「とと姉ちゃん」一銭五厘で召集できたのか(その二)2016-08-01

2016-08-01 當山日出夫

召集令状はどのようにしてとどけられたのか、以前にちょっとだけ考えてみたことがある。

やまもも書斎記 2016年7月16日
「とと姉ちゃん」一銭五厘で召集できたのか
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/16/8132474

このなかで、私は、浅田次郎の小説『終わらざる夏』に言及しておいた。その浅田次郎が登場するWEB記事があった。

HUFF POST SOCIETY
2016年7月29日
元自衛官だった作家・浅田次郎さんが教えてくれた、戦争の知られざる6つの裏側
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/29/asada-jiro-kikyou_n_11190420.html

ここをみると、以下のような記述がある。召集令状がどのようにしてとどけられたのか、また、一銭五厘の表現についての箇所を引用する。

「赤紙は、召集される人の本籍地の市町村役場の「兵事係」つまり公務員によって届けられていた。」

「しかし、必ずしも召集される人が本籍地に住んでいるわけではない。その場合、実家にいる家族が、本人に知らせる必要がある。」

「当時のハガキは一銭五厘。郷里からのハガキで召集を知らされることも多く「一銭五厘の命」とも言われていた。」

以上のような記述をみると、やはり、召集令状は、役場の兵事係の人が、その本人の家(本籍地)に赴いて、手渡していたようである。NHKの朝ドラであれば、『マッサン』にあった描写が、まさにそれにあたる。

このようなことが、どうして正確に伝えられてきていないのだろうか。一銭五厘のハガキ一枚で、兵隊を召集できたのではない。比喩的にそのように言うことはあり得るとしても、実際には、どうであったかは、正確に伝えていく必要があるだろう。

ところで、最近、また、「一銭五厘」の表現を目にした。

「特に一銭五厘で召集された兵隊さんの家族としては(以下略)」(p.90)

一ノ瀬俊也.『戦艦武蔵-忘れられた巨艦の軌跡-』(中公新書).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/07/102387.html

事実はどうであったかは別の問題として、兵隊を召集することは、一銭五厘のハガキですむ、というような比喩的な認識は、そうとう広まっているように思える。

だれか、『赤紙はどうやって来たか』というような新書本でも書いてくれないかな。その必要はあると思うのだが。

「真田丸」におけるイエ意識2016-08-02

2016-08-02

『真田丸』……NHKの今年度の大河ドラマについて……である。この前は、忠誠心について考えてみた。

やまもも書斎記 2016年7月29日
「真田丸」における忠誠心
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/29/8141699

第30回 黄昏 2016年7月31日放送

これを見ると、どうも、主人公(真田信繁)の行動原理というか、エトスというかが、より鮮明になってきたように思える。つまり、イエに対する忠誠心である。

信繁は、豊臣秀吉の最晩年にむきあうことになる。そこで、認知症老人と化した老いさらばえた秀吉の身の回りの世話をする係のような役割をになっている。もう自分のことを、真田信繁とも認識してくれなくなった(認知症がすすんだ)秀吉を、懸命に介護している。

ここに見られるのは、豊臣家(イエ)への忠誠心としかいいようがないだろう。

その一方で、信繁は、秀吉の状態(老齢化している有様)について、兄(信幸)にうちあける。それが、最終的には、徳川家康の耳にはいることは、承知してのことであろう。だが、これは、再び戦乱の世になるかもしれないなかで、真田家(イエ)が生きのびるための手段としてであると、理解される。

つまり、ここで、信繁は、二つのアイデンティティにひきさかれることになる。

第一は、馬廻衆としてつかえている豊臣家の一員としてそのイエの安泰をねがう立場。

第二は、真田家の一人ととしてそのイエの存続をはかる立場。

たぶん、ドラマは、次回で、豊臣秀吉の最後ということになるのであろう。そして、その後、信繁はどうするのか。幼君・秀頼につかえて、豊臣家のためにつくすことになる。それと同時に、真田家のものとして、真田家の生き残りのために働くことになるのだろう、と推測する。

最後は、すでにわかっている。信繁は豊臣につき、兄(信幸)は徳川につき、最終的には、真田家は生き残ることになる。豊臣家はほろび徳川の幕府の時代になる。つまり、信繁は、滅び行くものに忠誠をつくすという道を選ぶことになる。ここでは、豊臣のイエの一員としての意識が強く前面に出ることになるのだろう。

