『いだてん』あれこれ「いつも2人で」2019-05-07

2019-05-07 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年5月5日、第17回「いつも2人で」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/017/

前回は、
やまもも書斎記 2019年4月30日
『いだてん』あれこれ「ベルリンの壁」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/30/9066216

京都の三条大橋のところに、駅伝がここからはじまったことを示す記念碑があることは知っていた。しかし、それが、金栗四三の発案になる駅伝のスタートの地であることまでは知らなかった。

この回で描いていたこととしては、次の二点だろうか。

第一に、駅伝の誕生である。

ベルリンに行くことがかなわなかった四三は、教員になることにする。そして、全国から選手をつのって駅伝をはじめる。京都から東京まで走ることになる。

この駅伝というもの、今にいたるまで、日本において行われている。正月の箱根駅伝があり、また、京都で行われる全国都道府県対抗の女子駅伝などが、思い浮かぶところである。

第二に、女子のスポーツ。

大正時代になって、学校スポーツが普及してきたとはいうものの、女子のスポーツは、まだまだのようであった。二階堂トクヨは、マラソンは野蛮であるとまで言っていたし、嘉納治五郎は、女子にはマラソンは向いていないとも言っていたようである。

これは、現在の、女子マラソンの隆盛を考えてみるならば、一〇〇年前は、こんなふうであったのかと、いささか驚く感じがする。

以上の二点が見どころと思って見ていた。

ところで、スポーツのナショナリズムを相対化するために、このドラマであつかっているのが、パトリオティズム(愛郷心)とでもいうことができるだろうか。日本最初の駅伝は、地方チームの結成ということであったようだし、また、浜松の水泳も郷里を意識しているようである。

そのパトリオティズム(愛郷心)を、いかんなく発揮しているのが、やはり四三であろう。マラソンを続けることがかなわなくなって、教職につくことになる。しかし、その熊本方言が抜けていない。これは、大正時代になってからの教師としては、問題がある。このころになれば、標準的な日本語(それを「国語」ということもできる)が、成立していたころになろう。ましてや、教職にある立場としては、熊本方言のままで教えることはどうかと思う。

だが、四三は熊本方言である。これは、あくまでも、四三が熊本という地方に対するパトリオティズム(愛郷心)を持って、スポーツにのぞんでいることを意味していると解釈できる。ナショナリズムを相対化するためのパトリオティズム(愛郷心)であると、私は思って見ている。

また、嘉納治五郎が言っていた……明治神宮のところにスタジアムがあれば、日本にオリンピックを呼んでくることができるのに、と。これは、その後のオリンピックの開催(1964年)、そして、来年(2020年)の東京オリンピック、特にそれをめぐる新国立競技場の建設のことなどを考えると、痛烈な皮肉に思えてくる。

次回は、女子のスポーツのことになるようだ。楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-05-14
この続きは、
やまもも書斎記 2019年5月14日
『いだてん』あれこれ「愛の夢」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/05/14/9072244

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