『思想地図』:初音ミク2008-05-03

2008/05/03 當山日出夫

NHKブックス別冊の『思想地図』を、気のむいた箇所から読んでいる。そのなかで、興味をひくのが、「データベース、パクリ、初音ミク」(増田聡)。

著者の増田さんの自身のブログでも、あつかっている。

http://d.hatena.ne.jp/smasuda/20080424

また、この論考については、もろさんが既に言及している。

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080427/p1

ここで著者が指摘していること、例えば、

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データベース的な環境の中で、人格もまたキャラクター的なもの、一定の情報の束として認識されるようになる。人格が不透明な厚みを持った存在(近代的な主体)ではなく、共有可能性を持った属性=情報の組み合わせ(キャラクター)として理解されるのであれば、他の人格の中に「同じ情報」が含まれていることに気づいたならば、それは「自分を盗まれた」感情を触発することになるだろう。(p.165)

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この主張は重要であると、私は思う。ただ、この論考のもとになっているはずの、東浩紀のものを、不勉強で読んでいないので、この点を保留してという条件つきで、こうも考える。

単なる用語の問題であるが、なぜ「データベース」なのだろう。「データベース」の語は、情報工学の方面では、かなり厳格な定義のもとに使用する。単なるデジタル化したコンテンツの集合・蓄積ではなく、構造や整理された秩序、さらには、他のデータベースとの連携、そして、検索などの利用者の要求に的確にこたえるものでなければならない。

現在、人文情報学(デジタル・ヒューマニティーズ)の分野では、「データベース」「デジタルアーカイブ」「デジタルドキュメンテーション」など、種々の用語をめぐって、混乱状態にあるといってよい。私個人としては、この状況について、「アーカイブ」を軸にして整理をしてみようと思っている。たぶん、これから、いくつかの学会・研究会などで発表することになるだろう。

話しをもとにもどして、初音ミクが、キャラクターとして成立していくプロセスは、増田さんの指摘のとおりだと思う。その議論の前提として、「データベース」「情報」がある。

では、ここでいう「データベース」とは何だろう。少なくとも、情報工学などの専門用語としては、使っていない。しかし、現在、「データベース」という用語によってしか、表し得ない「なにか」があることは確かだと、思う。

ところで、初音ミクの「アーカイブ」が出現するだろうか。ひょっとすると、すでにあるのかもしれない。場合よると、「ニコ動」について、「初音ミク・アーカイブ」と認識する、若い人たちがいるのかとも思う。(私が知らないだけだろう。)

もちろん、これは、本来の「アーカイブ」の用語の定義からすれば、まったく間違い・誤用である。しかし、人がことばを自由に使う以上、「初音ミク・アーカイブ」の語が流通しても、不自然ではない。

本来は、きちんとした専門用語であった「データベース」「アーカイブ」、これらの用語が、一般に拡散していくとき、何をどのように表すことばとして使われていくのか、可能なかぎり(時間の許す限り)、見ていきたいと思っている。

増田聡(2008).「データベース、パクリ、初音ミク」.『思想地図 Vol.1』(NHKブックス別冊).日本放送出版協会

これから、『言葉と科学と音楽と』(谷川俊太郎・内田義彦)を、読もう。

當山日出夫(とうやまひでお)

『思想地図』:ボーカロイドからボイスロイドへ2008-05-03

2008/05/03 當山日出夫

『思想地図』の増田論文についての続きである。

http://d.hatena.ne.jp/smasuda/20080424

初音ミクは、ボーカロイド(VOCALOID)として、世にでたものである。それが、ボイスロイド(VOICELOID)に変わっている。

「ボーカロイド」であれば、音楽の素材としての音源を提供するものとしてのニュアンスをふくむ。しかし、これが、「ボイスロイド」になると、単なる音源素材であることをやめて、人間の声となり、キャラクター化している、と言えるであろう。

音楽における人間の声のセクションが、ボーカル(VOCAL)である。それが、ボイス(VOICE)なるということは、単なる「声」になる(音楽でなくてもよい)、ということへの変容を意味している。

個人的なことであるが、我が家の子供(中学生と大学生、女の子)に、初音ミクのことを話題に出してみたら、即座に、ボイスロイド、と言った。で、グーグルで検索をかけると、さほど上位にではないが、ボイスロイドで、初音ミクにたどりつく。

それはさておき、「デジタルアーカイブ論」の授業、そろそろ、来週ぐらいから、本格的に、デジタルのアーカイブについて、話しをすすめることになる。これまでは、そもそも「アーカイブ」とは、どういう用語であるのか、という、アーキビストの立場からの解説。次からは、そうではない、アーカイブ。映像学部であるから、創作の素材提供としての、各種画像データや、モーションキャプチャのデータについて、語ることになる。

学部のカリキュラムとしては、画像・映像を中心としたものとなっている。だが、考えてみれば、音声もまた、創作活動のための素材の一つである。「デジタルアーカイブ論」で、初音ミクについて語るというのは、学部の方針には反することになるだろから、やめておくつもり。

ポピュラーカルチャーについて教えるのは難しい。たいていの場合、教える教師よりも、学生の方が、「知識」としてはよく知っている、ということがある。教師は、それに対して、「方法論」で立ち向かうことになる。これこそ、「知」の勝負である。

當山日出夫(とうやまひでお)