物語はここに来て、もはや、かつての真田の郷は登場しなくなった。郷土に対するパトリオティズムは、出てこない。出てくるのは、豊臣のイエの一員、と同時に、真田のイエの一員という、ジレンマにひきさかれたアイデンティティである。

なお、このブログ記事では、イエと片仮名で書いてみた。これは、次の本のことを意識してのことである。

村上泰亮.『文明としてのイエ社会』.中央公論社.1979

一ノ瀬俊也『戦艦武蔵』2016-08-03

2016-08-03 當山日出夫

一ノ瀬俊也.『戦艦武蔵-忘れられた巨艦の軌跡-』(中公新書).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/07/102387.html

武蔵については、私は次のものは読んでいる。

吉村昭.『戦艦武蔵』(新潮文庫).新潮社.2009
※ただし、私が読んだのは、改版されるまえの旧版である。
http://www.shinchosha.co.jp/book/111701/

手塚正己.『軍艦武藏』上・下(新潮文庫).新潮社.2009
※これは、今では絶版で、新版が太田出版から出ている。

『軍艦武藏』上・下(新潮文庫)については、かなり以前にこのブログに書いている。

やまもも書斎記 2009年9月10日
『軍艦武藏』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/09/10/4571702

ところで、この本(一ノ瀬俊也『戦艦武蔵』)にえがかれた武藏(あるいは大和)については、基本的に次の二つの観点があるように思う。

第一に、いたずらに賛美も否定もしないという姿勢である。

たとえば、次のような箇所。

「明治以来、日本が蓄積してきた建艦技術の頂点に位置する大和・武藏に対しては、いたずらに賛美も否定もすることなく、日本近代史上の一産物として冷静に評価することが必要であろう。」(p.39)

このような視点を確認したうえで、武藏・大和についての、その技術が当時の世界の海軍のなかでどのように位置づけられるのか、また、それが、戦後日本の復興にどのように貢献したか(しなかったか)ということが、多様な証言をもとも多角的に論じられている。

第二に、上記のような視点をもちながらも、歴史の物語を見ていこうとという視点である。

たとえば、民俗学者の大月隆寛に言及して、つぎのようにのべる。

「戦前の日本には、戦争(いくさ、原文ルビ)物語を今日のような「嘘と真実」などという、ある意味でさかしい二分法をもって読む者などいなかったのだ。」(p.161)

そして、どのような武蔵の物語が形成されていったか、そして、それは、大和とどのようにちがうのかが、様々な視点から分析されている。

以上の二点が、この本の叙述の基本姿勢であるといってよいと思う。そして、そこに語られる様々な武藏の物語の、どのような部分に読者が共感するかどうか、これは、読者にゆだねられることになるのだろう。

武藏をめぐっては、種々の本がすでにある。吉村昭、手塚正己、佐藤太郎などの、武藏をめぐる作品のいくつか、それから、大和についての吉田満などを、比較検討して、どのような物語を、武藏に見出していったのか、構築していったのか、が検証されてされている。

だから、読後感としては……様々な武藏の物語が紹介されるので、読者としてはいささか混乱してしまいかねない。だが、著者の基本にある姿勢は、戦争を、「ファンタジー」として語ってきた歴史、そして、今の状態(たとえば「艦これ」)を、概観することにある。

おそらく、この本から読み取るべきものは、戦争の「事実」もさることながら、そこに人間がどのような意味を見出そうとしてきたのか、「ファンタジー」と見なす側面に光をあてて、その歴史的経緯を、時代背景とともに描こうとしたところにある、と読む。この本、最終的には、現代の「艦隊これくしょん」にまで言及してある。

この本は、武藏という戦艦について何かを知りたいという本ではない。そうではなく、「武藏」という「ファンタジー」がどのように形成され、継承されてきたのか、戦前から戦後・現代にいたるまでの時代の流れをふまえながら、その多様な面をとらえようとした本である。

なお、今年の夏、NHKが武藏をドラマ化する。
ザ・プレミアム「スペシャルドラマ 戦艦武蔵」
2016年8月6日
http://www4.nhk.or.jp/P4097/#block_schedule_1

ある意味では、ここでもまた、新たなる「武藏」の「物語」が作られていくことになるのであろう。

中国における権益と門戸開放2016-08-04

2016-08-04 當山日出夫

昨日のつづきで、一ノ瀬俊也『戦艦武蔵』からである。

一ノ瀬俊也.『戦艦武蔵-忘れられた巨艦の軌跡-』(中公新書).中央公論新社.2016
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/07/102387.html

