「ふたつの敗戦国 日本 660万人の孤独」 ― 2024-11-21
2024年11月21日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの敗戦国 日本 660万人の孤独
まったく余計なことから書いてみるが……ようやくというべきか、NHKの番組のなかでも強姦ということばが使われるようになった。これまで、婉曲的な表現がつかわれることが多かった。せいぜい性的暴行というぐらいだった。ソ連兵による満州の日本人女性への陵辱は、周知のことだったとはいえ、はっきり放送で語るということは、これまであまり無かったと、私は思っている。(おそらく、このようなことは、中国人が日本人に対してもあったと思うが、これは察しろということか。無論、それ以前に、中国や満州や朝鮮でのでの日本人による現地の人たちに対する横暴があったことも確かである。)
私の感覚だと、このテーマで取りあげるとすると、『流れる星は生きている』とか『朱夏』とか『大地の子』とか『ラーゲリより愛を込めて』などを思い浮かべる。これらは、読んでいる。こういう作品にまったく言及することがなかったというのも、これは一つの見識として見ていいことだろう。(私は、これらの本は多く読まれていいと思っているが。)
太平洋戦争が終わって、外地にいた日本人がどうであったか、どのようにして日本に帰還したのか、それからの生活はどうであったのか、このようなことについて、まとまって語られることはあまりなかったように、私は感じている。もし、語られるとしても、それは、戦争の加害者という側面を強調してのものだった。満州での開拓、それから、南洋のサイパンやテニアンなどで暮らした人びと。このような人びとを、現地の人びとに対する侵略者という視点であつかうことが多かった。
たしかに視点をかえれば、そのように見えることは否定しない。しかし、一方的に日本のやったこと、日本人がそこでおこなったことを、悪として断罪するだけでは、この時代の歴史、それから、今にいたる歴史、その大きな流れを把握できないとも思う。
世界での難民、避難民のことが報じられるたびに、私が感じてきたこととしては、かつての外地にいた日本人の人びとが、戦争が終わったあと、どのようであったかということである。難民、避難民ということは、遠い外国のことではなく、自分たちがかつて経験してきたことでもある、という感覚が大事なのだと思うのである。
中国残留孤児やその家族、子どもたちのことも、今日の視点からは、外国人労働者の受け入れ(=移民政策)と、その子供たちの日本での生活や教育という、まさにさしせまった問題につながることでもある。日本人とはいえ、小さいときから中国で育ち、日本語も忘れてしまったような人たちが、日本社会のなかでどう生きていくことができるのか、それをどう支援するのか、これは、これからの日本の問題でもある。
満州の開拓に行った人たちが、戦争で満州を追われ、日本で開拓に従事したが、そこも追われ……という話しは、見ていてなんともいえない気持ちになる。ブラジルにわたった人もいる(結果的にここで開拓に成功したからよかったのだが)。これは、その時代の日本の国策としては、いたしかたないという面もあるかもしれない。しかし、それにしても、もうすこしどうにかならなかったものかという思いが強い。成田空港の問題は、今ではもう忘れ去られてしまった過去のことかもしれない。私は、成田空港は作るべきであったという立場であるが、その歴史的背景については、忘れてはならないことが多くある。福島第一原子力発電所についても、六ヶ所村についても、同様である。これらは、日本にとって必要な施設であったとは認めるが、その土地の歴史を忘れていいということではない。
なかにし礼や野村達雄のことは、強いていえば社会的に成功した人であるから言える、ということもある。著名人のなかにも、その生まれは、旧満州のどこそこである、という事例はよく目にする。こういう人たちにとって、自己のアイデンティティーと創作活動とは、どこかでつながっているのだろう。
そして、このように有名な人ばかりではなく、無名の市井の人びとのことの方が、私としては気になることである。(昔、私が学生のとき下宿していた家の奥さんは、大連の女学校を出たと言っていた。)
それから、この番組では言っていなかったこと。外地にいたのは日本人だけではなかったはずである。朝鮮半島出身や台湾出身という人たちもいたにちがいない。これらの人びとは、どうであったのか、これも考えなければならないことである。しかし、現在の朝鮮半島情勢や中国と台湾の関係などを思うと、軽々にとりあつかうことはためらわれるところがあるかもしれない。
2024年11月20日記
