電子書籍とWalkmanのこと2016-06-07

2016-06-07 當山日出夫

大学に行って、授業までの時間、何をしてすごすか。

以前、若い時ならば、持って行った本を読む。あるいは、その大学の図書館で調べ物をしたり、書庫のなかをぶらついてみたりしたものである。それが、だんだん年をとって、目の調子が悪くなってくると……はっきり言えば老眼であるが……紙の本を読むのがつらくなってきた。

そこで、電子書籍を読むことになった。これは、文字が大きくできるので、老眼になっても楽である。

電子書籍端末、はじめのころに買って使っていたのは、ソニーの、Readerである。

これで、かなりの本を読んだと思う。夏目漱石の、その当時の段階で手にはいる主な作品は読んだ。たぶん、今でも、文庫本などで読める作品のほとんどであると言ってよいだろう。それから、藤沢周平の作品のかなりを読んだりした。

だが、ソニーは、Readerの新規開発を中止してしまった。電子書籍(デジタルデータ)の販売はつづけるが、電子書籍端末(ハードウェアの方)は、もう新しいのが出なくなってしまった。

まだ、Readerは使えるのだが、新規機種が出なくなってしまったら、ここで、乗り換えるしかないかなとも思った。そこで、次に買って(今でも使っているのは)Kindleである。

結局、夏目漱石の作品は、かつてのReader用にダウンロード(購入)したのとは別に、Kinedle用に、新たに購入することになった。もちろん、Amazonからである。(このあたりの事情については、また、改めて考えてみることにする。)

そして、今では、電子書籍を読むのもつらくなってきた。もっぱらWalkmanで、音楽を聴いている。iPodももっているのだが、Walkmanの方が音質がいい(ように感じる。)

一時間ほどの休憩時間である。リラックスできるのがいい。それには、何よりも、「わかりやすい」こと、である。いわゆる歌の上手/下手というのとは別の次元の話しである。

しかし、家に帰って、自分の部屋(書斎)でゆっくりしたいような時には、Bill Evans など聞くことが多い。Bill Evans あたりのジャズになると、ちょうど私が学生のころ、深夜のFM放送「アスペクト・イン・ジャズ」などで、よく聞いていた。この意味では、私にとっては、懐かしのメロディということになる。

普段きいている音楽のことなど、またあらためて。

大学生のコンピュータリテラシの今2016-06-08

2016-06-08  當山日出夫

去年から、担当する授業を整理することにした。具体的には、コンピュータ操作の入門の授業を一つ辞めることにしたのである。

理由は主に次の二つである。

第一には、もう自分も年をとってきたので、そろそろ辞めにしたいという気になったことである。

一般の大学などにおける定年の年齢までには、まだ余裕がある。しかしである、大学生にコンピュータを教えるといっても、その大学生が生まれたのは、昔、Windows95が出てからのことになる。ものごころついたころには、身のまわりに、インターネットにつながったパソコンがあった世代である。その世代の学生を相手にして、Windowsはおろか、MS-DOS以前からパソコンを使っている人間が、もはやものを言う時代でもないだろうと思う。

大学生のコンピュータリテラシは、確かに向上している。もう、大学でWordやExcelの基本操作など、教えなくても、大丈夫だろうという気になっている。

第二には、これとは、まったく逆になるが、大学生のコンピュータリテラシが低下しつつあるので、ついていくのがつらくなってきた、ということにある。

その原因は、スマホ(スマートフォン)である。スマホひとつあれば、コンピュータでできることの、かなりのことをやってしまえる。私は実見したことはないが、スマホでレポートを書いてしまう学生もいるという。このような学生を相手にして、WindowsやWordの基本操作を教えるのは、骨がおれる。

以上、二つの理由。相反することがらであるが、これらのことが同時進行で起こっている。このような状況にあって、もはや私などの出る出番ではないな、と実感するようになってきた。

