『おむすび』「生きるって何なん?」 ― 2025-02-23
2025年2月23日 當山日出夫
『おむすび』「生きるって何なん?」
このドラマを始まりから見てきて、そう劇的に面白くなる、明日の展開が気になってしかたがない、というほどではないが、見るのがいいかげんに嫌になるというほどでもない。その週を見るかぎりでは、まあまあの出来映えかな、と思って見ている。
褒める、というか、工夫してあったなと感じるところもある。
朝ドラのなかで病気をあつかうことは、難しい。かなり高齢になって、もう十分に生きてきたので、ここいらへんで大往生してもらってもいいだろう、という例はある。例えば、最近の例では『らんまん』の土佐の祖母(松阪慶子)とか、『カーネーション』の安岡のおばちゃん(濱田マリ)とか。しかし、まだ壮年で、病気が見つかって治療して助かるという事例は、朝ドラでは描きにくいかもしれない。実際に病気である人、そうかもしれないと思っている人、あるいは、入院して病室のテレビで見ている人、こういう人たちがどう感じるかということを十分に考慮にいれた作り方をしなければならなくなる。
こういう意味では、今回の『おむすび』の聖人の胃がんの手術の件は、標準的な治療のあり方を示したということはいえるだろう。比較的早くに見つかって、胃カメラの検査があって、生検の結果は悪性であって、手術して、それが成功する。まあ、胃がんの場合、明かな自覚症状が出てきた段階では、ちょっと遅いかなということもないではないかもしれない。理想的には、定期的な検診で発見ということが望ましいのだろう。そうはいっても、体に不調を感じたらすぐに病院に行って検査してもらう、ということを実践しているということでは、これが番組としてはおすすめということになる。
一方で、不満に感じるところがいくつかある。
そもそも、病院の管理栄養士という仕事は、基本は裏方の業務のはずで、そんなに個々の患者と対面で話をすることはないだろう。もしあったとしても、食事のときに側に付き添っているということは、ちょっと考えにくい。実際のところはどうなのだろうと思う。まあ、ドラマとしては、結が父親の聖人の側にいるのは、自然と言えば自然なのであるが、病院の業務としては、家族だから特別というわけにはいかないはずである。
病院での管理栄養士の仕事を描くには、手っ取り早く、家族か知り合いの誰かが病気になって、手術、入院ということになり、そこで結の活躍を描くということかなと思う。初期の胃がんの手術ということとしては、父親の聖人がよかったということになるのだろう。そうすれば、退院して自分の家庭での食事のことまで、管理栄養士の視点で描くことができる。
だが、これは、いかにもドラマ制作上から都合の良すぎる話ではないかなとも思える。ここのところを、どう判断するかは、見る人によって別れるところだろう。
ここまできて、やはり、結が最初から管理栄養士を目指してこなかったことが、どうしてもひっかかる。神戸の栄養士の専門学校での授業はいったい何だったのだろうか。それよりも、四年制大学のその専門の学科で勉強したということの方が、展開として自然である。結が勉強した時代設定なら、大阪府立大学とか、大阪市立大学で、管理栄養士を目指すことができた。大阪市立大学だったら、医学部の附属病院で実習ということもあったはずである。(現在は、一緒になって大阪公立大学になってしまっている。)管理栄養士のコースは、女子大にあることが多いが、これらの大学ならば、男女共学の総合大学である。ドラマの展開としても、面白い展開があったかもしれない。
結が管理栄養士で病院に勤務しているということになったせいか、かつての栄養士の学校で、栄養士の資格をとって、東京の病院に就職したという友達のことが、まったく出てこなくなってしまっている。栄養士で病院に勤務する場合と、管理栄養士である場合とで、違いを描く、描かないの問題が生じることになる。
ここは、管理栄養士の資格の意味と出来る仕事の範囲について、きちんとした説明があるべきだったと思う。