孫引きにになるので、恐縮なのだが、興味深い箇所があったので書いておきたい。それは、なぜ、太平洋戦争にいたったのか、アメリカの態度と、中国における門戸開放についてである。

武藏、それから大和を生み出したのは、英米をふくめて各国の建艦競争とでもいうべきものである。それは、ある意味では、軍事的なバランスをたもつものであると同時に緊張ももたらす。

太平洋戦争の直接的な原因(これについてはいろいろな考え方があるであろうが)、その一つに、中国における権益をめぐっての日本と、英米の対立がある。この点について、著者(一ノ瀬俊也)は、次のように述べている。

「(建艦競争の)その背景にあったのは、日本と米英の中国をめぐる対立である。各国とも自分の言い分を通すために、その裏づけとしての軍事力、なかんずく海軍力を必要とした。争点の基本は大陸の諸権益だが、米国と英国では立場が違っていた。英国は中国に具体的な権益(天津、上海、香港といった通商の拠点)を持っていたが、米国にはなかった。それなのになぜ、日米は太平洋を挟んで対立していたのだろうか。」(pp.13-14)

これについては、歴史学者の北岡伸一の解説を引用してある。以下その孫引きである。

「「日中戦争によってアメリカが失い、あるいは脅かされていた現実の権益はわずかなものであった。問題は中国の統一と独立という理念であり、いつかアメリカの巨大な利益が生み出されるかもしれないという(中国市場の神話、ママ)想像上の利益であった。日本の中国侵略がかりに成功したとしても、それでアメリカが致命的なものを失うわけではない。こうした具体的な利害対立が少なかったゆえに、実は妥協が困難だったのである」(北岡『門戸開放政策と日本』)と。」(p.14)

そして、こうつづける。

「なるほど、具体的な利益のぶつかり合いなら相互に譲って妥協できるかもしれない。しかし理念同士の対立となると、どちらかが己の理念なり信念なりを枉げない限り、解決はできないのである。」(p.14)

だから、アメリカが悪いととも、逆に、日本は悪くなかったともいうことはないのであるが(とはいえ、やはり、日本が悪いということになるが)、太平洋戦争にいたる日米の対立が、かなり理念的なものであったがゆえに妥協点を見出すのが難しかった、この指摘は、重要だろうと思う。

そのようにいわれてみれば、アメリカという国は、具体的な権益で動いていると思える面もある一方で、理念的な判断をしていると思わせるところもある。このようなことは、21世紀の今日になってもかわならないのかもしれない。あるいは、今から、150年以上前、アメリカが日本に開国をせまったときから、継続していることなのかもしれない。

なお、この記事で引用(孫引き)した本は、次の本だろう。

北岡伸一.『門戸開放政策と日本』.東京大学出版会.2015
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-030155-8.html

聖なる空間としての神社2016-08-05

2016-08-05 當山日出夫

菅野覚明.『神道の逆襲』(講談社現代新書).講談社.2001
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061495609

この本については、また改めて書いてみたいと思っている。ここでは、この本の最終章「神様の現在」から、次のところを見てみたい。

「少なくとも、神社の最大勢力を占める神社神道は、定まった教義や教典を持っていない。しかし、そうした事情とはかかわりなく、神のあらわれを受けとめる知恵や力は、今日の神道界にも確実に保持されているように見える。」(p.272)

としたうえで、次のような事例をあげる。

「伊勢の皇学館大学構内に一歩足を踏み入れたときに受ける、あの折り目正しく張りつめた感じは、みずからのありようを積極的に神の境位へと反転させようとする伊勢神道・垂加神道の清浄・正直の伝統が変わらずに保たれていることを実感させる。」(p.272)

さらに、

「あるいは、ほとんど世俗的なイベントと化してしまっているような今日の結婚式においても、時に粛然と背筋を正されるような神のあらわれに出会うこともある。何年か前、筆者が都内の式場で出会った巫女舞い(中略)は、まさに大都会の華やかな式場の一隅にひそやかに神のあらわれを告げる緊迫した瞬間であった。」(p.272)

このようなことは、神社・神道がそうであるというよりも、むしろ、受け手である人間の方の感覚・感性の問題かもしれないと私などは思っている。われわれが神社の境内において、何を感じるか、である。

