「World Lost Justice 正義なき世界で」 ― 2024-11-15
2024年11月15日 當山日出夫
BSスペシャル World Lost Justice 正義なき世界で
NHKがイスラエル、パレスチナを継続的に取材している、そのなかで集めた映像を編集したものということになるのだろう。これまでのNHKの、イスラエル、パレスチナ関係の番組で、この人は前にも見たことがあるな、という登場人物が幾人かいた。だからどうということはないのであるが、このような取材を積み重ねていくからこそ見えてくるものがあるとは思う。
さて、イスラエルとパレスチナと、どっちが悪いのか、というとそう簡単ではないと私は思う。全体的な世論としては、現在のところ、ガザを攻撃しているイスラエルが悪い。ヨルダン川西岸に入植し、支配している、イスラエルが悪い、ということにはなる。だが、これも、視点を変えて見れば、そう簡単に善悪がつく問題ではないようにも思える。
歴史的にいつの時点にさかのぼって、この土地は自分たちのものだ、と主張することになるのか、この議論ははてしない。あるいは、不毛であるかとも感じる。しかし、それを主張する当人にとっては、双方ともに切実な問題である。
パレスチナの土地は全部がユダヤ人のものであるという主張もあれば、この世の中からユダヤ人は消えて無くなればいいという考え方もある。これが、平和的に共存できるとは思えない。
現実的な落とし所としては、以前のオスロ合意にまでさかのぼって、なんとか共存できる道を探るというあたりかと思うのだが、これはもう無理なのかもしれない。
去年の一〇月七日の、ハマスのイスラエル攻撃のとき、何かのテレビ番組で、あるコメンテーターが次のように言っていたのが印象的である。ハマスのやったことは、自分たちのことを忘れないでほしいという国際社会に対するメッセージであった、という解釈である。これは、たぶんそうなのだろうと思うところがある。
番組のなかでは、おそらく意図的に触れていないと思われることがある。それは、ハマスの側が、いまだに人質を全員解放していないことである。門外漢の乱暴な推測ではあるのだが……たぶん人質を全員解放すると、国際社会の世論も大きく変わるかなと思う。去年、人質を取らずにただ攻撃しただけだったなら、イスラエルの方も限定的な報復攻撃だけで終わったかもしれない。人質を解放しないのは、この戦争(イスラエルによるガザへの攻撃)を続けさせたい、そのことによって、国際社会のイスラエルへの批判を強め継続させたい、という意図があってのことだと思わざるをえない。だが、現実には、周辺のアラブ諸国とイスラエルの全面戦争(それによってイスラエルという国家を殲滅する)ということにはいたらない。この意味では、悪いのは、また、判断をあやまったのは、ハマスということになる。だが、一方で、イスラエルによる、ヨルダン川西岸への入植や、行政拘束のことなどが、あらためて問題視されるようになったということもある。(まあ、素人意見なので、専門家はどう考えるかというのは、聞いてみたいと思うが。)
たしかに、パレスチナで起きていることは非常に残虐なことではある。だが、ここで留意しておくべきことは、ここで加害者側としてあつかわれているイスラエルの人びとも(兵士をふくめて)、普通の市民であるということだろう。古風なことばでいえば、決して鬼畜であるわけではない。普通の市民が、そのときの、社会や国家の情勢によって、どれほど残虐な存在になりうるのか、という視点が重要だと、私は思う。かつて、ナチスのホロコーストにおいても、その計画の実際にたずさわったのは、多くの一般の(普通であったならば)善良な一般のドイツ市民であったことを、忘れてはならない。歴史のなかにおける人間とはそういうものだと、私は思っている。
国際情勢のなかでのイスラエルとパレスチナの関係、そのときのイスラエルの政治の判断や状況、周辺のアラブ諸国のこと、これらの総合的な背景があって、一連の出来事があると思うべきだろう。
さしあたっては、イスラエルに対して軍事行動の抑制、パレスチナの人びとに対する人道的なあつかい、ガザで被害にあっている人たちへの人道的援助、まずは、できることをするしかないのかと思う。
2024年11月14日記
BSスペシャル World Lost Justice 正義なき世界で