大学生のコンピュータリテラシは、今、両極端に分化してしまっている。コンピュータを使いこなす学生と、それができないでいる学生とにである。これから、大学生に対するコンピュータ教育は、どんどん難しいものになっていくにちがいない。その前に、私は、もう辞めようとと決断したことにになる。

それよりも、本がよみたいと思うようになった。(だから、このブログを再開してみたということもあるのだが。)

安丸良夫『神々の明治維新』2016-06-09

2016-06-09 當山日出夫

安丸良夫.『神々の明治維新-神仏分離と廃仏毀釈-』(岩波新書).岩波書店.1979
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/42/9/4201030.html

若いときに読んでいたはずの本だと思うのだが、見当たらないので買い直して読んでみた。(先日の、著者の訃報に接してである。)

サブタイトルのことばが、この本の内容をよく表している。神仏分離と廃仏毀釈については、歴史の教科書で習って、名前ぐらいは知っている。よく事例に出されるのが、興福寺と春日大社の例。これについては、たとえば、島田裕巳の本に詳しい。

島田裕巳.『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書).幻冬舎.2013
http://www.gentosha.co.jp/book/b7239.html

ところで、現在、われわれは神仏分離・廃仏毀釈について、どのようにイメージしているだろうか。明治の近代国家成立の過程でおこったできごととし、過去の事件としてであろうか。確かに、これは、過去の日本の歴史においておこった出来事であるにはちがいない。

だが、それだけでは済まされない問題があると、私は思う。というよりも、この本『神々の明治維新』が、それを教えてくれる。現代のわれわれの宗教観、ひいては国家観にかかわる問題でもあるのである。

では、現代のわれわれから見て、明治維新のときにおこった神仏分離・廃仏毀釈というのは、どういう意味があるのであろうか。神仏分離・廃仏毀釈の政策は、結果としては失敗したといえるだろう。だが、その影響は、今におよんでいる。

それは、筆者の表現を引用するならば、次のようになる……

「神仏分離と廃仏毀釈を画期とし、またそこに集約されて、巨大な転換が生まれ、それがやがて多様な形態で定着していった。そして、そのことが現代の私たちの精神のありようをも規定している」(p.2)

(教育勅語について)「国家は、各宗派の上に超然とたち、共通に仕えなければならない至高の原理と存在だけを指示し、それに仕える上でいかに有効・有益かは、各宗派の自由競争に任されたのである。」(p.209)

(近代日本における信教の自由は)「国体神学の信奉者たちとこれらの諸政策とは、国家的課題にあわせて人々の意識を編成替えするという課題を、否応ない強烈さで人々の眼前に指示してみせた。人々がこうした立場からの暴力的再編成を拒もうとするとき、そこに提示された国家的課題は、より内面化されて主体的にになわれるほかなかった。」(pp.210-211)

そして、私がこの本を読んだ印象としては、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈は次の三つの課題を残したと理解する。

第一に、いわゆる「国家神道」の形成である。筆者では、この本ではそこまで語ってはいないが、戦後、はたして、われわれは「国家神道」というものから、本当に自由になれたのであろうか。それを克服できているのであろうか。

第二に、民間信仰・民俗宗教の抑圧である。近代における神社の再編成、そして、廃仏毀釈の運動によって、多くの民間信仰・民俗宗教が、排除されることになっている。それをくぐりぬけたものが、今に残っていると考えるべきであろう。それ以前の神仏習合の状態にあったときからの民俗を、現代、どのように考えるべきなのか。「国家神道」の形成は、民俗宗教の疎外とワンセットのことがらである。

第三に、宗教の内面化である。たとえば、島地黙雷について「真宗の近代性への確信と、ナショナリストとしての情熱と、近代文明への希求とを、結びつけた」という。(p.204)。

そして、この第三の論点は、近代日本における宗教の重要な課題になっていると私は思うのである。この論点については、

島薗進・中島岳志.『愛国と信仰の構造-全体主義はよみがえるのか-』 (集英社新書) .集英社.2016
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0822-a/

