エディタで文章を書く:現代の筆墨として ― 2016-06-06
2016-06-06 當山日出夫
私は文章を書くのは、エディタである。ワープロ(一太郎やWord)の文章を書くときでも、まず、エディタで書いて、それをコピーするのが基本。ただ、図表とかはいったものの場合には、直接ワープロ編集画面で書くこともあるが、それは例外に属する。特に、自分でものを考えながら文書を書く、あるいは、書きながらものを考えていきたいような時には、エディタになる。
何故だろう。
第一には、エディタの編集画面の方がシンプルで、余計なこと……文字(フォントを何をつかうとか、そのサイズをどうするとか)、文書の修飾的な要素(タイトルをセンタリングするとか)、いちいち気にしなくていい。ただ、文字を入力するだけである。
第二には、この裏返しであるが、ワープロを使わない理由としては、編集機能が多すぎて、文章を書くのにかえって邪魔になる、ということがある。
しかし、エディタで困ることが無いではない。禁則処理をしてくれないことである。禁則処理というのは、行頭や行末にくる、「 や 、 。 など、適当に次の行におくったりする機能のこと。
これは、ある意味でシンプルに文章を書くときには、あえて気にしないということで割り切ってしまえば、それでいいのかもしれない。私も、そのような気持ちで文章を書いているときもある。
ところで、電子メールの文章はどうだろうか。
これには、流儀が二つ(あるいは三つ)あるようだ。
第一には、改行から改行まで連続した文字列にする。メールソフトの閲覧画面で、ウィンドウの右端で文字が折り返されるまでを一行になるように書く。言い換えるならば、余計な改行をいれないという主義。
第二には、読みやすいようにという配慮からか、だいたい30字ぐらいのところで改行をいれて書くという方式。この方式で書くひとも多い。見た目の印象としては、文章の右端がデコボコした感じになってしまう。
第三には、(これが私の採用している方式)エディタで、70字(全角文字なら35字)の設定にしておいて、書く。この時、禁則処理をしてくれるエディタを使う。具体的には、私の場合であれば、WZEditor(Ver.9)である。
このエディタ、便利な機能として、「テキストを改行付きテキストに」変換してくれる。つまり、画面の見た目どおりに、右端に自動的に改行を挿入した文書に整形してくれるのである。
これをコピーして、メールソフト(Outlookなど)の編集画面に持って行く。
70字(35字)で改行するというのは、昔のパソコンの時代からの習慣のようなものでもある。昔のパソコン(PC-9801)は、画面の一行が40字の表示機能であった。したがって、35字程度で書くと、ちょうど、読みやすく画面におさまる。
また、経験的にも、30字ぐらいで改行されるのが、読みやすいし、書きやすい。あまりに一行が長いのも、短いのも、判読しづらい。
ところで、今、この文章を何で書いているかというと、WZWriteで書いている。まあ、エディタに、ちょっとワープロ的要素をとりこんで編集できるようにしたものと考えておけばいいか。でも、私は、エディタとしてしか利用していない。
画面の設定はいたってシンプルにしている。濃紺の背景色に、黄色の文字(MSゴシック)という設定である。こんな画面の設定でつかっているというのも、昔からのパソコンのイメージがあるせいかもしれない。
私の記憶でいえば、ワープロの編集画面が、白い背景に黒い文字……紙にプリントしたのに近い……になったのは、一太郎(ジャストシステム)あたりからではなかったかと思う。松(管理工学研究所)などは、逆に、黒っぽい画面に、たしか黄色の文字であったように記憶している。
エディタやワープロを何を使うか、どのような設定で使うか、また、日本語入力は、どのシステムを使うか(私は昔からATOKである)、など。さらには、ディスプレイの機種(私はナナオいや今ではEIZO)、キーボードの選択(私は東プレ)、など、これは、現代における、筆墨論議なのかもしれないと思っている。
しかし、エディタでも、ワープロの編集画面でも、実際に紙にプリントアウトすると違ってくる。また、同じテキストであっても、見る環境(どのようなエディタで、どのようなフォントの設定で見るか)によっても、違ってくる。このことは、以前に、どこかに書いたことでもある。現代のテキスト論、文字論の課題でもある。
追記
70桁(半角70字)だと、35字(全角)になる。まちがっていたので、訂正。まあ、だいたい30~35字ぐらいが、書きやすい。
