ARGとWikipedia雑感 ― 2010-09-27
2010-09-27 當山日出夫
しばらく新学期(後期)授業の準備などであわただしくて、とおざかっていた。
その間、考えたこと。
第一に、Wikipediaについて、本格的に論じる必要があるだろうな、ということ。日本語版Wikipedia、これを、学術情報発信にうまくつなげていく方法はないものだろうか。もちろん、現在のような、ポピュラーカルチャーの情報交流の受け皿的な使い方もあっていい。しかし、それだけではもったいない。せっかくのWikipediaなのである。もっと専門的な学術的な利用方法を考えてもいいだろう。
そうはいいながら、なかなか自分でその時間がとれないでいるのが、なさけないのであるが。
第二に、今後、ARGがどうなっていくのだろうか。後期の授業で、学生と一緒にARGを読む、場合によっては、学生にそこに記された内容についてプレゼンテーションをやってみさせる、というようなことを考えて、シラバスを書いた。もう、半年以上も前のことになる。そのころとくらべても、ARGの内容で、あたらしい新発見のサイトの紹介とか、その評価とかの記事が、めっきり少なくなってしまった。
ちょっとシラバスどおりに授業するのは、つらくなるかなという気がしないでもない。できれば、昔のように、各種サイトの紹介記事をどっさりと掲載してもらいたいと願っている。
まあ、場合によっては、学生と一緒に、Wikipediaそものもを読んで見る、ということも考えないではない。意外と、Wikipediaそのものの解説記事は、読まれていないように思える。少なくとも、利用している学生は、あまり読んでつかってはいないだろう。WEBで、みんなでつくる、百科事典とはいったい何であるか、そのこと自体について考えるという方向にもっていってみようか。
ともあれ、今週から本格的に授業がはじまる。いそがしくなる。
當山日出夫(とうやまひでお)
しばらく新学期(後期)授業の準備などであわただしくて、とおざかっていた。
その間、考えたこと。
第一に、Wikipediaについて、本格的に論じる必要があるだろうな、ということ。日本語版Wikipedia、これを、学術情報発信にうまくつなげていく方法はないものだろうか。もちろん、現在のような、ポピュラーカルチャーの情報交流の受け皿的な使い方もあっていい。しかし、それだけではもったいない。せっかくのWikipediaなのである。もっと専門的な学術的な利用方法を考えてもいいだろう。
そうはいいながら、なかなか自分でその時間がとれないでいるのが、なさけないのであるが。
第二に、今後、ARGがどうなっていくのだろうか。後期の授業で、学生と一緒にARGを読む、場合によっては、学生にそこに記された内容についてプレゼンテーションをやってみさせる、というようなことを考えて、シラバスを書いた。もう、半年以上も前のことになる。そのころとくらべても、ARGの内容で、あたらしい新発見のサイトの紹介とか、その評価とかの記事が、めっきり少なくなってしまった。
ちょっとシラバスどおりに授業するのは、つらくなるかなという気がしないでもない。できれば、昔のように、各種サイトの紹介記事をどっさりと掲載してもらいたいと願っている。
まあ、場合によっては、学生と一緒に、Wikipediaそものもを読んで見る、ということも考えないではない。意外と、Wikipediaそのものの解説記事は、読まれていないように思える。少なくとも、利用している学生は、あまり読んでつかってはいないだろう。WEBで、みんなでつくる、百科事典とはいったい何であるか、そのこと自体について考えるという方向にもっていってみようか。
ともあれ、今週から本格的に授業がはじまる。いそがしくなる。
當山日出夫(とうやまひでお)
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