姉の歩の店が、独自ブランドで服を作るという。今の時代であるから、縫製は海外の工場に委託することになる。これを、結が、全部一人で現地の会社との交渉までやっているということだったが、これはどうなのだろうか。サンプルを見て、縫製が雑だから、現地に行って確認してこい、というのも、どうかなと思う。国としては、バングラデシュなどになるかもしれないのだが、そのようなところまで、日本の立ち上げたばかりの個人経営のブランドのオーナーが、出かけて行くだろうか。そもそも、海外の工場で生産するのは、(国内ではもうそのような業者がいなくなっているということもあるかもしれないが)、人件費が安い国だからである。コストカットのために海外で作っている。現地まで行って確認するようなことをしていたら、もともこもない。せめては、その現地の工場で、奴隷的な労働で従業員が働かされていないかということを気にするぐらいだろう。(あるいは、これからの展開で、現代版の女工哀史の救済というようなことになってもいいかもしれないが。)
また、なんでもかんでもギャルに関係させれば無事解決というのも、どうだかなあと思う。(このあたりは、このドラマの基本方針ということなのかもしれないが。)
それから、強いて言えばということになるが、胃がんになった聖人が自分の病気のことについて調べるなら、国立がん研究センターのHPを見る、という設定にしてあった方がよかった。今の日本で、最も信頼のおけるがんについての情報源である。下手に検索すれば、怪しげなHPがいっぱい出てくる、これは避けた方いいということで、あえて啓蒙的にドラマを作ってもよかったところではないかと思っている。国立がん研究センターの名前を出しても、別にNHKのドラマとして問題はないだろう。
2025年2月21日記
『おむすび』「生きるって何なん?」
このドラマを始まりから見てきて、そう劇的に面白くなる、明日の展開が気になってしかたがない、というほどではないが、見るのがいいかげんに嫌になるというほどでもない。その週を見るかぎりでは、まあまあの出来映えかな、と思って見ている。
褒める、というか、工夫してあったなと感じるところもある。
朝ドラのなかで病気をあつかうことは、難しい。かなり高齢になって、もう十分に生きてきたので、ここいらへんで大往生してもらってもいいだろう、という例はある。例えば、最近の例では『らんまん』の土佐の祖母(松阪慶子)とか、『カーネーション』の安岡のおばちゃん(濱田マリ)とか。しかし、まだ壮年で、病気が見つかって治療して助かるという事例は、朝ドラでは描きにくいかもしれない。実際に病気である人、そうかもしれないと思っている人、あるいは、入院して病室のテレビで見ている人、こういう人たちがどう感じるかということを十分に考慮にいれた作り方をしなければならなくなる。
こういう意味では、今回の『おむすび』の聖人の胃がんの手術の件は、標準的な治療のあり方を示したということはいえるだろう。比較的早くに見つかって、胃カメラの検査があって、生検の結果は悪性であって、手術して、それが成功する。まあ、胃がんの場合、明かな自覚症状が出てきた段階では、ちょっと遅いかなということもないではないかもしれない。理想的には、定期的な検診で発見ということが望ましいのだろう。そうはいっても、体に不調を感じたらすぐに病院に行って検査してもらう、ということを実践しているということでは、これが番組としてはおすすめということになる。
一方で、不満に感じるところがいくつかある。
そもそも、病院の管理栄養士という仕事は、基本は裏方の業務のはずで、そんなに個々の患者と対面で話をすることはないだろう。もしあったとしても、食事のときに側に付き添っているということは、ちょっと考えにくい。実際のところはどうなのだろうと思う。まあ、ドラマとしては、結が父親の聖人の側にいるのは、自然と言えば自然なのであるが、病院の業務としては、家族だから特別というわけにはいかないはずである。
病院での管理栄養士の仕事を描くには、手っ取り早く、家族か知り合いの誰かが病気になって、手術、入院ということになり、そこで結の活躍を描くということかなと思う。初期の胃がんの手術ということとしては、父親の聖人がよかったということになるのだろう。そうすれば、退院して自分の家庭での食事のことまで、管理栄養士の視点で描くことができる。
だが、これは、いかにもドラマ制作上から都合の良すぎる話ではないかなとも思える。ここのところを、どう判断するかは、見る人によって別れるところだろう。