このような観点からは、すでにふれた本だが、

島田裕巳.『「日本人の神」入門-神道の歴史を読み解く-』(講談社現代新書).講談社.2016
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883702

の次のような記述とつながるものであると思う。

「明治神宮の場合もそうだが、平安神宮を訪れて、桓武天皇や孝明天皇の存在を意識する参拝者はそれほど多くはないだろう。(中略)重要なのは、そこが神を祀った神社であるという、その一点である。」(p.211)

これにつづけて、

「実はこれは、明治以降に創建された神社に限らず、神社一般にも当てはまることだろう。私たちが、どの神社でもいい、そこを訪れたときに祭神が何かということを考えることは決して多くはない。」(p.211)

「そうだとすれば、私たちは、それぞれの神社に祀られた個別の祭神に対して礼拝をしているのではなく、神一般に対して礼拝していることになる。」(pp.211-212)

そして、これにつづくこととして、島田裕巳の本では、「日本的一神教」の章で、天理教、それから、皇室祭祀、国家神道へと話しがつづいていく。

さて、上記のことを、私なりにいいかえるならば、「聖なる空間としての神社」とでもいうことができようか。そして、それは、そのような場所、そのようにあらしめている共同体のあり方と無縁ではない。われわれが、そのように感じるのである。

だが、そうはいっても、たとえば伊勢神宮(内宮・外宮)の境内にはいったときの神聖な感覚というものは、厳然としてあるという気もする。それはあくまでも「聖なる空間」であって、固有名詞をもった特定の祭神をまつる場所ではない。伊勢神宮においてさえも、その祭神が何であるかと、特に問うことはないように感じている。知識としては知っていても、である。

しかしながら、そこが「聖なる空間」であることを認識しつつも、どこかで、祭神が何であるかを意識せざるをえない神社がある……靖国神社である。(靖国神社には、私は、何度か行ったことがある。)

靖国神社については、いろいろと考えなければならないと思っている。

長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「なぜ多数決なのか?」2016-08-06

2016-08-06 當山日出夫

人間がものごとを論ずるとき、二つのタイプがあると私は考える。

第一には、直感的な洞察力で、ずばりとものごとの本質を見抜くようなタイプ。

第二には、順番に理詰めで、ものごとを追求していくタイプ。

この二つのタイプに分けて考えてみるならば、憲法について語ったものとしては、さきにとりあげた井上達夫の『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』などは、第一の、洞察力それも非常にラディカルな、に分類できるかもしれない。

でなければ、憲法九条を廃止する、というようなことはなかなか考えつくものではないと、私は感じてしまう。

やまもも書斎記 2016年7月20日
『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/20/8134764

他方、もう一つのタイプ、理詰めで考え抜いていくタイプは、憲法について語っている人として選ぶなら……私が読むような本であるから、一般的な書物を書くような人になってしまうのだが……長谷部恭男かもしれない。

やまもも書斎記 2016年7月13日
長谷部恭男『憲法とは何か』「立憲主義の成立」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/13/8130465

長谷部恭男の書いた新書本『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書)を、改めて読んでみたいと思う。この本については、すこし前にちょっと言及した。

やまもも書斎記 2016年7月21日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「ホッブズを読むルソー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/21/8135281

ここでは、ルソーと憲法の問題についてみた。あらためて、この本を最初から読んでいってみることにする。

長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/

この本、いまから10年以上前に書かれた本である。まだ、昨今の安保法制議論のはじまる前に書かれている。この人の書いたものを読んでみたいと思ったのは、もちろん、安保法制の審議において、法案は憲法違反であると論じた一人でもあるからである。

さて、本題である。

が、その前に、「あとがき」を見ておきたい。これが面白い。本を手にとってまず後書きから読むような人を想定して(私のような人間か)、次のようにある。(p.203)

「第一に、「憲法と平和」とくれば、憲法に反する自衛隊の保持を断固糾弾し、その一日も早い完全廃棄と理想の平和国家建設を目指すべきだという剛毅にして高邁なるお考えの方もおられようが、そういう方には本書は全く向いていない。」

「第二に、「憲法と平和」とくれば、充分な自衛力の保持や対米協力の促進にとって邪魔になる憲法九条はさっさと「改正」して、一日もはやくアメリカやイギリスのように世界各地で大立ち回りを演じることのできる「普通の国」になるべきだとお考えの、自分自身が立ち回るかはともかく精神的にはたいへん勇猛果敢な方もおられようが、そういう方にも本書は全く向いていない。」

