『とと姉ちゃん』「常子、編入試験に挑む」「常子、新種を発見する」 ― 2025-06-08
2025年6月8日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、編入試験に挑む」「常子、新種を発見する」
たまたまになるが『あんぱん』で嵩の出征の場面のときと、『とと姉ちゃん』で制服が行方不明になる一件のときとが、同じ日(金曜日)の放送であった。どうしても見比べて見てしまう。
『とと姉ちゃん』は最初の放送のときも見ている。制服のことは、このドラマのなかでも印象に残るエピソードである。野暮を承知で書くと……森田屋の娘の富江は女学校に行くことなく家業の弁当屋で働いている。一方、住み込みで働いている常子たちの家族は、常子と鞠子が女学校に通っている。この時代、女学校に通えるということは、社会的階層としては、上の方の人びとのものであった。女学校にあこがれていた富江は、その制服を着てみたかっただけなのだが、それが事件になってしまう。
女学校がお嬢さまのものであったということは、常子の友達になる綾の家が豪邸であることからも表現されている。
この時代(昭和の戦前)にあった厳然たる社会的階層の違い、このことについて、登場人物が、どう自覚的であるか、あるいは、そうでないかということはあるにしても、見る側の知識としては、女学校に通えるということは、それだけで、ある程度以上の社会階層でなければならなかった、というのは常識的なことであった。強いていえば、女学校の制服は、社会階層の記号なのである。
さらに書いておけば、以前の『虎に翼』で、寅子が、東京女子高等師範学校附属高等女学校の制服であったのは、この時代における、最高レベルの階層である(経済的にも、知識・教養の文化資本の面でも)ことを意味していた。どうも、このことの意味を、このドラマの脚本も、あるいは、見て絶賛していた人たちも、あまり気にとめなかったことだったかもしれないが。
ことの善し悪しということを離れて、この時代がそういう時代であったということについて、『とと姉ちゃん』が作られたときは、まだ多くの視聴者がなっとくして見ていた時代だったと思うことになる。このような共通理解を前提としなくなったのが、『虎に翼』あたりぐらいからということになるだろうか。そして、『あんぱん』では、人間の心情をきわめて説明的に描写するようになっている。
それから、この週の放送で印象に残ったのは、間違って配達したお弁当について、すべてのお客さんに謝罪に行ったことである。その前には、青柳の店で、木曽のヒノキと青森のヒバとの取り違えについて、主人の滝子は、絶対に許容しないという態度であった。これは、素人目には、区別がつくようなものではないとしてもである。
この材木商として、弁当屋としての、ビジネスについての誠実さ、つまり信用ということが重視される脚本になっている。これは、この後、常子が「暮らしの手帖」(がモデルの雑誌)を刊行することになる、その伏線ということと理解できる。
金曜日の放送を見て気づいたが、『とと姉ちゃん』の植物学の監修は、田中伸幸であった。『らんまん』で名前を覚えることになった、植物学の先生である。
2025年6月6日記
『とと姉ちゃん』「常子、編入試験に挑む」「常子、新種を発見する」
たまたまになるが『あんぱん』で嵩の出征の場面のときと、『とと姉ちゃん』で制服が行方不明になる一件のときとが、同じ日(金曜日)の放送であった。どうしても見比べて見てしまう。
『とと姉ちゃん』は最初の放送のときも見ている。制服のことは、このドラマのなかでも印象に残るエピソードである。野暮を承知で書くと……森田屋の娘の富江は女学校に行くことなく家業の弁当屋で働いている。一方、住み込みで働いている常子たちの家族は、常子と鞠子が女学校に通っている。この時代、女学校に通えるということは、社会的階層としては、上の方の人びとのものであった。女学校にあこがれていた富江は、その制服を着てみたかっただけなのだが、それが事件になってしまう。
女学校がお嬢さまのものであったということは、常子の友達になる綾の家が豪邸であることからも表現されている。
この時代(昭和の戦前)にあった厳然たる社会的階層の違い、このことについて、登場人物が、どう自覚的であるか、あるいは、そうでないかということはあるにしても、見る側の知識としては、女学校に通えるということは、それだけで、ある程度以上の社会階層でなければならなかった、というのは常識的なことであった。強いていえば、女学校の制服は、社会階層の記号なのである。
さらに書いておけば、以前の『虎に翼』で、寅子が、東京女子高等師範学校附属高等女学校の制服であったのは、この時代における、最高レベルの階層である(経済的にも、知識・教養の文化資本の面でも)ことを意味していた。どうも、このことの意味を、このドラマの脚本も、あるいは、見て絶賛していた人たちも、あまり気にとめなかったことだったかもしれないが。
ことの善し悪しということを離れて、この時代がそういう時代であったということについて、『とと姉ちゃん』が作られたときは、まだ多くの視聴者がなっとくして見ていた時代だったと思うことになる。このような共通理解を前提としなくなったのが、『虎に翼』あたりぐらいからということになるだろうか。そして、『あんぱん』では、人間の心情をきわめて説明的に描写するようになっている。
それから、この週の放送で印象に残ったのは、間違って配達したお弁当について、すべてのお客さんに謝罪に行ったことである。その前には、青柳の店で、木曽のヒノキと青森のヒバとの取り違えについて、主人の滝子は、絶対に許容しないという態度であった。これは、素人目には、区別がつくようなものではないとしてもである。
この材木商として、弁当屋としての、ビジネスについての誠実さ、つまり信用ということが重視される脚本になっている。これは、この後、常子が「暮らしの手帖」(がモデルの雑誌)を刊行することになる、その伏線ということと理解できる。
金曜日の放送を見て気づいたが、『とと姉ちゃん』の植物学の監修は、田中伸幸であった。『らんまん』で名前を覚えることになった、植物学の先生である。
2025年6月6日記
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