ここまできて、やはり、結が最初から管理栄養士を目指してこなかったことが、どうしてもひっかかる。神戸の栄養士の専門学校での授業はいったい何だったのだろうか。それよりも、四年制大学のその専門の学科で勉強したということの方が、展開として自然である。結が勉強した時代設定なら、大阪府立大学とか、大阪市立大学で、管理栄養士を目指すことができた。大阪市立大学だったら、医学部の附属病院で実習ということもあったはずである。(現在は、一緒になって大阪公立大学になってしまっている。)管理栄養士のコースは、女子大にあることが多いが、これらの大学ならば、男女共学の総合大学である。ドラマの展開としても、面白い展開があったかもしれない。
結が管理栄養士で病院に勤務しているということになったせいか、かつての栄養士の学校で、栄養士の資格をとって、東京の病院に就職したという友達のことが、まったく出てこなくなってしまっている。栄養士で病院に勤務する場合と、管理栄養士である場合とで、違いを描く、描かないの問題が生じることになる。
ここは、管理栄養士の資格の意味と出来る仕事の範囲について、きちんとした説明があるべきだったと思う。
姉の歩の店が、独自ブランドで服を作るという。今の時代であるから、縫製は海外の工場に委託することになる。これを、結が、全部一人で現地の会社との交渉までやっているということだったが、これはどうなのだろうか。サンプルを見て、縫製が雑だから、現地に行って確認してこい、というのも、どうかなと思う。国としては、バングラデシュなどになるかもしれないのだが、そのようなところまで、日本の立ち上げたばかりの個人経営のブランドのオーナーが、出かけて行くだろうか。そもそも、海外の工場で生産するのは、(国内ではもうそのような業者がいなくなっているということもあるかもしれないが)、人件費が安い国だからである。コストカットのために海外で作っている。現地まで行って確認するようなことをしていたら、もともこもない。せめては、その現地の工場で、奴隷的な労働で従業員が働かされていないかということを気にするぐらいだろう。(あるいは、これからの展開で、現代版の女工哀史の救済というようなことになってもいいかもしれないが。)
また、なんでもかんでもギャルに関係させれば無事解決というのも、どうだかなあと思う。(このあたりは、このドラマの基本方針ということなのかもしれないが。)
それから、強いて言えばということになるが、胃がんになった聖人が自分の病気のことについて調べるなら、国立がん研究センターのHPを見る、という設定にしてあった方がよかった。今の日本で、最も信頼のおけるがんについての情報源である。下手に検索すれば、怪しげなHPがいっぱい出てくる、これは避けた方いいということで、あえて啓蒙的にドラマを作ってもよかったところではないかと思っている。国立がん研究センターの名前を出しても、別にNHKのドラマとして問題はないだろう。
2025年2月21日記
『カーネーション』「悔いなき青春」 ― 2025-02-23
2025年2月23日 當山日出夫
『カーネーション』 「悔いなき青春」
歴代の朝ドラのなかでも最も印象に残る台詞である。安岡のおばちゃんの言った「あの子はやったんやな、あの子がやったんや」のことばは、見るものの心の奥深くに訴えかけるものがある。勘助が戦争(日中戦争から太平洋戦争)において、戦地でどんな体験をしてきたのか、このドラマのなかでは具体的にはまったく語られていない。ただ、戦争から帰還した勘助が、(今でいう)PTSDの症状であったことは、現代の人間なら理解はできることである。また、戦争において、日本軍がどのようなことをしてきたか、兵士たちがどんな体験をしたか、このドラマの放送されたころには、かなり具体的なことが多くの人びとに知られているようになっていた。
ここでは、安岡のおばちゃんの台詞から、勘助の身の上に起こったことを、このドラマを見るものが、ただ想像するしかない。ただ、想像にまかされている。説明的な台詞やナレーションは、一切なかった。だからこそ、余計に、ここから何を読みとるかは、見るものの責任ということになる。そして、このドラマの脚本、演出は、見るものの想像力を信頼している。見るものの想像力を信頼しているからこそ、すぐれたドラマになる。
『カーネーション』が朝ドラのなかで最高傑作であるといわれるゆえんである。
この週で、尾野真千子の糸子が終わる。その娘たちの世代に移り変わっていく様が描かれていた。糸子は、店(オハラ洋装店)の看板を、娘にゆずる気でいる。自分が父親の善作かゆずられた看板である。小原呉服店であったものが、オハラ洋装店として、糸子がうけついできた。その看板の重みというものを、誰よりも糸子は理解している。これまで頑張ってきたのは、この看板をまもることでもあった。
