加藤陽子『戦争まで』「百年前の古傷がうずく現代史」 ― 2016-09-11
2016-09-10 當山日出夫
加藤陽子.『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』.朝日出版社.2016
http://www.asahipress.com/sensomade/
この本については、また改めて書いてみたいと思っている。いつものように、後ろの方がから読んで気になったこと。ここでは、以前に書いたこととの関連で、一つだけ記しておきたい。
中東におけるISの存在をどう見るか、ということである。
やまもも書斎記 2016年7月12日
長谷部恭男『憲法とは何か』「冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/12/8129901
やまもも書斎記 2016年7月21日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「ホッブズを読むルソー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/21/8135281
ここで記した、ホッブズとルソーに依拠して、長谷部恭男の言っていること……戦争とは国家と国家との間の戦いであり、それは、相手側の憲法を書き換えさせることを目的とする、というあたりのことである。この考えかた、著者(加藤陽子)は、かなり気にいっているようである。この本の冒頭で、まずこの考えを紹介してある(p.24)。そして、また、最後の方ででてくる。
ところで、私は、このように書いておいた。
「だが、このルソーの議論は、「国家」が「憲法」という基本原則を持つという状態においてしか、なりたたない現在、世界で問題となっている、国家を相手としない「テロとの戦い」に、この論理が適用できるかどうかは、また別の観点が必要であろう。」(7月12日)
今、世界でいわれている「テロとの戦い」を象徴するのがISとの戦いであることは、大方の異論はないと思う。では、ISは「国家」なのか、という疑問がある。
『戦争まで』の「終章 講義のおわりに」の「百年前の古傷がうずく現代史」(p.444)で、以下のような議論を展開している。
ISの目的が、第一次大戦後イギリス・フランスの間でむすばれたサイクス・ピコ協定への攻撃、これを使っているとしている。
「百年前のサイクス・ピコ協定を終わらせる、との主張自体、彼らの組織と権力を成り立たせている正統性原理として機能しているのだと思います。/ですから、ISと各国の戦いは、テロリストとの戦いであって、それは、お互いの憲法原理を攻撃する戦争ではない、とは必ずしも言えないのではないかと私は考えています。ルソーの見立ては、この非対称的に見える紛争においても、十分に通用しているのではないでしょうか。」(p.447)
確かにこのように言われてみると、ISには、それなりの正統性を主張する理由はある、ということになる。であるならば、このISとの戦いを終わらせるには、ISの主張の根底にある歴史……百年前にさかのぼって歴史を検証し、納得する結果を導き出すほかはないことになる。ただ、武力攻撃すればよいというものではない。
だからといって、現在の世界のテロ行為すべてが、これで説明できるわけでもないようにも思われる。はたして、現代の世界における紛争のすべてが、このように理解されうるものなのであろうか。
そして、また、次のような疑念も残るのである……武力によって強引に書き換えさせられた憲法は、はたしてどこまで有効であろうか。もちろん、これは、現在の日本における改憲論議を念頭に言っている。力によって作られた憲法は、その有効性として、また別の問題をはらむように思えてならない。
たぶん、憲法の制定を歴史的に見るというこの視点は、現在の憲法が改定されることがあるとすれば、それは、現代史におけるどのようなポイントにおいてであるのか、という視点を導き出すことになる。戦後70年を経て、日本はその「戦後」の歴史をどのように描くことなっているのか、このような観点から近現代史を見ることになる。
憲法の制定(あるいは、改定)の問題は、現代の問題であると同時に歴史の問題であもある。
追記 2016-09-12
『戦争まで』については、
2016年9月12日
加藤陽子『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/12/8182853
加藤陽子.『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』.朝日出版社.2016
http://www.asahipress.com/sensomade/
この本については、また改めて書いてみたいと思っている。いつものように、後ろの方がから読んで気になったこと。ここでは、以前に書いたこととの関連で、一つだけ記しておきたい。
中東におけるISの存在をどう見るか、ということである。
やまもも書斎記 2016年7月12日
長谷部恭男『憲法とは何か』「冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/12/8129901
やまもも書斎記 2016年7月21日
長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』「ホッブズを読むルソー」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/21/8135281
ここで記した、ホッブズとルソーに依拠して、長谷部恭男の言っていること……戦争とは国家と国家との間の戦いであり、それは、相手側の憲法を書き換えさせることを目的とする、というあたりのことである。この考えかた、著者(加藤陽子)は、かなり気にいっているようである。この本の冒頭で、まずこの考えを紹介してある(p.24)。そして、また、最後の方ででてくる。
ところで、私は、このように書いておいた。
「だが、このルソーの議論は、「国家」が「憲法」という基本原則を持つという状態においてしか、なりたたない現在、世界で問題となっている、国家を相手としない「テロとの戦い」に、この論理が適用できるかどうかは、また別の観点が必要であろう。」(7月12日)
今、世界でいわれている「テロとの戦い」を象徴するのがISとの戦いであることは、大方の異論はないと思う。では、ISは「国家」なのか、という疑問がある。
『戦争まで』の「終章 講義のおわりに」の「百年前の古傷がうずく現代史」(p.444)で、以下のような議論を展開している。
ISの目的が、第一次大戦後イギリス・フランスの間でむすばれたサイクス・ピコ協定への攻撃、これを使っているとしている。
「百年前のサイクス・ピコ協定を終わらせる、との主張自体、彼らの組織と権力を成り立たせている正統性原理として機能しているのだと思います。/ですから、ISと各国の戦いは、テロリストとの戦いであって、それは、お互いの憲法原理を攻撃する戦争ではない、とは必ずしも言えないのではないかと私は考えています。ルソーの見立ては、この非対称的に見える紛争においても、十分に通用しているのではないでしょうか。」(p.447)
確かにこのように言われてみると、ISには、それなりの正統性を主張する理由はある、ということになる。であるならば、このISとの戦いを終わらせるには、ISの主張の根底にある歴史……百年前にさかのぼって歴史を検証し、納得する結果を導き出すほかはないことになる。ただ、武力攻撃すればよいというものではない。
だからといって、現在の世界のテロ行為すべてが、これで説明できるわけでもないようにも思われる。はたして、現代の世界における紛争のすべてが、このように理解されうるものなのであろうか。
そして、また、次のような疑念も残るのである……武力によって強引に書き換えさせられた憲法は、はたしてどこまで有効であろうか。もちろん、これは、現在の日本における改憲論議を念頭に言っている。力によって作られた憲法は、その有効性として、また別の問題をはらむように思えてならない。
たぶん、憲法の制定を歴史的に見るというこの視点は、現在の憲法が改定されることがあるとすれば、それは、現代史におけるどのようなポイントにおいてであるのか、という視点を導き出すことになる。戦後70年を経て、日本はその「戦後」の歴史をどのように描くことなっているのか、このような観点から近現代史を見ることになる。
憲法の制定(あるいは、改定)の問題は、現代の問題であると同時に歴史の問題であもある。
追記 2016-09-12
『戦争まで』については、
2016年9月12日
加藤陽子『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/12/8182853
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