このような「あとがき」を読んでしまうと、やはり読まざるをえないでないないか、と私などはついつい思ってしまう。で、ともかく読んでみることにする。

そして、ようやく本題にはいる。

この本の「第1章」は、「なぜ多数決なのか?」から始まる。

多数決でものごとを決めるのは、民主的なルールと、私などは、思い込んでいる方かもしれないのだが、改めて問われると、多数決でものごとを決めることの意味は何であるのか、よく分かっていない。そもそも、あまり考えていないことに、気づく。多数決で決める=民主主義と思い込んでいるのである。もちろん、いわゆる「少数意見の尊重」ということを配慮するにしてもである。

著者は、ここで、多数決を採用する理由を四つあげている。その詳細は、はぶくことにするが、ともあれ、多数決でものごとを決めるという簡単なことをとってみても、政治哲学、社会思想史の背景があってのことだと、いろいろと考えさせられる。

このような指摘は重要だろう。

「さらに、問題がきわめて専門的なものであったり、人々が偏見にとらわれがちな問題であったりすれば、人々の平均的な判断能力は低下し、そのため多数決が正しい結論を導く確率も、投票者の数の増大とともに低下することになる。少数者の人権にかかわる問題が、民主的な多数決ではなく、政治過程から独立した裁判所の判断に委ねられるべきだといわれるのも、こうした考慮からすれば、納得がいくことになろう。」(p.28)

そして、なぜ多数決なのか、という問いのたてかたは、なぜ民主主義なのか、という問いにつながっていく、とある。

なお、多数決をめぐっては、最近出た次の本があることは承知している。

坂井豊貴.『多数決を疑う-社会的選択理論とは何か-』(岩波新書).岩波書店.2015
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1504/sin_k824.html

追記 2016-08-07
このつづきは、
2016年8月7日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「なぜ民主主義なのか?」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/07/8147343

長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「なぜ民主主義なのか?」2016-08-07

2016-08-07 當山日出夫

つづきである。

長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/

やまもも書斎記 2016年8月2日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「なぜ多数決なのか?」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/06/8146766

面倒なようだが、順番に著者の言っていることを追ってみることにする。(この本は、そのような読み方を要求する本だと思うのである。)

第2章「なぜ民主主義なのか?」

「なぜ多数決なのか?」(第1章)という問いをうけて、

「まず、なぜ多数決なのかという問題と、なぜ民主主義なのかという問題は同じではない。」(p.30)

としたうえで、

「なぜ多数決なのかという問題に対するさまざまな答えは、なぜ民主主義なのかという問題に答える際にも、流用することが可能であろう。」(p.30)

そして、民主主義には二つの立場があるとする。(p.31)

「第一は、そうした社会の決定には、客観的に見て正しい答えがあるのであって、民主主義および多数決は、その「正解」を発見するための、あるいは少なくともそれに近づくための、手段だという見方である。」

「第二は、政治的な決定には、人々が抱いているさまざまな主観的見解を超える「客観的な正解」は存在せず、したがって、われわれは民主的な手続きに従って出された答えを、「自分たちの答え」として受け入れるしかないという見方である。」

さらに、もう一つの立場があるとする。ハンナ・アーレントの立場である。

「民主政治に参加すること自体が人を真に人たらしめることであり、ともかく参加すること自体に意義があるという考え方を見出すことができる。」(p.34)

この立場については、このように留保をつけている。

「こうした民主政治の見方は、意外と広く支持されている。とくに、インテリの間にこうした見方をする人がしばしば見られる。しかし、こうしたヒステリカルな民主政治観は、民主政治の意義を過剰に評価しているとともに、議論そのものとしても、自家撞着を起こす、成り立ちえない議論のように思われる。」(p.35)

ハンナ・アーレントの立場を「ヒステリカル」といってしまうのは、どうかと思うひともいるかもしれない。そして、つぎに、民主主義は必ずしも最善の答えをみちびくものではないことをいう。

「民主主義が期待されている最低限の役割、つまり人々の意見の対立する問題について、社会全体としての統一した結論を下すという役割を果たしうるには、一定の条件がある。その条件がそろっていないところで、民主主義が社会全体としての統一した結論を出そうとすると、社会はむしろ対立の度合いを深刻化させ、分裂を招きかねない。」(p.39)

