『真田丸』あれこれ「犬伏」2016-09-05

2016-09-05 當山日出夫

『真田丸』(第35回、2016年9月4日)、「犬伏」。

真田丸における、イエ意識については、これまで書いてきた。

やまもも書斎記 2016年8月30日
『真田丸』あれこれ「挙兵」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/30/8165847

やまもも書斎記 2016年8月2日
「真田丸」におけるイエ意識
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/02/8144450

今回、いよいよ「犬伏」で親子・兄弟がわかれるというシーン。そこにあったのは、真田の一族であるというイエ意識であった。決して、徳川にも、豊臣にも臣下としてしたがうという忠誠心ではなかった。

だが、結果はわかっている。関ヶ原の合戦の後、三成は処刑される。そして、信繁は豊臣の方につく。ここでも、信繁は、真田のイエのために戦うことになるのだろうか。それとも、ここで、再び、豊臣の臣下としての忠誠心が登場することになるのだろうか。

そういえば、冒頭に近いところでの大阪城のシーン。豊臣秀吉とであったときことを回想する場面があった。これは、将来、信繁が豊臣の臣下として働くことになる伏線かと思ってみていたのだが、どうだろうか。

その他の登場人物、例えば、兄(信幸の妻)稲、父(徳川)のためではなく、嫁ぎ先である真田のイエのために行動する。そういえば、細川ガラシャの最後も、ある意味では、細川というイエのために死んでいったようなものだったかもしれない。

面白かったのは、父(信幸)と、信繁の行動のエトスの違い。父は、再度の戦乱の世の到来を期待する。しかし、その子(信繁)は、もう戦乱の世はもどってこないと、逆に、父の見方をいさめる。このあたりの世代のギャップ、感覚の違いも面白い。

真田のイエを守るといっても、昔の領地をとりもどす、信濃の国を治めることを目的とするのではない。戦国の世のような、領土ナショナリズムはもう通用しない。

では、信繁は何のために戦うことになるのか。真田のイエとしての存続のためか。豊臣への忠誠心のためか。関ヶ原から、大阪の陣にいたる、信繁のエトスをどのように描くか、興味深い。