私は文章を書くのは、エディタである。ワープロ(一太郎やWord)の文章を書くときでも、まず、エディタで書いて、それをコピーするのが基本。ただ、図表とかはいったものの場合には、直接ワープロ編集画面で書くこともあるが、それは例外に属する。特に、自分でものを考えながら文書を書く、あるいは、書きながらものを考えていきたいような時には、エディタになる。
何故だろう。
第一には、エディタの編集画面の方がシンプルで、余計なこと……文字(フォントを何をつかうとか、そのサイズをどうするとか)、文書の修飾的な要素(タイトルをセンタリングするとか)、いちいち気にしなくていい。ただ、文字を入力するだけである。
第二には、この裏返しであるが、ワープロを使わない理由としては、編集機能が多すぎて、文章を書くのにかえって邪魔になる、ということがある。
しかし、エディタで困ることが無いではない。禁則処理をしてくれないことである。禁則処理というのは、行頭や行末にくる、「 や 、 。 など、適当に次の行におくったりする機能のこと。
これは、ある意味でシンプルに文章を書くときには、あえて気にしないということで割り切ってしまえば、それでいいのかもしれない。私も、そのような気持ちで文章を書いているときもある。
ところで、電子メールの文章はどうだろうか。
これには、流儀が二つ(あるいは三つ)あるようだ。
第一には、改行から改行まで連続した文字列にする。メールソフトの閲覧画面で、ウィンドウの右端で文字が折り返されるまでを一行になるように書く。言い換えるならば、余計な改行をいれないという主義。
第二には、読みやすいようにという配慮からか、だいたい30字ぐらいのところで改行をいれて書くという方式。この方式で書くひとも多い。見た目の印象としては、文章の右端がデコボコした感じになってしまう。
第三には、(これが私の採用している方式)エディタで、70字(全角文字なら35字)の設定にしておいて、書く。この時、禁則処理をしてくれるエディタを使う。具体的には、私の場合であれば、WZEditor(Ver.9)である。
このエディタ、便利な機能として、「テキストを改行付きテキストに」変換してくれる。つまり、画面の見た目どおりに、右端に自動的に改行を挿入した文書に整形してくれるのである。
これをコピーして、メールソフト(Outlookなど)の編集画面に持って行く。
70字(35字)で改行するというのは、昔のパソコンの時代からの習慣のようなものでもある。昔のパソコン(PC-9801)は、画面の一行が40字の表示機能であった。したがって、35字程度で書くと、ちょうど、読みやすく画面におさまる。
また、経験的にも、30字ぐらいで改行されるのが、読みやすいし、書きやすい。あまりに一行が長いのも、短いのも、判読しづらい。
ところで、今、この文章を何で書いているかというと、WZWriteで書いている。まあ、エディタに、ちょっとワープロ的要素をとりこんで編集できるようにしたものと考えておけばいいか。でも、私は、エディタとしてしか利用していない。
画面の設定はいたってシンプルにしている。濃紺の背景色に、黄色の文字(MSゴシック)という設定である。こんな画面の設定でつかっているというのも、昔からのパソコンのイメージがあるせいかもしれない。
私の記憶でいえば、ワープロの編集画面が、白い背景に黒い文字……紙にプリントしたのに近い……になったのは、一太郎(ジャストシステム)あたりからではなかったかと思う。松(管理工学研究所)などは、逆に、黒っぽい画面に、たしか黄色の文字であったように記憶している。
エディタやワープロを何を使うか、どのような設定で使うか、また、日本語入力は、どのシステムを使うか(私は昔からATOKである)、など。さらには、ディスプレイの機種(私はナナオいや今ではEIZO)、キーボードの選択(私は東プレ)、など、これは、現代における、筆墨論議なのかもしれないと思っている。
しかし、エディタでも、ワープロの編集画面でも、実際に紙にプリントアウトすると違ってくる。また、同じテキストであっても、見る環境(どのようなエディタで、どのようなフォントの設定で見るか)によっても、違ってくる。このことは、以前に、どこかに書いたことでもある。現代のテキスト論、文字論の課題でもある。
追記
70桁(半角70字)だと、35字(全角)になる。まちがっていたので、訂正。まあ、だいたい30~35字ぐらいが、書きやすい。
DVD版「智証大師自筆文字史資料集」 ― 2011-06-06
2011-06-06 當山日出夫
この前の第104回訓点語学会(京都大学)での発表のときに言及していた、DVDがとどいた。
天台宗寺門宗教文化資料集成 国語・国文学編
園城寺蔵 智証大師自筆文字史資料集
園城寺編 三弥井書店 2011
