『おしん』あれこれ(その一一)2020-03-02

2020-03-02 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2019年12月14日
『おしん』あれこれ(その一〇)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/14/9188996

今、ドラマは終盤である。スーパーたのくらの経営者としてのおしんの姿が描かれる。ここでは、もう「家」というものが表に出てこない。それよりも、「家族」である。田倉の「家族」の人びとの生活を描いているのが、このドラマの最後の部分であると見ている。

希望は、百合と結婚して、窯をつくり独立することになる。が、その百合も交通事故で死んでしまって、子どもの圭と生きていくことになる。

一方、長男の仁は、妻の道子との関係が今一つうまくいかない。かつての百合とのことが、どこかしこりになって残っている。家族とのことが順調でない仁は、そのこともあってか、より一層のことビジネスにのめり込んでいく。次々と支店を増やすことになる。

娘の禎も、結婚して、これはこれで田倉の経営の一部を担っている。

このような「家族」のなかにあって、けなげに生きているのは、初子である。田倉に奉公でやってきて以来、ずっとこの家に住み続けることになる。そして、今では、田倉の「家族」の一員である。

この田倉の「家族」の軸になる位置にいるのが、老年になったおしんということなのであろう。

かつて、このドラマは、「家」のドラマであった。山形の小作農とはいえ一つの「家」であった谷村、そして、佐賀の田倉の「家」での嫁としての生活。「家」から自由になることができたのが、東京で生活であったり、あるいは、これは短い期間ではあったが、酒田での飯屋の仕事であった。そして、最終的には、浩太の縁故ということで、三重におちついて、ここで生活の基盤を築くことになる。この三重の田倉は、「家」というよりも「家族」というべきであろう。

三重の田倉も、戦争を経て、竜三と雄の死ということがあった。田倉の「家族」は、おしんが支えてきた。そして、老年をむかえたおしんの気がかりなのが、この三重での田倉の「家族」の面々の生活ということになる。

また、酒田の加賀屋という「家」とともに生きざるをえなかった(そして、死んでしまったのが)加代ということになるであろうか。

それから、ドラマを見ていて感じるのは、このドラマは、まさに日本の戦後の復興から高度経済成長を描いていることである。この時代の流れに乗って、スーパーたのくらは営業規模を拡大してきている。そもそも、セルフのスーパーの方式が、戦後の生活スタイルの変化をうけてのものである。

『おしん』というドラマの戦後編は、戦後の日本の復興から経済成長をとげた時代における、ある一つの「家族」の物語として見ることができると思う。

さて、三月になって、一年続いてきたこのドラマも終わりに近づいてきた。以前の再放送の時に見ているので、最後のところはよく憶えているのだが、ここは、近代の日本とともに生きてきたおしんという女性の物語として、結末をもう一度見届けてみたいと思う。

2020年3月1日記

追記 2020-03-23
この続きは、
やまもも書斎記 2020年3月23日
『おしん』あれこれ(その一二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/23/9227300