具体例として、アメリカの南北戦争とか、フランスのアルジェリア問題、ワイマール共和国の事例などをあげる。

そして、ロバート・ダールに依拠して、つぎのようにのべる。

「通常の民主的政治過程によっては到底解決できないこともありうる。」(p.40)

「経済的・文化的にさほどの危機にさらされているわけでもなく、かつ、平等な権利を享有するメンバーのみから成っているはずの民主社会であっても、なお、民主的には決めるべきではない問題群がある。立憲主義による民主主義の制限がそれである。」(p.42)

「民主主義を使うべきではない場面がある。この世の中には、社会全体としての統一した答えを多数決で出すべき問題と、そうでない問題があるというわけである。答えを先取りしていえば、その境界を線引きし、民主主義がそれを踏み越えないように境界線を警備するのが、立憲主義の眼目である。」(p.41)

この観点をさらに、先取りしてのべるならば、安全保障にかんする議論は、憲法に明記すべきことがらであって、そのときどきの民主主義(強いていえば、多数決、あるいは国民投票など)で決めるべきことではない、ということになる。

これは、先に見た井上達夫の考え方と、まっこうから対立する立場ということになる。井上達夫は、憲法九条を削除したうえで、安全保障にかかわることは、通常の民主主義の手続きで決めるべきだといっている。

やまもも書斎記 2016年7月24日
井上達夫「憲法と安全保障」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/24/8137326

このような、議論の対立を、法学の方面でどのように議論を整理すればいいのか、門外漢には分からないとしかいいようがない。しかし、ここで、長谷部恭男の議論にしたがって考えるならば、少なくとも、立憲主義というのは、民主主義を制限するものである、ということになる。

安保法制についていえば、このような国の安全保障にかかわるような重大なことは、国民主権なんだから国民が決めるべきである、国民投票をすべきである、極論すればこのような立場……安保法制に反対した人の多くの意見・心情としてはこのようなものだろう……への、反論ということになる。安保法制は、憲法で決めておくべきことであって(立憲主義)、通常の民主主義の手続きによってはならない、ということになる。

ここで確認しておくと、立憲主義は民主主義を制限するものなのである。

追記 2016-08-09
このつづきは、
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「比較不能な価値の共存」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/09/8148465

米窪明美『天皇陛下の私生活』2016-08-08

2016-08-08

長谷部恭男の本ばかりつづくのもどうかと思うので、ちょっと方向を変えてみる。今日(2016年8月8日)は、今上天皇の、生前退位をめぐっての発表も予定されている。

米窪明美.『天皇陛下の私生活-1945年の昭和天皇-』.新潮社.2015
http://www.shinchosha.co.jp/book/339751/

この本は、タイトルのとおり、1945(昭和20)年の、昭和天皇の一年を記したものである。特に政治的な面ではなく、私生活に焦点をあてて記述してある。だが、それにとどまることなく、昭和戦前の宮中での天皇の生活の様子とかも、いろいろと興味深い。また、いくら私生活に限定するといっても、昭和20年のことである、終戦の決断から玉音放送、さらには人間宣言までのエピソードが、随所におりこまれている。

この本は、まず、昭和20年の正月の行事(四方拝)からはじまる。戦時中、昭和天皇は、空襲をさけるため御文庫で起居していた。また、この本で知ったのだが、戦時中、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)も、臨時に移動していた。そして、四方拝の行事を始めようというときになって、空襲警報のサイレンが鳴ったという。結局、四方拝の行事は、御文庫の近くにさらに臨時の場所を設営してそこで行うことになったとある。

いろいろ興味深いことが書いてある本である。

たとえば、昭和天皇は、戦時中であるにもかかわらず、闇の品物には手をださなかったという。とはいえ、それは、宮中のことである。なにがしかは、どうにかなっていたようだが、記録されているメニューを見ると、実に貧相なものである。戦争中は、昭和天皇といえども、食べるものでは苦労していたんだんなあ、と実感される。

だが、そのような状況であるにもかかわらず、例年どおり田植えをしていた。これは、日本国の祭祀を司る天皇として、五穀豊穣を祈って、欠くことにできない行事であったのであろう。

玉音放送の日……日本のいちばん長い日でもあるが……反乱軍が宮中に押し入って録音盤を探してまわったことは、知られていることだろう。どうやら、そのとき、昭和天皇は、反乱が起こったことを知らずに、寝ていた(らしい)。ここも、「らしい」としかいいようがない記述になっている。