定価をしるせば、7600円である。この価格であれば、普通なら、本となっている白黒写真の影印の部分だけでも、これぐらいになってしまう。それに、高精細画像の、(もちろんカラーの)画像データがDVDでついている。
園城寺としては、これは、しかるべき形で公開したい。しかし、独自にサーバを設置して、WEB公開するには、維持コストがかかりすぎる。将来的な安定が確認できない。であるならば、比較的廉価な価格で、DVD版で市販してしまうという方法がある。これであるならば、仏教学・日本語学関係の研究者でも、簡単に手にいれることができる。
ただ、仕様として、WEBブラウザで写真を一枚一枚見るようになっているので、自在に自分で写真を加工してというこは、基本的にできないようになっている。まあ、これは、書店が商品として売る以上は、ある程度、やむを得ないことかもしれない。
文化財のデジタルアーカイブというと、今の時代、すぐに、WEB公開の方向に発想がむかってしまう。しかし、WEB公開では、その維持管理のコストを考えなければならない。
実物は、厳然としてある。世に出すのは、デジタル版の複製である。このようにわりきれば、今回の園城寺の判断は、英断であるというべきであろう。実物の安全な保護と、その有効な学術利用とのバランスをかんがえたとき、DVD出版というのも、一つの選択肢である。
これからは、このような、デジタルデータの公開が、他の所蔵機関でもどんどん推進されることを願う。そして、このような資料をつかっての研究として、どのようなことが可能であるのか、考えなければならないと思うのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
この前の第104回訓点語学会(京都大学)での発表のときに言及していた、DVDがとどいた。
天台宗寺門宗教文化資料集成 国語・国文学編
園城寺蔵 智証大師自筆文字史資料集
園城寺編 三弥井書店 2011
定価をしるせば、7600円である。この価格であれば、普通なら、本となっている白黒写真の影印の部分だけでも、これぐらいになってしまう。それに、高精細画像の、(もちろんカラーの)画像データがDVDでついている。
園城寺としては、これは、しかるべき形で公開したい。しかし、独自にサーバを設置して、WEB公開するには、維持コストがかかりすぎる。将来的な安定が確認できない。であるならば、比較的廉価な価格で、DVD版で市販してしまうという方法がある。これであるならば、仏教学・日本語学関係の研究者でも、簡単に手にいれることができる。
ただ、仕様として、WEBブラウザで写真を一枚一枚見るようになっているので、自在に自分で写真を加工してというこは、基本的にできないようになっている。まあ、これは、書店が商品として売る以上は、ある程度、やむを得ないことかもしれない。
文化財のデジタルアーカイブというと、今の時代、すぐに、WEB公開の方向に発想がむかってしまう。しかし、WEB公開では、その維持管理のコストを考えなければならない。
実物は、厳然としてある。世に出すのは、デジタル版の複製である。このようにわりきれば、今回の園城寺の判断は、英断であるというべきであろう。実物の安全な保護と、その有効な学術利用とのバランスをかんがえたとき、DVD出版というのも、一つの選択肢である。
これからは、このような、デジタルデータの公開が、他の所蔵機関でもどんどん推進されることを願う。そして、このような資料をつかっての研究として、どのようなことが可能であるのか、考えなければならないと思うのである。
當山日出夫(とうやまひでお)
デジタル学術情報流通の現状と課題 ― 2011-06-03
2011-06-03 當山日出夫
Twitterから流れてきた情報であるが。一般社団法人大学出版部協会というのがある。そこが出している冊子に、『大学出版』がある。そのバックナンバーが、インターネットで読める。
第86号(2011年5月)は、デジタル学術情報流通の現状と課題、という特集になっている。
目次は、
1●大学出版部のビジネスモデルを求めて
2●学術出版はどこへゆくのか
3●大学図書館の変化とロングテール
4●電子ブックと大学図書館
となっている。
PDFでダウンロードできる。
http://www.ajup-net.com/daigakushuppan
當山日出夫(とうやまひでお)
Twitterから流れてきた情報であるが。一般社団法人大学出版部協会というのがある。そこが出している冊子に、『大学出版』がある。そのバックナンバーが、インターネットで読める。
第86号(2011年5月)は、デジタル学術情報流通の現状と課題、という特集になっている。
目次は、
1●大学出版部のビジネスモデルを求めて
2●学術出版はどこへゆくのか
