『おんな城主直虎』あれこれ「誰がために城はある」2017-07-04

2017-07-04 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年7月2日、第26回「誰がために城はある」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story26/

前回は、
やまもも書斎記 2017年6月27日
『おんな城主直虎』あれこれ「材木を抱いて飛べ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/27/8605216

前回、ちょっとだけ出てきた「気賀の町衆」ということばが、この回では、大きな意味をもつようになってきた。

ただ、歴史的に見て、中世、戦国時代の地方都市である気賀のようなところに、「町衆」というべき人びとの暮らし、そして、生活の組織があったのかどうか、ということは、問題のあるところなのかもしれない。しかし、このドラマは、中世、戦国時代における、非農業民とでもいうべき人びとを、かなり積極的に描こうとしているようである。その意味では、気賀という町、そして、そこにすむ「町衆」といわれる人びと、これは、重要な意味をもってくる。

今川の支配下にありながら、銭を納めるということで、自治権を得ているという設定になっている。町衆にとって何よりも大事なのは、自治権である。自由に商売、交易ができる権利といってもよい。それを、今川は自己の勢力下におさめようとしている。

このあたりのことは、中世史の立場からそれなりの時代考証をしてのことだろうとは思ってみている。とにかく、百姓=定住=農耕=米作、といった図式から離れた人びとを、どのように描くかが、このドラマの面白さになっている。

そこで、最も「自由」に生きているのが、龍雲丸ということになるのであろう。「自由」な生き方をもとめている龍雲丸と対比することによって、今川の支配下において、武家としてしか生きられない、井伊のイエをせおっている直虎の生き方が、より鮮明なものになってくる。

ところで、今回は、ネコが出てきていた。あのネコは、和尚の飼っているネコではないのか……直虎と政次が囲碁をしているよこでおとなしくしていた。そして、和尚にも抱かれていた。同じネコなのだろうか。

次回はどうなるだろうか……直虎は今川に忠義をつくす立場をとらざるをえないことになるのだろうが、それは、あくまでも、井伊のイエを守るための選択肢としてにすぎない。結局は、徳川につくことになることを現代の我々は知っている。このあたりのプロセスで、今川の末路をどうえがくことになるのか、それに、井伊のイエはどのように対応していくことになるのか、このあたりが、これからの見どころかと思っている。

追記 2017-07-11
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年7月11日
『おんな城主直虎』あれこれ「気賀を我が手に」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/11/8618205

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