NHKがイスラエル、パレスチナを継続的に取材している、そのなかで集めた映像を編集したものということになるのだろう。これまでのNHKの、イスラエル、パレスチナ関係の番組で、この人は前にも見たことがあるな、という登場人物が幾人かいた。だからどうということはないのであるが、このような取材を積み重ねていくからこそ見えてくるものがあるとは思う。
さて、イスラエルとパレスチナと、どっちが悪いのか、というとそう簡単ではないと私は思う。全体的な世論としては、現在のところ、ガザを攻撃しているイスラエルが悪い。ヨルダン川西岸に入植し、支配している、イスラエルが悪い、ということにはなる。だが、これも、視点を変えて見れば、そう簡単に善悪がつく問題ではないようにも思える。
歴史的にいつの時点にさかのぼって、この土地は自分たちのものだ、と主張することになるのか、この議論ははてしない。あるいは、不毛であるかとも感じる。しかし、それを主張する当人にとっては、双方ともに切実な問題である。
パレスチナの土地は全部がユダヤ人のものであるという主張もあれば、この世の中からユダヤ人は消えて無くなればいいという考え方もある。これが、平和的に共存できるとは思えない。
現実的な落とし所としては、以前のオスロ合意にまでさかのぼって、なんとか共存できる道を探るというあたりかと思うのだが、これはもう無理なのかもしれない。
去年の一〇月七日の、ハマスのイスラエル攻撃のとき、何かのテレビ番組で、あるコメンテーターが次のように言っていたのが印象的である。ハマスのやったことは、自分たちのことを忘れないでほしいという国際社会に対するメッセージであった、という解釈である。これは、たぶんそうなのだろうと思うところがある。
番組のなかでは、おそらく意図的に触れていないと思われることがある。それは、ハマスの側が、いまだに人質を全員解放していないことである。門外漢の乱暴な推測ではあるのだが……たぶん人質を全員解放すると、国際社会の世論も大きく変わるかなと思う。去年、人質を取らずにただ攻撃しただけだったなら、イスラエルの方も限定的な報復攻撃だけで終わったかもしれない。人質を解放しないのは、この戦争(イスラエルによるガザへの攻撃)を続けさせたい、そのことによって、国際社会のイスラエルへの批判を強め継続させたい、という意図があってのことだと思わざるをえない。だが、現実には、周辺のアラブ諸国とイスラエルの全面戦争(それによってイスラエルという国家を殲滅する)ということにはいたらない。この意味では、悪いのは、また、判断をあやまったのは、ハマスということになる。だが、一方で、イスラエルによる、ヨルダン川西岸への入植や、行政拘束のことなどが、あらためて問題視されるようになったということもある。(まあ、素人意見なので、専門家はどう考えるかというのは、聞いてみたいと思うが。)
たしかに、パレスチナで起きていることは非常に残虐なことではある。だが、ここで留意しておくべきことは、ここで加害者側としてあつかわれているイスラエルの人びとも(兵士をふくめて)、普通の市民であるということだろう。古風なことばでいえば、決して鬼畜であるわけではない。普通の市民が、そのときの、社会や国家の情勢によって、どれほど残虐な存在になりうるのか、という視点が重要だと、私は思う。かつて、ナチスのホロコーストにおいても、その計画の実際にたずさわったのは、多くの一般の(普通であったならば)善良な一般のドイツ市民であったことを、忘れてはならない。歴史のなかにおける人間とはそういうものだと、私は思っている。
国際情勢のなかでのイスラエルとパレスチナの関係、そのときのイスラエルの政治の判断や状況、周辺のアラブ諸国のこと、これらの総合的な背景があって、一連の出来事があると思うべきだろう。
さしあたっては、イスラエルに対して軍事行動の抑制、パレスチナの人びとに対する人道的なあつかい、ガザで被害にあっている人たちへの人道的援助、まずは、できることをするしかないのかと思う。
2024年11月14日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/11/15/9731798/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。