3●大学図書館の変化とロングテール
4●電子ブックと大学図書館
となっている。
PDFでダウンロードできる。
http://www.ajup-net.com/daigakushuppan
當山日出夫(とうやまひでお)
第6回WS:文字-電子書籍の夢、EPUBの現実- ― 2011-04-30
2011-04-30 當山日出夫
文字研究会 第6回ワークショップ:文字-電子書籍の夢、EPUBの現実- が開催となる。この前に、このブログに掲載してから、プログラムの変更などが、すこしある。(発表者に、川幡太一さんがくわわった、など。)
https://sites.google.com/site/mojiken/activities/6th_ws
以下、プログラムの概要。詳細は、上記のURLからみていただきたい。
2011年5月7日(土) 13:00-17:50
花園大学 拈花館 202
[1] 電子書籍版『論集文字 第1号』の出版を終えて――編集上の諸問題
小形克宏
[2] EPUB2による『論集文字 第1号』制作の実際――日本語組版を中心に
大石十三夫
[3] リサイズとリフロー
安岡孝一
[4] EPUB3による日本語書籍制作の実際―日本語組版を中心に
石井宏治
[5] 青空文庫の注記にみる日本語表記とEPUB3(仮)
川幡太一
[6] スクリーンで読む新しい組版に向けて 講師全員によるパネルディスカッション
電子書籍に関心のあるかたの、参加に期待している。
當山日出夫(とうやまひでお)
文字研究会 第6回ワークショップ:文字-電子書籍の夢、EPUBの現実- が開催となる。この前に、このブログに掲載してから、プログラムの変更などが、すこしある。(発表者に、川幡太一さんがくわわった、など。)
https://sites.google.com/site/mojiken/activities/6th_ws
以下、プログラムの概要。詳細は、上記のURLからみていただきたい。
2011年5月7日(土) 13:00-17:50
花園大学 拈花館 202
[1] 電子書籍版『論集文字 第1号』の出版を終えて――編集上の諸問題
小形克宏
[2] EPUB2による『論集文字 第1号』制作の実際――日本語組版を中心に
大石十三夫
[3] リサイズとリフロー
安岡孝一
[4] EPUB3による日本語書籍制作の実際―日本語組版を中心に
石井宏治
[5] 青空文庫の注記にみる日本語表記とEPUB3(仮)
川幡太一
[6] スクリーンで読む新しい組版に向けて 講師全員によるパネルディスカッション
電子書籍に関心のあるかたの、参加に期待している。
當山日出夫(とうやまひでお)
ナビの地図が新しくならない ― 2010-12-13
2010-12-13 當山日出夫
今の自動車につけているカーナビの地図の、次年度更新版が出ない(らしい)。買ってとりつけて、まだ、6年目になるのかな。まだまだ、十分につかえる。自動車の方だって、まだまだ、乗れる。
ナビをつけて運転する習慣になってしまうと、ナビも、自動車の重要な性能部品の一つである、ということを実感する。
地図の更新をストップしてしまえば、今後、いったいどうすればいいのか。まあ、もう少し安いタイプの機種で、最新のものに変更するぐらいしか対応策が思い浮かばない。
デジタルデータの、あるいは、デジタル機器の進歩はよいのであるが・・・まだまだ十分につかえるナビが、こうも簡単に陳腐化してしまうとは。ここで、メーカを起こってみてもしかたがない。デジタルデータというのは、所詮、このようなものである、ということを実感した・・・ということになるのであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
今の自動車につけているカーナビの地図の、次年度更新版が出ない(らしい)。買ってとりつけて、まだ、6年目になるのかな。まだまだ、十分につかえる。自動車の方だって、まだまだ、乗れる。
ナビをつけて運転する習慣になってしまうと、ナビも、自動車の重要な性能部品の一つである、ということを実感する。
地図の更新をストップしてしまえば、今後、いったいどうすればいいのか。まあ、もう少し安いタイプの機種で、最新のものに変更するぐらいしか対応策が思い浮かばない。
デジタルデータの、あるいは、デジタル機器の進歩はよいのであるが・・・まだまだ十分につかえるナビが、こうも簡単に陳腐化してしまうとは。ここで、メーカを起こってみてもしかたがない。デジタルデータというのは、所詮、このようなものである、ということを実感した・・・ということになるのであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