しかし、娘たちは、看板の重みということを意識していない。それぞれに独立して、自分の才覚でやっていこうとしている。
この世代の違い……父親の善作、糸子、娘たち(優子、直子、聡子)……それぞれに、店の看板というものに対する意識が違っている。これは、善し悪しということではなく、時代の価値観の変化、社会のなかでの人間の生き方の違いである。古い世代だから間違っているという見方では、このドラマは人間を描いていない。それぞれの時代において、人間はそれぞれそのようにして生きてきたものである、ということを、時代や世相の変化とともに、きわめて情感を込めて肯定的な視点で描いている。
善作はたしかに、旧弊な封建的暴君という面もあったが、律儀な街の商売人であった。糸子は、看板をゆずりうけて、女性の洋装店をまもってきた。その子供たちは、岸和田の街を離れて、外の世界で活躍しようとしている。
このドラマは、岸和田の街、そして、そこの商店街の人びと、小原の家(建物)とそこに住んできた人たちの物語である。糸子は、あくまでも岸和田の街にとどまる。
それから、母親の千代は、歳をとってきて認知症ということになるのだが、この過程を、自然に描いている。人が生きて長生きすればいずれこうなる(こともある)。それを悲観するでもなく、人間とはそういうものだとして描いている。
ここまで見てきて、このドラマの作り方としては、窓から外の景色が見えるようにセットが作ってあること、外からの光を効果的につかって、季節や一日の時間の変化を表していること、その結果、奥行きのある画面になっていることが上げられる。ほとんどが岸和田の糸子の家のなかの場面なのだが、照明の変化によって多彩な映像となっている。このあたりは、ドラマの演出として、非常に凝った作り方をしていると感じるところである。
2025年2月22日記
『カーネーション』 「悔いなき青春」
歴代の朝ドラのなかでも最も印象に残る台詞である。安岡のおばちゃんの言った「あの子はやったんやな、あの子がやったんや」のことばは、見るものの心の奥深くに訴えかけるものがある。勘助が戦争(日中戦争から太平洋戦争)において、戦地でどんな体験をしてきたのか、このドラマのなかでは具体的にはまったく語られていない。ただ、戦争から帰還した勘助が、(今でいう)PTSDの症状であったことは、現代の人間なら理解はできることである。また、戦争において、日本軍がどのようなことをしてきたか、兵士たちがどんな体験をしたか、このドラマの放送されたころには、かなり具体的なことが多くの人びとに知られているようになっていた。
ここでは、安岡のおばちゃんの台詞から、勘助の身の上に起こったことを、このドラマを見るものが、ただ想像するしかない。ただ、想像にまかされている。説明的な台詞やナレーションは、一切なかった。だからこそ、余計に、ここから何を読みとるかは、見るものの責任ということになる。そして、このドラマの脚本、演出は、見るものの想像力を信頼している。見るものの想像力を信頼しているからこそ、すぐれたドラマになる。
『カーネーション』が朝ドラのなかで最高傑作であるといわれるゆえんである。
この週で、尾野真千子の糸子が終わる。その娘たちの世代に移り変わっていく様が描かれていた。糸子は、店(オハラ洋装店)の看板を、娘にゆずる気でいる。自分が父親の善作かゆずられた看板である。小原呉服店であったものが、オハラ洋装店として、糸子がうけついできた。その看板の重みというものを、誰よりも糸子は理解している。これまで頑張ってきたのは、この看板をまもることでもあった。
しかし、娘たちは、看板の重みということを意識していない。それぞれに独立して、自分の才覚でやっていこうとしている。
この世代の違い……父親の善作、糸子、娘たち(優子、直子、聡子)……それぞれに、店の看板というものに対する意識が違っている。これは、善し悪しということではなく、時代の価値観の変化、社会のなかでの人間の生き方の違いである。古い世代だから間違っているという見方では、このドラマは人間を描いていない。それぞれの時代において、人間はそれぞれそのようにして生きてきたものである、ということを、時代や世相の変化とともに、きわめて情感を込めて肯定的な視点で描いている。