また、終戦にあたって、昭和天皇は、退位ということを考えていた形跡もあるという。

人間宣言にかかわるくだりを引用してみる。

(木戸の記述を整理すると)「天皇は自分のことを、神ではないが神の子孫であると、考えていたと読み取れる。ダーウィンの胸像を自室に飾りながら、三種の神器と国体護持とは切り離せない一体のものと信じる天皇は、科学者であると同時に神の末裔であることに何の矛盾も感じていなかった。」(pp.197-198)

そして、人間宣言の詔書に、五箇条の御誓文をいれたのは、天皇自らの意思によってであるとされる。このことについて、著者は次のように記している。

「これから始まる新日本建設の礎石に明治以来の日本独自の民主主義、明治天皇が神に誓った民主主義を据えたのだ。」(p.200)

五箇条の御誓文の評価については、今日の観点からは、いろいろ言うこともできよう。だが、昭和戦後まもなくの時点において、昭和天皇自らの意思として、これを確認するところから、新日本の再建に踏み出したということは、記憶されてもよいことであると思う。

ともあれ、この本は、面白い。

明治天皇については、すでにこのブログでもふれた。

やまもも書斎記 2016年5月29日
米窪明美『明治天皇の一日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/05/29/8097931

やまもも書斎記 2016年6月13日
米窪明美『明治宮殿のさんざめき』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/13/8110191
 
この本『天皇陛下の私生活』は、昭和戦前における、宮中での天皇の生活誌としての側面ももっている。この意味でも、また、昭和という時代において、天皇とはいかなる存在であったのかを考えるうえでも、非常に有益な本であると思う。

長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「比較不能な価値の共存」2016-08-09

2016-08-09 當山日出夫

つづきである。第3章を読んでみる。

長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/

やまもも書斎記 2016年8月7日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「なぜ民主主義なのか?」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/07/8147343

第3章は、このようにはじまる、「立憲主義は西欧起源の思想である」。

あたり前のことかもしれないが、これは重要だろう。たとえば、「憲法」といえば、右翼的な立場からよく出てくる「憲法十七条」(聖徳太子)、このような憲法と、近代の立憲主義は別物であることの確認がまず必要と思う。同じ「憲法」の語をもちいてはいるが。

(グロティウスやホッブズなどの社会契約論者は)「すべての人が生まれながらにして自己保存への権利、つまり自然権を持つという考え方をベースに、異なる価値観の共存しうる社会の枠組みを構築しようとした。立憲主義のはじまりである。」(p.50)

「人々の抱く価値観が根底的なレベルで対立しており、しかも、各人が自分の奉ずる価値観を心底大切だと考えているような状況で、人々が平和に社会生活を送ることのできるよな枠組みを作ろうとすれば、まず、人々の抱く価値観が社会生活の枠組みを設定する政治の舞台に入り込まないようにする必要がある。公と私の区分、より狭くいえば、政治と宗教との区分が、こうして要請される。」(p.59)

「自然権論も、それにもとづく立憲主義も、何か特別の宗教や哲学によって基礎づけられているわけではないことには注意が必要である。立憲主義の底を掘っていくと、たとえば、人間だけが平等な権利を生来与えられたものとして万物の創造主によって創造された、というテーゼに行き当たるわけではない。そうした特定のテーゼに寄り掛かったのでは、そのテーゼを信奉する人しか、立憲主義を支持することはできない。それでは、根底的に異なる価値観を抱く人々の間に、公正な社会生活の枠組みを打ち立てることはできない。」(pp.60-61)

このように、近代社会にあって、様々な価値観が共存することを前提として、それをなりたたしめるものとしての立憲主義、このことの確認は重要になる。これを基本にしたうえで、少数派の権利が守られなければならない。そのために、硬性の憲法典が必要になるのだという。

「現代の立憲主義諸国で広く採用されている制度、つまり、民主的な手続きを通じてさえ侵すことのできない権利を硬性の憲法典で規定し、それを保障する任務を、民主政治のプロセスから独立した地位を保つ裁判所に委ねるという制度(違憲審査制)は、民主的な手続きに過重な負担をかけて社会生活の枠組み自体を壊してしまわないようにするための工夫でもある。」(p.62)