DVD版内村全集について書きました ― 2010-09-14
2010-09-14 當山日出夫
このごろ書いているテーマというと、DVD版内村鑑三全集のことが多い。その最近のもの。
ニッシャ印刷文化振興財団
AMeeT
http://www.ameet.jp/
ここに、
デジタルアーカイブの現場から、のコーナーに書いている。DVD版内村鑑三全集のほかにも、電子書籍について、また、そこにおける印刷業の役割について、思うところをいささか述べてある。
當山日出夫(とうやまひでお)
このごろ書いているテーマというと、DVD版内村鑑三全集のことが多い。その最近のもの。
ニッシャ印刷文化振興財団
AMeeT
http://www.ameet.jp/
ここに、
デジタルアーカイブの現場から、のコーナーに書いている。DVD版内村鑑三全集のほかにも、電子書籍について、また、そこにおける印刷業の役割について、思うところをいささか述べてある。
當山日出夫(とうやまひでお)
丸善ライブラリーニュース ― 2010-08-25
2010-08-25 當山日出夫
ようやく刊行になった。昨日、冊子のものが我が家にとどいて、今日になってオンラインでも読めるようになっていることを確認した。
丸善ライブラリーニュースに、短い文章を書いた。
丸善ライブラリーニュース
http://www.maruzen.co.jp/business/edu/lib_news/
私の書いたのは、電子書籍と知的生産、というタイトル。電子書籍について、思うところを、ややアマノジャクな視点から書いてみた、というところか。
iPadで電子書籍はいいのである。ただ、読み書きソロバン、という。つまり、〈読む〉と〈書く〉は、ワンセットで考えるべきではないだろうか。少なくとも、知的生産ということを考える場面では。
この観点からは、iPadのキーボードは果たしてつかいやすいというべきなのか。さらには、わざわざ、iPadにキーボードを接続してまで使用する意義があるのだろうか・・・それなら、最初から、マックブックでもつかえばいいように思えてしまうのであるが、いかがであろうか。
私は、電子書籍に対して、ラッダイトであろうとは思わない。しかし、新しいメディアとして、どのようなメッセージを伝えてくれるのかについては、まだ、手放しで礼賛する気にはなれない。ちょっと距離をおいて考えてみたいと思っている。
當山日出夫(とうやまひでお)
ようやく刊行になった。昨日、冊子のものが我が家にとどいて、今日になってオンラインでも読めるようになっていることを確認した。
丸善ライブラリーニュースに、短い文章を書いた。
丸善ライブラリーニュース
http://www.maruzen.co.jp/business/edu/lib_news/
私の書いたのは、電子書籍と知的生産、というタイトル。電子書籍について、思うところを、ややアマノジャクな視点から書いてみた、というところか。
iPadで電子書籍はいいのである。ただ、読み書きソロバン、という。つまり、〈読む〉と〈書く〉は、ワンセットで考えるべきではないだろうか。少なくとも、知的生産ということを考える場面では。
この観点からは、iPadのキーボードは果たしてつかいやすいというべきなのか。さらには、わざわざ、iPadにキーボードを接続してまで使用する意義があるのだろうか・・・それなら、最初から、マックブックでもつかえばいいように思えてしまうのであるが、いかがであろうか。
私は、電子書籍に対して、ラッダイトであろうとは思わない。しかし、新しいメディアとして、どのようなメッセージを伝えてくれるのかについては、まだ、手放しで礼賛する気にはなれない。ちょっと距離をおいて考えてみたいと思っている。
當山日出夫(とうやまひでお)
電子書籍と印刷とジャパンナレッジ ― 2010-08-22
2010-08-22 當山日出夫
やっと夏の一番いそがしい時期がおわって、すこし時間に余裕ができてきた。今日から、このブログも再回、夏休みも終わりである。
小学館の出している小冊子に『本の窓』がある。この9-10月号に、ジャパンナレッジに、『国史大辞典』がはいったいきさつの記事がのっている。吉川弘文館の社長である前田求恭さん、それから、ジャパンナレッジの社長である相賀昌宏さん、この両名の対談である。
まず、こういっては、みもふたもないが、出版社のPR冊子であるから、その分を適当に割り引いて読むことになる。しかし、そうでありながら、これはと気になる箇所もある。
