『チョッちゃん』(2025年6月2日の週) ― 2025-06-08
2025年6月8日 當山日出夫
『チョッちゃん』(2025年6月2日の週)
この週で蝶子は要と結婚する。その許しをもらうために、蝶子たちは北海道の滝川に行くことになる。この顚末がこの週の見どころということになる。
何よりも印象深いのが、父親の俊道(佐藤慶)である。はっきりいって素直でない。また、小心者でもある。家のなかでは(この時代だからということもあるが)いばっている。そして、蝶子のことを深く思っている。
蝶子が要と結婚すると手紙で知らせてきても、表面的には、ただ怒るだけである。滝川に蝶子と要とおじさんの泰輔がやって来たのだが、そのことを知っても、やはり反対し続ける。蝶子と会おうともしない。なんともややこしい人物像なのだが、しかし、その心のうちでは、蝶子のことを自分の娘としてとても大事にしている。
蝶子と要の結婚を認めるかどうかということだけのことなのだが、これをめぐって、父親の俊道、母親のみさ、おじさんの泰輔、これらの人びとの気持ちが錯綜する。それを、たっぷりと、しかし、だれることなく、この週で描いていた。父親の俊道は、特に雄弁に自分の本心を語るということはない。しかし、その気持ちは、見ていると確かに伝わってくる。診察室に閉じこもって窓の外に降る雪をながめているシーンは、非常に印象的である。
登場人物が自分の気持ちをことばに出して語ればそれでドラマを見ている人が理解できる……という、作り方ではない。その時代における人びとの考え方がどのようなものであって、そのなかで、各登場人物の性格の設定がしっかりしていて、このように思うことなるだろう、だが、ことばには出していえないこともあるだろう……こういうところが、見るものの想像力によって十分におぎなって見ることができる。
朝、BS4Kで連続して見ているので、『チョッちゃん』と『あんぱん』を比較して見てしまうことになるのだが、なにもかも登場人物に台詞で気持ちを語らせるという、『あんぱん』のような脚本については、やはり浅薄な印象をもってしまうことになる。見ていて想像して楽しむという余裕が、あったほうがいいと私などは思う。
土曜日の放送で、蝶子と要は結婚するが、その日に要は演奏旅行があって式ができないという。だが、蝶子は、おじさんの家でみんなで宴会ができればいいという。その宴会の席で、おじさんたちは、蝶子がいるところで、いろいろと「いやらしい」話しをする。おばさんの富子は顔をしかめるのだが、強いて制止しようとはしていない。それを聞いている蝶子は、訳が分からない顔をしている。なんともほほえましい光景のように、私などには見えるのだが、しかし、今の時代の価値観からするならば、完全にセクハラでアウトになるシーンだろう。昔、このようなドラマが作れた時代があったということになる。
2025年6月7日記
『チョッちゃん』(2025年6月2日の週)
この週で蝶子は要と結婚する。その許しをもらうために、蝶子たちは北海道の滝川に行くことになる。この顚末がこの週の見どころということになる。
何よりも印象深いのが、父親の俊道(佐藤慶)である。はっきりいって素直でない。また、小心者でもある。家のなかでは(この時代だからということもあるが)いばっている。そして、蝶子のことを深く思っている。
蝶子が要と結婚すると手紙で知らせてきても、表面的には、ただ怒るだけである。滝川に蝶子と要とおじさんの泰輔がやって来たのだが、そのことを知っても、やはり反対し続ける。蝶子と会おうともしない。なんともややこしい人物像なのだが、しかし、その心のうちでは、蝶子のことを自分の娘としてとても大事にしている。
蝶子と要の結婚を認めるかどうかということだけのことなのだが、これをめぐって、父親の俊道、母親のみさ、おじさんの泰輔、これらの人びとの気持ちが錯綜する。それを、たっぷりと、しかし、だれることなく、この週で描いていた。父親の俊道は、特に雄弁に自分の本心を語るということはない。しかし、その気持ちは、見ていると確かに伝わってくる。診察室に閉じこもって窓の外に降る雪をながめているシーンは、非常に印象的である。
登場人物が自分の気持ちをことばに出して語ればそれでドラマを見ている人が理解できる……という、作り方ではない。その時代における人びとの考え方がどのようなものであって、そのなかで、各登場人物の性格の設定がしっかりしていて、このように思うことなるだろう、だが、ことばには出していえないこともあるだろう……こういうところが、見るものの想像力によって十分におぎなって見ることができる。
朝、BS4Kで連続して見ているので、『チョッちゃん』と『あんぱん』を比較して見てしまうことになるのだが、なにもかも登場人物に台詞で気持ちを語らせるという、『あんぱん』のような脚本については、やはり浅薄な印象をもってしまうことになる。見ていて想像して楽しむという余裕が、あったほうがいいと私などは思う。
土曜日の放送で、蝶子と要は結婚するが、その日に要は演奏旅行があって式ができないという。だが、蝶子は、おじさんの家でみんなで宴会ができればいいという。その宴会の席で、おじさんたちは、蝶子がいるところで、いろいろと「いやらしい」話しをする。おばさんの富子は顔をしかめるのだが、強いて制止しようとはしていない。それを聞いている蝶子は、訳が分からない顔をしている。なんともほほえましい光景のように、私などには見えるのだが、しかし、今の時代の価値観からするならば、完全にセクハラでアウトになるシーンだろう。昔、このようなドラマが作れた時代があったということになる。
2025年6月7日記
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