「東京・足立区 いつものファミレスで」 ― 2024-11-12
2024年11月12日 當山日出夫
ドキュメント72時間 東京・足立区 いつものファミレスで
外で食事をするということが、ほとんどなくなってしまった生活を送っている。昨年度までは、学校で教える仕事が少しあったので、京都まで出かけていたが、それも今はやめてしまった。この時の昼食は、毎回、コンビニおにぎり(二個)ということにしていた。
ファミリーレストラン、というところに最後に行ったのは、もう何年前のことになるだろうか。すっかり忘れてしまっている。うちの近所にも、ファミリーレストランはある。だが、いつも前を自動車でとおりすぎるだけである。入ってみようと思うことはない。
この回であるが、見ながら思うことがいくつかある。
足立区は低く見られていた、という話しから始まっていたのだが、私の年代(一九五五生)だと、この感覚は理解できる。東京を離れて久しいし、年月もたって時代も変わった。もうそのような感覚で見る人はいないかもしれない。(だが、その土地が時代の流れのなかでどのように見られていたか、ということは、これはこれとして意味のあることだとは思っている。)
パン屋さんが、仕事を終えて食事をしてビールを飲んでいた。たしかに、その時間で食事ができてビールが飲めるお店というと、今では、ファミリーレストランということになるのだろう。居酒屋は開いていないし、普通のお店では、昼間は酒は出さないのが普通だろう。(まあ、これも地域や場所によっては、「モーニングサービス」として、朝からビールのセットが出てくるお店もあったりするけれど。)
都会にあるという立地条件であるので、来る人は、徒歩か自転車の人が多いのだろう。駐車場もそんなに広いという感じではなかった。
登場していたのは、ごく普通の人たちと言っていいだろう。特に変わった、劇的な人生を歩んだという人は出てきていなかった。
毎朝、一番にやってきて、指定席で朝食を取る九〇才の男性。見ながら思ったことは、もし、この男性がやってこない日があったら、お店はどうするのだろうか。今日は来なかったわね、で終わるのか、それとも、しかるべく行政の窓口に連絡することになるのか。気になるところではあった。
都市部で一人暮らしの老人が増えている。それを支える社会のインフラの一つとして、このようなファミリーレストランの存在がある、と認識しておくべきことになるだろうか。このような業界をふくめて、行政サービスが考えられるべきときに来ているかと思う。
手に障害のある子どもを持つ夫婦。子どもの将来のことを思う気持ちは、切ないものがある。(私の知っている範囲だが、精神的な疾患のある子どもの将来を考える親が、その援助のための施設や組織の運営にかかわっているということはある。こういう人たちは、高齢でもある。このあたりについては、もっと公的な援助の手が差し伸べられてもいいと感じる。)
どうでもいいことかもしれないが、店内で帽子をかぶっている姿が目についた。私の感覚だと、お店のなかにはいれば帽子はとるべきもの(脱帽)、と思っているのだが、こういうマナー(というべきほどもことでもないかもしれないが)は、時とともに変わっていくものなのだな、と感じたところでもある。
2024年11月11日記
ドキュメント72時間 東京・足立区 いつものファミレスで
外で食事をするということが、ほとんどなくなってしまった生活を送っている。昨年度までは、学校で教える仕事が少しあったので、京都まで出かけていたが、それも今はやめてしまった。この時の昼食は、毎回、コンビニおにぎり(二個)ということにしていた。
ファミリーレストラン、というところに最後に行ったのは、もう何年前のことになるだろうか。すっかり忘れてしまっている。うちの近所にも、ファミリーレストランはある。だが、いつも前を自動車でとおりすぎるだけである。入ってみようと思うことはない。
この回であるが、見ながら思うことがいくつかある。
足立区は低く見られていた、という話しから始まっていたのだが、私の年代(一九五五生)だと、この感覚は理解できる。東京を離れて久しいし、年月もたって時代も変わった。もうそのような感覚で見る人はいないかもしれない。(だが、その土地が時代の流れのなかでどのように見られていたか、ということは、これはこれとして意味のあることだとは思っている。)
パン屋さんが、仕事を終えて食事をしてビールを飲んでいた。たしかに、その時間で食事ができてビールが飲めるお店というと、今では、ファミリーレストランということになるのだろう。居酒屋は開いていないし、普通のお店では、昼間は酒は出さないのが普通だろう。(まあ、これも地域や場所によっては、「モーニングサービス」として、朝からビールのセットが出てくるお店もあったりするけれど。)
都会にあるという立地条件であるので、来る人は、徒歩か自転車の人が多いのだろう。駐車場もそんなに広いという感じではなかった。
登場していたのは、ごく普通の人たちと言っていいだろう。特に変わった、劇的な人生を歩んだという人は出てきていなかった。
毎朝、一番にやってきて、指定席で朝食を取る九〇才の男性。見ながら思ったことは、もし、この男性がやってこない日があったら、お店はどうするのだろうか。今日は来なかったわね、で終わるのか、それとも、しかるべく行政の窓口に連絡することになるのか。気になるところではあった。
都市部で一人暮らしの老人が増えている。それを支える社会のインフラの一つとして、このようなファミリーレストランの存在がある、と認識しておくべきことになるだろうか。このような業界をふくめて、行政サービスが考えられるべきときに来ているかと思う。
手に障害のある子どもを持つ夫婦。子どもの将来のことを思う気持ちは、切ないものがある。(私の知っている範囲だが、精神的な疾患のある子どもの将来を考える親が、その援助のための施設や組織の運営にかかわっているということはある。こういう人たちは、高齢でもある。このあたりについては、もっと公的な援助の手が差し伸べられてもいいと感じる。)
どうでもいいことかもしれないが、店内で帽子をかぶっている姿が目についた。私の感覚だと、お店のなかにはいれば帽子はとるべきもの(脱帽)、と思っているのだが、こういうマナー(というべきほどもことでもないかもしれないが)は、時とともに変わっていくものなのだな、と感じたところでもある。
2024年11月11日記
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