映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの敗戦国 日本 660万人の孤独
まったく余計なことから書いてみるが……ようやくというべきか、NHKの番組のなかでも強姦ということばが使われるようになった。これまで、婉曲的な表現がつかわれることが多かった。せいぜい性的暴行というぐらいだった。ソ連兵による満州の日本人女性への陵辱は、周知のことだったとはいえ、はっきり放送で語るということは、これまであまり無かったと、私は思っている。(おそらく、このようなことは、中国人が日本人に対してもあったと思うが、これは察しろということか。無論、それ以前に、中国や満州や朝鮮でのでの日本人による現地の人たちに対する横暴があったことも確かである。)
私の感覚だと、このテーマで取りあげるとすると、『流れる星は生きている』とか『朱夏』とか『大地の子』とか『ラーゲリより愛を込めて』などを思い浮かべる。これらは、読んでいる。こういう作品にまったく言及することがなかったというのも、これは一つの見識として見ていいことだろう。(私は、これらの本は多く読まれていいと思っているが。)
太平洋戦争が終わって、外地にいた日本人がどうであったか、どのようにして日本に帰還したのか、それからの生活はどうであったのか、このようなことについて、まとまって語られることはあまりなかったように、私は感じている。もし、語られるとしても、それは、戦争の加害者という側面を強調してのものだった。満州での開拓、それから、南洋のサイパンやテニアンなどで暮らした人びと。このような人びとを、現地の人びとに対する侵略者という視点であつかうことが多かった。
たしかに視点をかえれば、そのように見えることは否定しない。しかし、一方的に日本のやったこと、日本人がそこでおこなったことを、悪として断罪するだけでは、この時代の歴史、それから、今にいたる歴史、その大きな流れを把握できないとも思う。
世界での難民、避難民のことが報じられるたびに、私が感じてきたこととしては、かつての外地にいた日本人の人びとが、戦争が終わったあと、どのようであったかということである。難民、避難民ということは、遠い外国のことではなく、自分たちがかつて経験してきたことでもある、という感覚が大事なのだと思うのである。
中国残留孤児やその家族、子どもたちのことも、今日の視点からは、外国人労働者の受け入れ(=移民政策)と、その子供たちの日本での生活や教育という、まさにさしせまった問題につながることでもある。日本人とはいえ、小さいときから中国で育ち、日本語も忘れてしまったような人たちが、日本社会のなかでどう生きていくことができるのか、それをどう支援するのか、これは、これからの日本の問題でもある。
満州の開拓に行った人たちが、戦争で満州を追われ、日本で開拓に従事したが、そこも追われ……という話しは、見ていてなんともいえない気持ちになる。ブラジルにわたった人もいる(結果的にここで開拓に成功したからよかったのだが)。これは、その時代の日本の国策としては、いたしかたないという面もあるかもしれない。しかし、それにしても、もうすこしどうにかならなかったものかという思いが強い。成田空港の問題は、今ではもう忘れ去られてしまった過去のことかもしれない。私は、成田空港は作るべきであったという立場であるが、その歴史的背景については、忘れてはならないことが多くある。福島第一原子力発電所についても、六ヶ所村についても、同様である。これらは、日本にとって必要な施設であったとは認めるが、その土地の歴史を忘れていいということではない。
なかにし礼や野村達雄のことは、強いていえば社会的に成功した人であるから言える、ということもある。著名人のなかにも、その生まれは、旧満州のどこそこである、という事例はよく目にする。こういう人たちにとって、自己のアイデンティティーと創作活動とは、どこかでつながっているのだろう。
そして、このように有名な人ばかりではなく、無名の市井の人びとのことの方が、私としては気になることである。(昔、私が学生のとき下宿していた家の奥さんは、大連の女学校を出たと言っていた。)
それから、この番組では言っていなかったこと。外地にいたのは日本人だけではなかったはずである。朝鮮半島出身や台湾出身という人たちもいたにちがいない。これらの人びとは、どうであったのか、これも考えなければならないことである。しかし、現在の朝鮮半島情勢や中国と台湾の関係などを思うと、軽々にとりあつかうことはためらわれるところがあるかもしれない。
2024年11月20日記
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