大日本帝国という言い方2016-09-30

2016-09-30 當山日出夫

半藤一利.『荷風さんの昭和』(ちくま文庫).筑摩書房.2012 (原著、『荷風さんと「昭和」を歩く』.1994.プレジデント社 文藝春秋.『永井荷風と昭和』(文春文庫).2000.文藝春秋)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480429414/

26日のつづきである。

やまもも書斎記 2016年9月26日
半藤一利『荷風さんの昭和』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/26/8201755

歴史学者ではなく、歴史探偵の書いたものを読むと、貴重な勉強になることがある。たとえば、次のような箇所。

「戦前は一貫して「大日本帝国」であったと思いこんでいく人が多いが、ほんとうにそうときまったのは昭和十一年の二・二六事件のあとなのである。正確には四月十八日。すなわち、詔書、公文書のなかでこれまで日本国、大日本国、大日本帝国などまちまちであったものを、外務省はこの日、大日本帝国に統一し、すでに実施していると国民に発表した。また、天皇と皇帝が混用されてきたが、これを大日本帝国天皇に統一したとも発表した。」(pp.171-172)

残念ながら、その外務省の発表の史料が示されていない(これは、自分で探してみるしかない。ここから先は、歴史研究の分野になる。)

以前、『歴史を考えるヒント』(網野善彦)についてふれたことがある。

やまもも書斎記 2016年8月28日
網野善彦『歴史を考えるヒント』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/28/8164364

ここで、網野善彦は、「日本」という国名がいつからつかわれているか問いかけている。この本で、著者は、7世紀(689)の浄御原令の施行からであるといっている。一般の日本史の年表風にいえば、奈良時代になる(710)の少し前から、ということになる。

日本史、日本文学、日本語、というようなことを勉強していながら、「日本」という国の名称がいつきまったのかは、それほど強く意識することがない。その問題点をついた問いかけになっている。

「日本」の名称と同様、近代になってからの「大日本帝国」という言い方も、戦前は、明治からずっとそうであったと思ってきているかもしれないが、上記のように正式に対外的に決まったのは、昭和11年からということらしい。

ちなみに、ジャパンナレッジで、「大日本帝国」を検索してみると、「大日本帝国憲法」がヒットする。そして、この明治憲法による日本の国名と出てくる。見出し単独では、「大日本帝国」は出てこない。

憲法で決められた国の名称という意味でなら、明治(憲法)にさかのぼる。だが、国際社会のなかで、日本がみずからの名称をそうきめたのは、昭和になってから、ということのようだ。「日本」という国の名称の使用について慎重であるべきなら、「大日本帝国」という名称の使用についても慎重でなければならないだろうと考える。

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