よみがえる新日本紀行「ハタハタの浜 〜秋田県・男鹿半島〜」 ― 2026-04-18
2026年4月18日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行「ハタハタの浜 〜秋田県・男鹿半島〜」
オリジナルは、昭和44年(1969年)である。
まず、出稼ぎに行っていた男たちが村に帰ってくるところから始まっていた。この時代であるから、もちろん国鉄のあったころで、蒸気機関車(C11)が使われている。
この村の平均的な年収が50万円ほど、と言っていたが、今のお金に換算するとして、どれぐらいになるだろうか。男たちが出稼ぎに行かなければ、暮らしていけないということは、確かである。出稼ぎ先は、様々であるが、他の地域の海で漁師をしているということもある。
その漁村で、年にハタハタの漁のシーズンだけは、逆に、他の地方から、漁師たちがやってくる。これも、また、出稼ぎである。
出稼ぎというが……漁師という仕事に即して見るならば、(あまり適当な言い方ではないかと思うけれど)定住しない狩猟採集生活の一種と見ることも、できなくもないだろう。人間が、土地に定住して、一定の生業をもってそれで生計がなりたつ、というのは、あまりに近代的な生活観、人間観なのかもしれない。漁師をしながら、各地の漁場を渡り歩くという生活が、場合によっては、普通と考えることもできるだろう。
ハタハタ漁に使っている船は、手で櫓をこいでいる。この時代だったら、エンジン付きの船であってもよさそうなものだが、この漁村にまでは及んでいない。
ハタハタ漁は、豪快である。あっというまに、浜に用意してあった木箱(トロ箱と言っていいだろうか)が、いっぱいになる。獲れすぎて、値段が下がってしまって貧乏になるのだが、それでも海に出て行く。また、冬の海は危険でもある。現代だったら、とても、そのリスクを犯して漁に出るとは思えない。
ところで、私が、ハタハタを食べたのは、もう何年前になるだろうか。このごろでは、高級魚になってしまっている。昔は、普通に食卓に出ていたと覚えているのだが。
しょっつるは、ハタハタを原料とした魚醤ということかと思っているが、これも、現代では、現地で獲れるハタハタでは作ることができない。他の地域のものを買ってくるので、とても原材料費が高くなる。それでも作り続けるというのは、地域の食文化を残したいという意地のようなものかもしれない。
現代では、日本海側の過疎の地域の一つということになる。昔の映像を見ると、私の世代だと、田名角栄が、日本列島改造論、ということを声高にとなえて、それが多くの国民の支持を得るものであった時代のことを、思うことになる。この時代、裏日本、という言い方がとてもリアルなものとしてあった。
2026年4月15日記
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