が、重要であると思う。これについは、またあらためて。

近畿地区MALUI名刺交換会20162016-06-09

2016-06-09 當山日出夫

今年も、名刺交換会がひらかれる。

近畿地区MALUI名刺交換会(2016年度)
2016-06-26(日)19:00-21:00
コープイン京都 2階 大会議室

 http://bit.ly/MALUI2016

この行事、何年か前に、私がふと思い立ってはじめてみたものである。
最初は、京都MLA名刺交換会といっていた。それが、MALUIに拡張され、近畿にまでひろがっている。

ところで、「名刺交換会」という名称……たまたま、私が、慶應義塾の塾員だから知っていたことばである。今でも、慶應では、名刺交換会をやっているはず。なにげなく使ってみたことばだが、今では、このことばで定着してしまったようである。

追記(2016-06-16)
事情があって、この会、今回は、私は不参加にします。残念ですが。また、いろんなおりに、みなさまにお目にかかることもあろうかと思います。

プレゼンのUSBメモリの注意点2016-06-10

2016-06-10 當山日出夫

学生に、プレゼンテーションを教えている。具体的には、パワーポイントをつかっての実習である。学生に、実際に、教室の前にたって発表をやってもらう。

教室の前の教員用のパソコンを使う。そのマシンで、パワーポイントの画面を見ると同時に、同じ画面が、プロジェクタでスクリーンに映し出される。

このとき、学生は、パワーポイントのスライドのデータをUSBメモリでもってくる。これは、普通のことだろう。だが、その時、ことさらに注意していることがある。

たいていの学生は、プレゼン用のスライドデータを、その他のデータ(他の授業のものなど、いろんなフォルダや、文書ファイルのデータ)と一緒に持ってくる。そして、その画面(USBメモリをパソコンにセットして、開いて見た画面を、プロジェクタで、みんなに見せてしまう。しかも、なかには、いったいどのファイルだったかわからなくなって、まごつくような学生もいる。)これを、私は、注意することにしている。

これは、今の時点で教室で見ているのは、学生と教師(私)だけであるからいいようなものの……これが、卒業してから就職して、企業の仕事で、外に出てプレゼンテーションしなければならないような場面だったら、基本的にダメだということにしている。

理由は、次の二つ。だいたい次のようにいう。

第一に、会社の自分の業務で作っているような書類のデータがどんなであるか、それを社外の人に見せてしまっていいと、思いますか。発表している人の会社は、会社のデータを、社員が勝手に外に持ち出している……そんな危惧を、見ているひとはいだくかもしれない。そのような会社が信用されると思いますか。

あるいは、会社の仕事のデータと、個人のデータとを、区別しないで、ひとつのUSBメモリにいれて、持ち歩いているようなことは、企業倫理として、許されることでしょうか。

第二に、もし、そのUSBメモリを紛失したりしたらどうするんですか。貴重な他のデータも、消えてしまうことになる。そんな危険をおかしていいのでしょうか。

実際、大学のコンピュータ教室で困ることのひとつ、USBメモリ(かつては、フロッピーディスク)の忘れ物である。これは、キャンパス内の忘れ物の担当の部署にとどけはするものの、その後、どうなるかは、関知するところではない。

だいたい以上のようにいう。そして、発表のときには、その発表で必要なデータ(パワーポイントのスライド)だけをいれた、USBメモリを用意してきて、それを使うようにしなさい、ということにしている。

それでも、たいていの学生は、この注意点をきかないで、あいかわらず、他のもろもろのデータと一緒に持ってきて、そのフォルダをひらいた画面を、教室でみんなに見せて平然としている。

しかし、この前、私の注意にきちんとしたがった学生がいた。発表のスライドのデータだけをいれたUSBメモリを準備してきた学生である。

プロジェクタで映し出された画面には、ぽつんとひとつだけ、その日のプレゼンテーション用のスライドファイルがあるだけ。これは、非常な安心感を与えてくれる。(少なくとも、私には。)

