『ばけばけ』「カイダン、ネガイマス。」 ― 2025-12-21
2025年12月21日 當山日出夫
『ばけばけ』「カイダン、ネガイマス。」
この週から、本格的な怪談の話しになるらしい。
ヘブン先生は、金縛りになる。おトキは、金縛りはお祓いでなおす(?)ことができるという。このときのおトキの動作が面白かった。ナンダラ、カンダラ、~~とおまじないめいたことばを言いながら、両手をこすり合わせていた。これを見て、ヘブン先生は、「ハエ」と言っていたが、これは、ひょっとして今の普通の視聴者には、分からないことだったかもしれない。日常生活で、蠅、というものを見なくなってしまったし、両手をこすり合わせる動作を蠅にたとえるというのも、今の日本語では、ほとんど使われない。(まあ、私は、ハエ取り紙とか、リボンとか、憶えているのであるが。)
大雄寺(日蓮宗らしい)で、住職にお祓いをしてもらう。そして、墓地に行って、住職から怪談を聞く。「水飴を買う女」である。この話しは、小泉八雲がその作品の中に書いている。どの本だったか憶えていない。(調べるのが面倒なだけでもある。)
このことをきっかけにして、ヘブン先生は、おトキに怪談を語ることをもとめる。おトキはヘブン先生の依頼にしたがうのだが、たぶん、このとき、はじめておトキは、ヘブン先生の部屋に一緒に入る。それまでは、ヘブン先生が学校に行っている間、掃除などで入ることはあったが、一緒に部屋に座ることはなかったかと思う。おトキとヘブン先生の距離が縮まったことでもある。
その怪談の語り方がが、芝居じみている。ふすまや窓を閉めて暗くして、二人の間に蝋燭をともす。怪談の話しが終わると、おトキは、その蝋燭を吹き消す。この趣向は、まるで「百物語」である。
怪談は、「鳥取の布団」である。この話しは、以前に、銀二郎と結婚していたときに、銀二郎から聞かされたものである。
何度も話して時間がたつ。夜遅くなってしまう。このことを、窓の障子の明るさ、室内の行灯とランプ、ということで表現している。
おトキの語る怪談に、ヘブン先生は、とても満足する。ヘブンの先生に気に入ってもらえたことに、おトキも心がはずむ。その気分が、帰り道のスキップで表現されている。橋を渡るときの下駄の音が印象的である。
ヘブン先生は、自分の日本滞在記のラストピースに、怪談を選ぶことになる。このあたりは、小泉八雲とちょっと違っている。小泉八雲が、日本の怪談に興味をもって、まとまった作品として、『骨董』『怪談』を書いたのは、その後、東京に移ってからのことになる。脚本としては、小泉八雲の日本での事跡の多くを、松江に滞在しているときのこととして描くことになっているようである。
季節はすすんで春になる。このことを、花田旅館の女将さんとおウメの会話で、朝あかるくなるのが早くなった、という会話で表現していた。こういうところは、上手い作り方だなと感じる。そして、これ以前に、おリヨ様とのことがあって、チェアを、ヘブン先生が逃がしてしまっている。春になって、ホーホケキョと鳴くかどうかで、本当にウグイスかどうか分かるということだったが、春になって、チェアの素性が分からなくてもいいことになる。チェアは、本当は、メジロだったのだが。
さらにヘブン先生が怪談を求めるので、おトキは、大雄寺に行って、住職から「水飴を買う女」の話しを教えてもらう。
この週の展開で上手い脚本だなと思ったのは、怪談を語るとき、通訳が介在していないことである。この前の週で、ヘブン先生は、自分は通りすがりであり、錦織との関係は深まることがない、と言っていた。それをうけて、錦織は、ヘブン先生の家に来なくなる。つまり、結果的に、ヘブン先生とおトキの通訳がいなくなったということである。しかし、通訳がいなくても、おトキの話す怪談に、ヘブン先生は興味をしめし感動する。そして、ヘブン先生に分かるように、おトキは、何度も何度も同じ話を繰り返す。英語の分からないおトキと、日本語をよく知らないヘブン先生との間で、コミュニケーションができるということになっている。
おトキが怪談を語るとき、本を見てはいけないとヘブン先生は言う。記憶した内容を、自分の表現で語ることを求める。これは、小泉八雲が、妻のセツに要求したこととして、知られていることでもある。
ささいなことだが、遊廓のおなみとか、小学校の先生をしているおサワとか、ちょっと出てくる。そして、おトキとの会話がある。これだけのことだが、おトキの日常の生活を描くことになっている。おそらく、橋の源助柱も、毎日、おがんでいるのだろう。
松野家に借金取りがやってくるのは、毎度のことである。それを嫌って、勘右衛門が塩をまけという。母のフミは、塩をまくのだが、このときは、本当に塩をまけたようである。昔、松野家が貧乏だったころは、借金取りがやってきて塩をまこうとしても、その塩さえも無かったということがあったので、おトキの働きもあって、松野家の暮らしが改善されていることが分かる。
松野家で生活が楽になって、朝ごはんはいくぶんマシになったらしい。だが、碁を打つとき、碁石は相変わらずシジミを使っている。
この週も、ヘブン先生の部屋のシーンでは、机の上のイライザの写真は映っていなかった。
2025年12月19日記
