物語』などの王朝文学の「恋」はどうなのだろうか、という気もするが。)
ここで、お稲荷さんが身請けについて解説していたが、これは、これからの展開のための伏線ということになるかと思う。
蔦重が、蕎麦を食べるシーンがあったが、これは粋と言っていい。しかし、私のこのみとしては、野暮と言われてもいいから、たっぷりと汁をつけて食べる方が好きである。死ぬときに、思い残すことのないように……(と言って分かる人は、少なくなってしまったかもしれないが。)
『女重宝記』が出てきていた。この時代、これに類する本は、多数、刊行されている。これらの本(女性向けの教養書)をコレクションしている大学などもある。こういう種類の出版をふくめて、江戸時代の出版文化ということを、考えなければならない。これらの本は、蔦重が目指している地本問屋のあつかいになるのだろうか。(こういうところは、できればきちんと描いておいてほしいところである。)
お稲荷さんが蔦重に「バーカ」と言っていた。たしかに、蔦重は、バカである。少なくとも、瀬川花魁の気持ちを分かってはいない。しかし、これも、吉原に育った人間なら、こんなものかと思うところもある。
男の寝ている横で、起き上がった女郎(瀬川)が、「むちゃくちゃしやがって」と言って、枕紙を手に取って横にやるようなシーンなど、おそらくこれまでのNHKのドラマのなかでは、出てこなかったところかもしれない。(何のために使った紙なのか……あるいは、これは想像をたくましゅうしすぎかもしれないが。)
検校が出てきた。盲(めしい)というあたりが、今の時代のドラマとしては、使えることばの限界かなとは思う。ここはお稲荷さんの説明があって、江戸時代、視覚障害者は、(これを現代からどう評価するかは難しいが)ある種の特権が与えられていて、金貸しの仕事をして、大金持ちになる人もいた……これは、一つの事実としては、そのとおりということになるだろう。(すべての視覚障害者がそのように裕福であったということではない。)
吉原が悪所である、という認識がようやくこの回になって表面に出てきた。だが、これは、公認の悪所である、という微妙な位置づけになる。それ以外に、江戸市中の岡場所などのことも考えると、江戸時代、吉原という場所は、どのようなところだと、普通の江戸の市井の人たちは見ていたのだろうか。
だからこそ、吉原の親父たちは、自らを忘八と言って、ひらきなおることもできる。
田沼意次は日光社参の準備をしているが、それを見て、平賀源内は、社参を見世物にして、金を稼ぐことにしてはどうか……という意味のことを言っていたが、これは、実際にはどうだったのだろうか。江戸幕府主催の一大イベントとして、道中の宿場町を巻きこんだ経済効果ということになるのだろうが、なんとなく、今の時代の万博の経済効果と言っているようで……私は、これは、絶対に失敗すると確信しているが……ちょっと不安ではある。
2025年2月23日記
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