手帳のはなし2016-09-28

2016-09-28 當山日出夫

今年も、来年の手帳を用意しなければならない時期になってきた。先日、近所のホームセンターに行ったら、文房具売り場のところに、来年の手帳がならんでいた。家にかえってさっそくオンラインで注文した。店で買ってもいいのだが、どうせ同じ種類のを毎年つかっているので、型番がわかればオンラインですむ。

私が毎年つかっているのは、高橋の104番、というものである。
http://www.takahashishoten.co.jp/notebook/31104.html

見開きの左が、一週間の予定(時刻の目盛りもある)、右が、空欄になって自由に書き込める。

昔は、歴史手帳(吉川弘文館)をつかっていた。学生のころのことである。何のためかというと、西暦と年号の対照表を見るためである。日本の古典文学など勉強していると、自分が机にすわって勉強していて、そのまま手のとどくところに、西暦・年号の対照表がないといけない……そんな気持ちから、使っていた。

ただ、普通の手帳としては使いにくい。右のページに、いろいろ歴史的な事項が印刷してあるので、書き込みがしにくい。特に、週末の予定について、細かに何か記しておこうとすると邪魔になる。

一時、山川の歴史手帳をつかっていたこともある。これも便利だが……サイズが小さいので、ちょっと使いにくかった。逆に、吉川弘文館のは、大きすぎて、これも困った要因になる。その吉川弘文館の歴史手帳も、近年、さらにサイズが大きくなっている。

そこで割り切ることにした。手帳は手帳として使いやすいものを選んでつかう。それとは別に、歴史手帳を買って、それを身の回りにもっておく。手のとどくところにおいておく。このように考えるようになった。

手帳についてふりかえれば、今でも売っているが、一時、システム手帳というのがはやったことがある。だが、私は、なんとなく好みに合わなかったのでつかなかったし、今でも使っていない。綴じるためのファイルのリングが中央にくるため、左ページに書き込みがしにくい、というのが主な理由なのであるが。

これは都市伝説なのだろうか……と思っている知識なのだが、件のシステム手帳というもの、かなりサイズが大きいものになる。これは、身につけてて持ち運べる限度を考えてのことらしい。だが、これも割り切りだと思っている。どうせカバンにいれて持ち運ぶものであるなら、大きさは大きい方がいい。逆に、服のポケットにはいる……夏場、上着のシャツのポケットにも充分にはいるサイズとなると、これは、小さめのサイズがいい。システム手帳、あるいは、大きめのサイズの手帳というのは、夏でも上着を着ているような気候・環境、あるいは、そのような服装をする職業でないと意味がないことになる。

そういえば、学生のころ、習ったある先生。日本美術史が専門の先生だったと記憶するが……吉川弘文館の歴史手帳の西暦・年号の対照表のところだけをきりとって、別の手帳にはさんでつかっていた先生がいた。これもひとつのアイデアだと思って、感心してみていたが、自分では実行せずに、今にいたっている。