『国史大辞典』が最初から、「デジタル」を視野にいれた出版を考えていたこと。そのスタートは、昭和40年にさかのぼるよしであるから、当然ながら、パソコンなど、何もない時代である。それが、具体的に、書物として刊行する段階になった時点で、「デジタル」を考えて、写植をえらんだ。その写植(その当時のことだから、いわゆるCTSになるのだろう)の会社が、東京印書館。
そして、その東京印書館が、同時にあつかっていたのが、同じく、ジャパンナレッジにはいっている、重要なコンテンツである、『日本歴史地名大系』。
『国史大辞典』『日本歴史地名大系』、いずれも、最初から、ジャパンナレッジのような形でのオンライン検索を念頭において編纂されたものではないであろう。しかし、最終的には、そのコンテンツをデジタル化することによって、新たな価値を生み出すことになっている。そして、そこで、重要な役割をはたしているのが、印刷業(この場合は、東京印書館)である。
書籍の印刷用のデータは、印刷業が持っている。
著作権は、著作者にあるだろうし、また、実際の編集実務は出版社になる。しかし、デジタルのデータが、どこに存在しているかとなると、印刷業にある。
たぶん、今年から来年にかけて、電子書籍は、おおきな動きをみせるだろう。そのとき、既存の出版社のみならず、視野にいれて考えなければならないのは、IT企業であり、図書館であり、そして、印刷業である、と思う。そして、私の見る範囲で、これらを、すべて総合して考察した電子書籍論というのは、まだ、登場していないように見うける。
少なくとも、電子図書館と、印刷業(書籍のデジタルデータを持っている)の存在をかんがえてこそ、現実に即した電子書籍の論が生まれるのだろうと思う。
當山日出夫(とうやまひでお)
やっと夏の一番いそがしい時期がおわって、すこし時間に余裕ができてきた。今日から、このブログも再回、夏休みも終わりである。
小学館の出している小冊子に『本の窓』がある。この9-10月号に、ジャパンナレッジに、『国史大辞典』がはいったいきさつの記事がのっている。吉川弘文館の社長である前田求恭さん、それから、ジャパンナレッジの社長である相賀昌宏さん、この両名の対談である。
まず、こういっては、みもふたもないが、出版社のPR冊子であるから、その分を適当に割り引いて読むことになる。しかし、そうでありながら、これはと気になる箇所もある。
『国史大辞典』が最初から、「デジタル」を視野にいれた出版を考えていたこと。そのスタートは、昭和40年にさかのぼるよしであるから、当然ながら、パソコンなど、何もない時代である。それが、具体的に、書物として刊行する段階になった時点で、「デジタル」を考えて、写植をえらんだ。その写植(その当時のことだから、いわゆるCTSになるのだろう)の会社が、東京印書館。
そして、その東京印書館が、同時にあつかっていたのが、同じく、ジャパンナレッジにはいっている、重要なコンテンツである、『日本歴史地名大系』。
『国史大辞典』『日本歴史地名大系』、いずれも、最初から、ジャパンナレッジのような形でのオンライン検索を念頭において編纂されたものではないであろう。しかし、最終的には、そのコンテンツをデジタル化することによって、新たな価値を生み出すことになっている。そして、そこで、重要な役割をはたしているのが、印刷業(この場合は、東京印書館)である。
書籍の印刷用のデータは、印刷業が持っている。
著作権は、著作者にあるだろうし、また、実際の編集実務は出版社になる。しかし、デジタルのデータが、どこに存在しているかとなると、印刷業にある。
たぶん、今年から来年にかけて、電子書籍は、おおきな動きをみせるだろう。そのとき、既存の出版社のみならず、視野にいれて考えなければならないのは、IT企業であり、図書館であり、そして、印刷業である、と思う。そして、私の見る範囲で、これらを、すべて総合して考察した電子書籍論というのは、まだ、登場していないように見うける。
少なくとも、電子図書館と、印刷業(書籍のデジタルデータを持っている)の存在をかんがえてこそ、現実に即した電子書籍の論が生まれるのだろうと思う。
當山日出夫(とうやまひでお)
『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』 ― 2010-08-03
2010-08-03 當山日出夫
中西秀彦.『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』.印刷学会出版部.2010
いろいろいそがしくて読んでいる時間がないのであるが、今日は、とりあえずタイトルだけの紹介。『ブックビジネス2.0』と一緒に読みたい本である。CH研究会のつづきは明日にでも。
當山日出夫(とうやまひでお)
中西秀彦.『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』.印刷学会出版部.2010
