『向田邦子と昭和の東京』2008-05-06

2008/05/06 當山日出夫

気楽に読める本と思って買って、そのとおり気楽に読んでいる。

昭和30年代、いわゆる「ALWAYS」の時代である。そして、それが、私の生まれた年でもある。そのせいであろう、そこに、そこはかとないノスタルジーを感じるとともに、昭和30年代以前の日本の生活の有様を知っている人と知らない人との間に、なにがしか世代差のようなものを感じるのが、正直なところである。

この本の冒頭で、著者は、吉村昭の『昭和歳時記』を引用している。

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昭和三十年代は、日本の生活史上、重要な意味をもっているように思える。江戸時代から明治、大正、昭和へとうけつがれてきた生活具や習慣が、この時期にかなり消え去っているのである。

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として、蚊帳・物干台・汲取り式の便所・おひつ・卓袱台……などをあげていえる。(このうち、卓袱台は、わずかながら復活のきざしを感じたりするが。)

では、昭和30年代以前の生活はどうであるか。農村の生活としては、今、思い浮かぶところでは、『山びこ学校』であろうか。私の場合、直接にこの本ではなく、左野眞一の『遠い「山びこ」』を通じてであるが。ここに描かれたような、農村の生活を、かすかにではあるが、記憶の底に持っている。長塚節の『土』と同じ生活が、続いていた。

あるいは、都市の生活であれば、小津安二郎の映画に代表されるものであろうか。今でこそ、小津映画は、高く評価されている。しかし、実際の歴史は、小津が描いた生活の世界を、消し去っていった。つまり、高度経済成長である。

このようなことを書いたのは、何かを論じる際に、ある節目となる年代や出来事があるだろうと、感じるから。

たぶん、次の世代の区切りになる出来事は、東西冷戦の終結、ベルリンの壁が壊される場面を、(TVで)見ているか、どうか。いいかえるならば、社会主義が持っていた「希望」(のようなもの)が消え去る、無念さのようなものを感じたかどうか。

『思想地図』を、ひろい読みしながら、このようなことを感じた次第。なお、今、読みつつあるのは、『書書周游』(萩原延寿)。個人的な「好み」からすれば、私の場合、やはり後者の方になるであろう。

『向田邦子と昭和の東京』(新潮新書).川本三郎.新潮社.2008

當山日出夫(とうやまひでお)