善作はたしかに、旧弊な封建的暴君という面もあったが、律儀な街の商売人であった。糸子は、看板をゆずりうけて、女性の洋装店をまもってきた。その子供たちは、岸和田の街を離れて、外の世界で活躍しようとしている。
このドラマは、岸和田の街、そして、そこの商店街の人びと、小原の家(建物)とそこに住んできた人たちの物語である。糸子は、あくまでも岸和田の街にとどまる。
それから、母親の千代は、歳をとってきて認知症ということになるのだが、この過程を、自然に描いている。人が生きて長生きすればいずれこうなる(こともある)。それを悲観するでもなく、人間とはそういうものだとして描いている。
ここまで見てきて、このドラマの作り方としては、窓から外の景色が見えるようにセットが作ってあること、外からの光を効果的につかって、季節や一日の時間の変化を表していること、その結果、奥行きのある画面になっていることが上げられる。ほとんどが岸和田の糸子の家のなかの場面なのだが、照明の変化によって多彩な映像となっている。このあたりは、ドラマの演出として、非常に凝った作り方をしていると感じるところである。
2025年2月22日記
『カムカムエヴリバディ』「1964-1965」「1965ー1976」 ― 2025-02-23
2025年2月23日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1964ー1965」「1965ー1976」
この週で描いている時代は、1964年、つまり、昭和39年の東京オリンピックの後の昭和の日本ということになる。たまたま、そうなのだろうが、再放送の『カーネーション』が、ほぼ同時代のことをあつかっている。ほとんど同じ時代の岸和田と京都である。両方とも東京オリンピックのことは、ドラマのなかで時代的背景としてはあつかっていない。だが、まだ、戦後の高度経済成長の名残の時代という雰囲気の昭和の時代である。
るいの子どもは、ひなたと名付けられる。「On the Sunny Side of the Street」にちなんでいる。その小学生時代のことがメインだった。
このころの京都の街中の小学生は、こんなだったかなあ、と思い出しながら見ていたことになる。ひなたはあまり学校の勉強が好きではない。しかし、時代劇が好きで特にモモケンにあこがれている。(これはこれからのドラマのストーリーの展開の重要な部分になる。)
京都には、地蔵盆がある。京都の小学生としては、地蔵盆が過ぎてから夏休みの宿題にとりかかる……というのが定番といえるだろうが、ひなたの場合、夏休みの最後の日まで、先延ばしにしてきている。結局のところ、友達の小夜ちゃんに手伝ってもらうことになる。お父さんのジョーは、あてにならない。
ジョーは、ひなたの学校の宿題を見て、自分は勉強しなかったからという意味のことを言っていたのだが、実際は、ジョーはほとんど学校に通ったことは無かっただろう。岡山で戦災孤児になり、定一に拾われて世話してもらうことになる。進駐軍あいてのジャズの演奏について回っていたようなのだが、おそらく、学校にきちんと通ったことは無かっただろう。戦後、定一にあったころが、たぶん十才ぐらいの少年だったろうか。一通りの読み書きは出来る、また、音楽の手ほどきはうけたようだが、それ以外の学校の勉強はしたことがなかったと想像できる。だから、ひなたの小学校の宿題を見てあげることができない。
さりげないシーンだが、ジョーの生いたちと、それから、この時代に同じような境遇にあった多くの人びとのことを思い浮かべることになった場面だった。
時代としては、ちょうど太秦に映画村が出来たころ、ということになる。この時代、映画は衰退の方向に向かっていて、テレビ時代劇が生きのびていたころ、ということになるだろうか。定番の「銭形平次」「水戸黄門」などの他に、「必殺」シリーズや「木枯し紋次郎」も、このころのことになる。ちょうど、しばらく前に再放送していた『オードリー』が描いていた時代と重なる。
この『カムカムエヴリバディ』の京都編(ひなた編)は、随所に『オードリー』を意識しているかな、という部分がある。私としては、これは成功していると感じるところである。
京都の商店街で、回転焼き屋をやっていくというのは、大変だろうなあ、と思うとこではある。特に、ジョーが、何もしない。まあ、世の中には、このような人がいてもいいのであるし、この時代、商店街の人たちも、なんとなく、ジョーのことを気にかけているようだし、働かないで家にいることを、そうとがめるというふうでもない。この時代の商店街の雰囲気としては、こういうこともあっただろうと感じさせることになる。