いろいろいそがしくて読んでいる時間がないのであるが、今日は、とりあえずタイトルだけの紹介。『ブックビジネス2.0』と一緒に読みたい本である。CH研究会のつづきは明日にでも。
當山日出夫(とうやまひでお)
電子書籍とコピー ― 2010-07-27
2010-07-27
當山日出夫
電子書籍についての議論があれこれとかまびすしい。そこから逃避したくなるほどであるが、そうもいかないので、こここは、アマノジャクな疑問をひとつ。
電子書籍というのは、コピーがどうなるのだろうか。コピーといっても、丸ごとコピーするのではない。たとえば、紙の本を読んでいて、必要だと思った箇所を、コピー機にかけて紙のコピーをとっておく、そのコピーである。
これが、昔なら、そこを写本したところであろうが、今は、コピー機がある。今は安い機種なら数万円。個人の書斎にあっても、おかしくない。
また、図書館であれば、(一定の制限はあるが)蔵書のコピーも可能である。いや、大学図書館などであれば、資料のコピーをとるために、学生がその蔵書をつかう、といってもよいかもしれない。いまでは、この、シンプルな、本のコピーということが、重要な、知的生産を支えるツールになっているといっても過言ではないだろう。
では、これが、電子書籍・電子図書館になったら、どうなるのか。コピー、ということはないから、プリントアウトということになるの。たとえば、iPadをプリンタにつないで、紙で保存してファイルしておきたいページをプリントアウトすることになるのか。
図書館だったらどうなるだろう。電子書籍のコピー(プリントアウト)は、どのような範囲で認められるのだろうか。
これまで、電子書籍について語ってきている人の多くは、出版関係者。純然たる読者、本を読む立場、あるいは、その本を読んでさらに何かをしようという人、そのような人の発言が、あまり聞こえて来なかったように思える。
しかし、本は読者とともにあってこそ本である。読者が何をもとめているのか、どんな本の読み方をするのか。その需要にこたえてこそ、電子書籍だろう。この意味で、単純素朴に考えて、現在の紙の本をコピーして資料を集めて、あるいは、それにペンで書き込みを入れて…という利用に、はたしてこたえるだけの用意があるのだろうか。
特に、大学図書館などでは、本のコピーができるかどうか…これは、非常に重要な論点であるはずである。さて、このあたりの議論は、いま、どうなっているのだろうか。
當山日出夫(とうやまひでお)
當山日出夫
電子書籍についての議論があれこれとかまびすしい。そこから逃避したくなるほどであるが、そうもいかないので、こここは、アマノジャクな疑問をひとつ。
電子書籍というのは、コピーがどうなるのだろうか。コピーといっても、丸ごとコピーするのではない。たとえば、紙の本を読んでいて、必要だと思った箇所を、コピー機にかけて紙のコピーをとっておく、そのコピーである。
これが、昔なら、そこを写本したところであろうが、今は、コピー機がある。今は安い機種なら数万円。個人の書斎にあっても、おかしくない。
また、図書館であれば、(一定の制限はあるが)蔵書のコピーも可能である。いや、大学図書館などであれば、資料のコピーをとるために、学生がその蔵書をつかう、といってもよいかもしれない。いまでは、この、シンプルな、本のコピーということが、重要な、知的生産を支えるツールになっているといっても過言ではないだろう。
では、これが、電子書籍・電子図書館になったら、どうなるのか。コピー、ということはないから、プリントアウトということになるの。たとえば、iPadをプリンタにつないで、紙で保存してファイルしておきたいページをプリントアウトすることになるのか。
図書館だったらどうなるだろう。電子書籍のコピー(プリントアウト)は、どのような範囲で認められるのだろうか。
これまで、電子書籍について語ってきている人の多くは、出版関係者。純然たる読者、本を読む立場、あるいは、その本を読んでさらに何かをしようという人、そのような人の発言が、あまり聞こえて来なかったように思える。
しかし、本は読者とともにあってこそ本である。読者が何をもとめているのか、どんな本の読み方をするのか。その需要にこたえてこそ、電子書籍だろう。この意味で、単純素朴に考えて、現在の紙の本をコピーして資料を集めて、あるいは、それにペンで書き込みを入れて…という利用に、はたしてこたえるだけの用意があるのだろうか。
特に、大学図書館などでは、本のコピーができるかどうか…これは、非常に重要な論点であるはずである。さて、このあたりの議論は、いま、どうなっているのだろうか。
當山日出夫(とうやまひでお)
最近のコメント