「“百人一首” (2)古典文学への入り口」 ― 2024-11-13
2024年11月13日 當山日出夫
100分de名著 “百人一首” (2)古典文学への入り口
この番組を最後まで見ると、監修として渡辺泰明さんの名前が出てくる。現代の日本文学研究、そのなかでも和歌文学については、第一人者である。だから、この番組のなかで、まちがったことは言っていない。
だが、なんだかなあ、という気にはなる。この回の冒頭で、和歌は日本人のDNA……ということを言っていたが、これはまどうだかなあ、と思わざるをえないところがある。
一般的な理解としては、上記のことは正しい。しかし、和歌……この場合、「百人一首」だから、主に平安時代の和歌を中心として見ることになるが……が、日本人のDNAであるという言説は、明治以降、近代になってからの国文学という学問の成立とともに作り出された「創られた伝統」である、というのが、おそらくおおかたの日本文学研究者の理解であろうと、私は思っている。少なくとも、現在、人口に膾炙している形での和歌についての考え方は、そのような性質を多分にふくむものであるとはいえるだろう。
奈良時代以前の人も歌を詠んだ。『万葉集』が残っている。それから「古代歌謡」とされるものも残っている。平安時代になって、『古今和歌集』から始まる勅撰和歌集の歴史がある。鎌倉時代になってからも、武士たちは歌を詠んだ。江戸時代にも、続いた。その流れのなかに、近世になってからの国学の成立があり、近代になってからの国文学の成立がある。
だが、日本人……この場合、古代より日本列島に住んで日本語を使ってきた人びとぐらいの意味であるが……のすべてが、歌を詠んできたといっていいだろうか、ここは疑問の残るところである。ただ、民俗学の研究などによって、一般の庶民のなかでどのような芸能が伝承されてきたか、という観点はたしかにある。(若いとき、慶應の国文で学んだ私としては、むしろこういう観点を重視することにはなる。)
このようなことは思ってはみるのだが、しかし、和歌の入門としては、この番組はよくできている。
枕詞、縁語、歌枕、見立て……というような和歌の技巧について、非常に分かりやすく簡潔に説明してある。これは、はっきりいって見事な番組の作り方である。高校生や、あるいは、日本文学を学ぶ大学生にとっても、有益な内容になっている。和歌研究のレベルとして十分に納得できるものである。
その一方で、正岡子規のことも留意すべきだろう。特に『古今和歌集』の評価については、一度は正岡子規の言ったことを踏まえておく必要があるにちがいない。そのうえで、なお今日においても『古今和歌集』の歌が、文学としてうったえるものがあるのは何故なのか、という方向で考えることになるはずである。
「はかなさ」を日本的な美意識に見出すのは、一つの判断ではある。だが、それだけではないことも重要だろう。復元的に考証してみるならば、奈良時代から近世にいたるまで、絢爛豪華な文化もまた日本のなかにあった。作られた当時の東大寺の大仏を想像してもいいし、江戸時代の吉原などを思ってもいい。番組のなかで映っている、装飾的な「百人一首」歌留多がまさにそうである。いわゆる「わび、さび」だけが日本の文化としてあったのではない。これは、現在では常識的な認識であろう。きらびやかな江戸の文化については、おそらく来年の大河ドラマの『べらぼう』で描かれることになるだろう。
「百人一首」に収録の歌は、かならずしも名歌ばかりではない、というのが私の学生のころの認識であったと思うのだが、今はどうなのだろうか。(「百人一首」にふくまれているので有名ということはあるのだが。)
2024年11月12日記
100分de名著 “百人一首” (2)古典文学への入り口
この番組を最後まで見ると、監修として渡辺泰明さんの名前が出てくる。現代の日本文学研究、そのなかでも和歌文学については、第一人者である。だから、この番組のなかで、まちがったことは言っていない。
だが、なんだかなあ、という気にはなる。この回の冒頭で、和歌は日本人のDNA……ということを言っていたが、これはまどうだかなあ、と思わざるをえないところがある。
一般的な理解としては、上記のことは正しい。しかし、和歌……この場合、「百人一首」だから、主に平安時代の和歌を中心として見ることになるが……が、日本人のDNAであるという言説は、明治以降、近代になってからの国文学という学問の成立とともに作り出された「創られた伝統」である、というのが、おそらくおおかたの日本文学研究者の理解であろうと、私は思っている。少なくとも、現在、人口に膾炙している形での和歌についての考え方は、そのような性質を多分にふくむものであるとはいえるだろう。
奈良時代以前の人も歌を詠んだ。『万葉集』が残っている。それから「古代歌謡」とされるものも残っている。平安時代になって、『古今和歌集』から始まる勅撰和歌集の歴史がある。鎌倉時代になってからも、武士たちは歌を詠んだ。江戸時代にも、続いた。その流れのなかに、近世になってからの国学の成立があり、近代になってからの国文学の成立がある。
だが、日本人……この場合、古代より日本列島に住んで日本語を使ってきた人びとぐらいの意味であるが……のすべてが、歌を詠んできたといっていいだろうか、ここは疑問の残るところである。ただ、民俗学の研究などによって、一般の庶民のなかでどのような芸能が伝承されてきたか、という観点はたしかにある。(若いとき、慶應の国文で学んだ私としては、むしろこういう観点を重視することにはなる。)
このようなことは思ってはみるのだが、しかし、和歌の入門としては、この番組はよくできている。
枕詞、縁語、歌枕、見立て……というような和歌の技巧について、非常に分かりやすく簡潔に説明してある。これは、はっきりいって見事な番組の作り方である。高校生や、あるいは、日本文学を学ぶ大学生にとっても、有益な内容になっている。和歌研究のレベルとして十分に納得できるものである。
その一方で、正岡子規のことも留意すべきだろう。特に『古今和歌集』の評価については、一度は正岡子規の言ったことを踏まえておく必要があるにちがいない。そのうえで、なお今日においても『古今和歌集』の歌が、文学としてうったえるものがあるのは何故なのか、という方向で考えることになるはずである。
「はかなさ」を日本的な美意識に見出すのは、一つの判断ではある。だが、それだけではないことも重要だろう。復元的に考証してみるならば、奈良時代から近世にいたるまで、絢爛豪華な文化もまた日本のなかにあった。作られた当時の東大寺の大仏を想像してもいいし、江戸時代の吉原などを思ってもいい。番組のなかで映っている、装飾的な「百人一首」歌留多がまさにそうである。いわゆる「わび、さび」だけが日本の文化としてあったのではない。これは、現在では常識的な認識であろう。きらびやかな江戸の文化については、おそらく来年の大河ドラマの『べらぼう』で描かれることになるだろう。
「百人一首」に収録の歌は、かならずしも名歌ばかりではない、というのが私の学生のころの認識であったと思うのだが、今はどうなのだろうか。(「百人一首」にふくまれているので有名ということはあるのだが。)
2024年11月12日記
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