どうでもいいようなことかもしれないが、ドラマのなかで、るいは回転焼きを焼く仕事をしている。ジョーと店で話しをするときも、手を動かしている。こういう演出を見ると、そこに住んで働いている人がいる、という実感が伝わってくる。ドラマのなかで、実際に手を動かして仕事をしている部分をきちんと描いてあるというのは、非常に重要なことだと私は見ながら思っている。
2025年2月22日記
『カムカムエヴリバディ』「1964ー1965」「1965ー1976」
この週で描いている時代は、1964年、つまり、昭和39年の東京オリンピックの後の昭和の日本ということになる。たまたま、そうなのだろうが、再放送の『カーネーション』が、ほぼ同時代のことをあつかっている。ほとんど同じ時代の岸和田と京都である。両方とも東京オリンピックのことは、ドラマのなかで時代的背景としてはあつかっていない。だが、まだ、戦後の高度経済成長の名残の時代という雰囲気の昭和の時代である。
るいの子どもは、ひなたと名付けられる。「On the Sunny Side of the Street」にちなんでいる。その小学生時代のことがメインだった。
このころの京都の街中の小学生は、こんなだったかなあ、と思い出しながら見ていたことになる。ひなたはあまり学校の勉強が好きではない。しかし、時代劇が好きで特にモモケンにあこがれている。(これはこれからのドラマのストーリーの展開の重要な部分になる。)
京都には、地蔵盆がある。京都の小学生としては、地蔵盆が過ぎてから夏休みの宿題にとりかかる……というのが定番といえるだろうが、ひなたの場合、夏休みの最後の日まで、先延ばしにしてきている。結局のところ、友達の小夜ちゃんに手伝ってもらうことになる。お父さんのジョーは、あてにならない。
ジョーは、ひなたの学校の宿題を見て、自分は勉強しなかったからという意味のことを言っていたのだが、実際は、ジョーはほとんど学校に通ったことは無かっただろう。岡山で戦災孤児になり、定一に拾われて世話してもらうことになる。進駐軍あいてのジャズの演奏について回っていたようなのだが、おそらく、学校にきちんと通ったことは無かっただろう。戦後、定一にあったころが、たぶん十才ぐらいの少年だったろうか。一通りの読み書きは出来る、また、音楽の手ほどきはうけたようだが、それ以外の学校の勉強はしたことがなかったと想像できる。だから、ひなたの小学校の宿題を見てあげることができない。
さりげないシーンだが、ジョーの生いたちと、それから、この時代に同じような境遇にあった多くの人びとのことを思い浮かべることになった場面だった。
時代としては、ちょうど太秦に映画村が出来たころ、ということになる。この時代、映画は衰退の方向に向かっていて、テレビ時代劇が生きのびていたころ、ということになるだろうか。定番の「銭形平次」「水戸黄門」などの他に、「必殺」シリーズや「木枯し紋次郎」も、このころのことになる。ちょうど、しばらく前に再放送していた『オードリー』が描いていた時代と重なる。
この『カムカムエヴリバディ』の京都編(ひなた編)は、随所に『オードリー』を意識しているかな、という部分がある。私としては、これは成功していると感じるところである。
京都の商店街で、回転焼き屋をやっていくというのは、大変だろうなあ、と思うとこではある。特に、ジョーが、何もしない。まあ、世の中には、このような人がいてもいいのであるし、この時代、商店街の人たちも、なんとなく、ジョーのことを気にかけているようだし、働かないで家にいることを、そうとがめるというふうでもない。この時代の商店街の雰囲気としては、こういうこともあっただろうと感じさせることになる。
どうでもいいようなことかもしれないが、ドラマのなかで、るいは回転焼きを焼く仕事をしている。ジョーと店で話しをするときも、手を動かしている。こういう演出を見ると、そこに住んで働いている人がいる、という実感が伝わってくる。ドラマのなかで、実際に手を動かして仕事をしている部分をきちんと描いてあるというのは、非常に重要なことだと私は見ながら思っている。
2025年2月22日記
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