小書きの仮名は別の文字なのか(その2)2016-09-23

2016-09-23 當山日出夫

以前に書いたことのつづきである。

やまもも書斎記 2016年9月19日
小書きの仮名は別の文字なのか
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/19/8194165

小書きの仮名、これが通常の大きさの文字(仮名)と同じであるかどうか、という問題。これを考えるときに次のことも考慮にいれないといけないだろう。

第一には、小書きの仮名は、それ単独では音を表ささないということである。一般には、仮名は表音文字である。だが、小書きの仮名は、それ単独で読むことができない。

たとえば、

「しゃ」

の「ゃ」だけを取り出して読もうとしてもできない。促音の「っ」も同様である。それ単独で音を取り出すことができない。前後の文字(仮名)と一緒になって初めて、ある特定の音を表すことができる。「しゃ」の「し」と「ゃ」を分離してしまうことは、できない。

第二には、文字の大きさだけではなく、表記されたときの位置も問題になることである。横書きでは、左下にくるようになるし、縦書きでは、右上にくるようになる。ただ、文字の大きさが小さくなっているだけでは、表記として不十分である。つまり、どの方向に小さくなっているのか、位置するのかということまで含めての文字ということになる。

ワープロで文書を書いていて、そこだけフォントのポイントを下げてやったのでは、不体裁な文書にしかならない。現代の通常の日本語文では、そのような表記法はつかわない。

以上の、二点。こういうことを考えるならば、単に文字の大きさの大小では割り切れないことになる。単独では同じかたちの文字であるが、表記されたときの行内における位置情報までふくんでいる文字ということができようか。

ただ、そうはいっても文字の「かたち」、これを字体といっておくことにするが、これは、同じである。さて、どう考えればよいのであろうか。

実際に表記されるときのあり方から、ただ文字それだけを取り出してきて論ずることは、不適切なのであろうか。あるいは、文字と、表記の方法(文字をどう使うか)を、分けて考えるべきなのであろうか。

今のところこのように考えることもできよう……たとえば、宣命書のことなどを念頭においていみるならば、あるいは、延慶本平家物語などを考えてみるならば、文字の大きさというのは、表記の方法に属することがらであって、文字そのものの属性ではないと考えておくべきなのかもしれない。