このような立場を確認するところからは、これから議論されるかもしれない、憲法改正案、特にその九十六条改正については、きわめて慎重でなければならないことになる。繰り返し確認しておくならば、立憲主義とは、民主的な手続きに制限をかけるものである。立憲主義……憲法を尊重せよ……ということは、必ずしも、多数決で主権者=国民の声を聞け、ということには、つながるものではないのである。いや、逆に、そのような国民の声にブレーキをかけるのが立憲主義、ということになる。

追記 2016-08-10
このつづきは、
長谷部康夫『憲法と平和を問いなおす』「公私の区分と人権」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/10/8149048

長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「公私の区分と人権」2016-08-10

2016-08-10 當山日出夫

つづきである。今日は、第4章。

長谷部恭男.『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書).筑摩書房.2004
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480061652/

長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「比較不能な価値の共存」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/09/8148465

まず、「公と私の区分が、決して人間の本性にもとづいた自然なものではないといいうことである。」(p.65)の再確認からはじまる。

「そうした人間の本性を放置すれば、究極の価値観をめぐって「敵」と「友」に分かれる血みどろの争いが発生する。それを防いで、社会全体の利益にかかわる冷静な討議と判断の場を設けようとすれば、人為的に公と私とを区分することが必要となる。」(p.65)

そして、「人権」について、次のようにある。

「比較不能な価値観を奉ずる人々が公平に社会生活を送る枠組みを構築するために、公と私の人為的な区分を線引きし、警備するためのものである。プライバシーの権利、思想・良心の自由、信教の自由は、その典型である。」(p.65-66)

そして、信教の自由、自己決定(同性愛など)、愛国心について述べることになる。

自己決定のところにはこのようにある。

(同性愛などの問題は)「具体的なあれこれの自由が憲法によって保障されているか否かは、二次的な問題であり、核心的な問題を解決した結果を後から振り返ったとき、たまたま現れる帰結である。」(p.69)

そして、立憲主義の本当の目的は、

「人生はいかに生きるべきか、何がそれぞれの人生に意味を与える価値なのかを自ら判断する能力を特定の人間に対して否定することが、許されるか否かである。」(p.69)

としたうえで、

(同性愛などへの反対は)「彼らが心の底から大切にしている生き方が、社会の他のメンバーにとっては「気持ちの悪い」、あるいは既存の「社会道徳」に反するものと思われるからというものである。立憲主義はそうした扱いを許さない。」(p.69)

「愛国心」については、次のようににある。

「過去の歴史ゆえに、それへの反感をも含めてさまざまな反応を呼び起こしがちなシンボル(=国家、国旗のこと、引用者)を正面に掲げて、それへ示された態度のいかんで成績を定めることは、むしろ、社会公共の問題に対するそうした冷静な分析をさまたげ、かえって、学校のなかに、正体のはっきりしないモヤモヤした感情をめぐって亀裂をもたらしかねない。」(pp.70-71)

「国旗や国歌に対する人々の態度は、実際の日本社会に対する人々の態度を鏡のように示しているだけのことである。鏡に映る自分の姿が気に入らないからといって、鏡の像を無理やり加工しようとしても、得られるものは多くはないだろう。」(p.71)

ここで述べられていることを私なりに理解するならば、憲法は公私の区分をする。この方針は厳格なものである。しかし、具体的に何を区分して自由とするかは、きわめて慎重でなければならない。憲法に明記すればよいというものではない。そうではなく、私の感情にかかわる領域があるという区分を意識することこそが重要なのであって、その領域に公がふみこんではならない、ということになる。この姿勢こそが、立憲主義である、と理解する。

この意味においては、憲法に「愛国心」などの、個人の生き方、価値観、感情にかかわることをとりこむことは、立憲主義に反することになる。

憲法によって人権は保障されなければならない。しかし、具体的にどのような権利が、どのように保障されるべきなのかは、慎重なあつかいが必要である。それは、社会のあり方をふまえて、結果的に憲法に反映されるという性質のものである。私は、このように理解して読んだ。

「愛国心」についていえば、それを憲法に明記することは、ふさわしいことではない、ということになる。ただ、これは、「愛国心」そのものを否定しているのではない。立憲主義の立場から、憲法に明記することの是非をめぐっての議論である。

そして、確認しておくならば、愛国心とか、社会道徳とかの問題は、多数決で決めるべきことではない、ということになる。

追記 2016-08-11
このつづきは、
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「公共財としての憲法上の権利」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/11/8149599