『ばけばけ』「カイダン、ネガイマス。」
この週から、本格的な怪談の話しになるらしい。
ヘブン先生は、金縛りになる。おトキは、金縛りはお祓いでなおす(?)ことができるという。このときのおトキの動作が面白かった。ナンダラ、カンダラ、~~とおまじないめいたことばを言いながら、両手をこすり合わせていた。これを見て、ヘブン先生は、「ハエ」と言っていたが、これは、ひょっとして今の普通の視聴者には、分からないことだったかもしれない。日常生活で、蠅、というものを見なくなってしまったし、両手をこすり合わせる動作を蠅にたとえるというのも、今の日本語では、ほとんど使われない。(まあ、私は、ハエ取り紙とか、リボンとか、憶えているのであるが。)
大雄寺(日蓮宗らしい)で、住職にお祓いをしてもらう。そして、墓地に行って、住職から怪談を聞く。「水飴を買う女」である。この話しは、小泉八雲がその作品の中に書いている。どの本だったか憶えていない。(調べるのが面倒なだけでもある。)
このことをきっかけにして、ヘブン先生は、おトキに怪談を語ることをもとめる。おトキはヘブン先生の依頼にしたがうのだが、たぶん、このとき、はじめておトキは、ヘブン先生の部屋に一緒に入る。それまでは、ヘブン先生が学校に行っている間、掃除などで入ることはあったが、一緒に部屋に座ることはなかったかと思う。おトキとヘブン先生の距離が縮まったことでもある。
その怪談の語り方がが、芝居じみている。ふすまや窓を閉めて暗くして、二人の間に蝋燭をともす。怪談の話しが終わると、おトキは、その蝋燭を吹き消す。この趣向は、まるで「百物語」である。
怪談は、「鳥取の布団」である。この話しは、以前に、銀二郎と結婚していたときに、銀二郎から聞かされたものである。
何度も話して時間がたつ。夜遅くなってしまう。このことを、窓の障子の明るさ、室内の行灯とランプ、ということで表現している。
おトキの語る怪談に、ヘブン先生は、とても満足する。ヘブンの先生に気に入ってもらえたことに、おトキも心がはずむ。その気分が、帰り道のスキップで表現されている。橋を渡るときの下駄の音が印象的である。
ヘブン先生は、自分の日本滞在記のラストピースに、怪談を選ぶことになる。このあたりは、小泉八雲とちょっと違っている。小泉八雲が、日本の怪談に興味をもって、まとまった作品として、『骨董』『怪談』を書いたのは、その後、東京に移ってからのことになる。脚本としては、小泉八雲の日本での事跡の多くを、松江に滞在しているときのこととして描くことになっているようである。
季節はすすんで春になる。このことを、花田旅館の女将さんとおウメの会話で、朝あかるくなるのが早くなった、という会話で表現していた。こういうところは、上手い作り方だなと感じる。そして、これ以前に、おリヨ様とのことがあって、チェアを、ヘブン先生が逃がしてしまっている。春になって、ホーホケキョと鳴くかどうかで、本当にウグイスかどうか分かるということだったが、春になって、チェアの素性が分からなくてもいいことになる。チェアは、本当は、メジロだったのだが。
さらにヘブン先生が怪談を求めるので、おトキは、大雄寺に行って、住職から「水飴を買う女」の話しを教えてもらう。
この週の展開で上手い脚本だなと思ったのは、怪談を語るとき、通訳が介在していないことである。この前の週で、ヘブン先生は、自分は通りすがりであり、錦織との関係は深まることがない、と言っていた。それをうけて、錦織は、ヘブン先生の家に来なくなる。つまり、結果的に、ヘブン先生とおトキの通訳がいなくなったということである。しかし、通訳がいなくても、おトキの話す怪談に、ヘブン先生は興味をしめし感動する。そして、ヘブン先生に分かるように、おトキは、何度も何度も同じ話を繰り返す。英語の分からないおトキと、日本語をよく知らないヘブン先生との間で、コミュニケーションができるということになっている。
おトキが怪談を語るとき、本を見てはいけないとヘブン先生は言う。記憶した内容を、自分の表現で語ることを求める。これは、小泉八雲が、妻のセツに要求したこととして、知られていることでもある。
ささいなことだが、遊廓のおなみとか、小学校の先生をしているおサワとか、ちょっと出てくる。そして、おトキとの会話がある。これだけのことだが、おトキの日常の生活を描くことになっている。おそらく、橋の源助柱も、毎日、おがんでいるのだろう。
松野家に借金取りがやってくるのは、毎度のことである。それを嫌って、勘右衛門が塩をまけという。母のフミは、塩をまくのだが、このときは、本当に塩をまけたようである。昔、松野家が貧乏だったころは、借金取りがやってきて塩をまこうとしても、その塩さえも無かったということがあったので、おトキの働きもあって、松野家の暮らしが改善されていることが分かる。
松野家で生活が楽になって、朝ごはんはいくぶんマシになったらしい。だが、碁を打つとき、碁石は相変わらずシジミを使っている。
この週も、ヘブン先生の部屋のシーンでは、机の上のイライザの写真は映っていなかった。
2025年12月19日記
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