話しを聞くと……大学生になってからずっと、ある大手の宅配の業者のところでアルバイトをしていたとのこと。たとえば、配達の時間を厳守する、お客様には常に笑顔で接する、代引きなどの金銭管理は厳格に、など。たぶん、その宅配のアルバイトの仕事のなかで、企業のコンプライアンスが身についているのだろう、と感じさせた。宅配業というのは、各種の個人情報にかかわる業務である。したがって、そこでの企業倫理は、厳然としたものがあるだろう。

学生が成長するのは、なにも大学のキャンパスのなかでだけとは限らないといってもよいかもしれない。大学生であることの意義は、様々な可能性の時間をあたえてくれることにある。

いや、本来は、大学の教育のなかでおこなわれるべきことなのかもしれないが。

ペリーはどうやって日本に来たのか2016-06-11

2016-06-11 當山日出夫
2016-07-01 追記 このブログのつづきとして、中公新書『ペリー来航』について書いてある。

やまもも書斎記 2016年6月30日
西川武臣『ペリー来航』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/30/8121187


1853年、黒船来航、アメリカのペリーが黒船で日本にやってきて、開国をせまった……こんなことは、中学・高校の歴史の常識だろう。

これは、ウソではない。しかし、これだけでは、不十分だと思う。そのいくつかを書いてみたい。

まず、ペリーはどのようなルートで日本にやってきたのか、である。

私は、(正直に言って近年まで)太平洋をわたってやって来たのだと思っていた。だが、そうではないのである。

それを知ったのは、大江志乃夫の本による。今、手元にないのだが、たぶん次の本。

大江志乃夫.『ペリー艦隊大航海記』(朝日文庫).朝日新聞社.2000
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=3595

それから、このことは、松本健一の本を最近になって読んで確認した。

松本健一.『日本の近代1-開国・維新- 1853~1871』(中公文庫).中央公論新社.2012(原著は、1998.中央公論社)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2012/06/205661.html

ペリーは、太平洋をわたってやって来たのではない。アメリカ東海岸から、大西洋をわたり、喜望峰をまわり、インド洋に出て、東南アジアを経て、日本にやって来ている。

そして、これも重要なことだと思う。しかし、普通の日本史の教科書には書いてないであろうこと。それは、日本に来る前に、琉球に立ち寄っていることである。言うまでもなく、明治になるまで、琉球は、日本とは別の、(一応は)独立した王国であったのである。そこにも、ペリーは行っている。

このことは、どうして、教科書に書いてなかったのであろうか。(ただ、私が不勉強だったせいか。)

私がこのように思うのは、何故、アメリカが最初に日本にやってきて開国をせまったのか、その歴史的経緯にかかわると思うからである。アメリカの意図と、その当時の国際情勢である。

アヘン戦争で、中国を侵略していたイギリスではなく、アメリカが最初であった理由は、いったい何なのだろうか。順当に考えれば、イギリスがインド・中国につづいて帝国主義的に侵略する最初であってもおかしくない。

以下、私見である。なぜアメリカであったかは今後に考える別の問題として、太平洋をわたってきたというイメージについて。

たぶん、日本とアメリカは、太平洋をはさんで、かつては敵国として戦争をした国であり、また、戦後は同盟国である、ということの無意識のうちの思い込みのせいかもしれない。日本とアメリカは、太平洋をはさんだ隣国なのであるという意識である。日本とアメリカが戦った戦争を、太平洋戦争と、戦後になって称するようになっている。

それから、おそらくは、咸臨丸のこともあるのかと思う。確かに、咸臨丸は太平洋を横断している。だから、日本からアメリカに行くのは(逆にアメリカから日本にくるのも)、太平洋を船でわたるのが当然であると思ってしまう。

ペリーがどのルートで日本にやって来たのか……これは、「日本史」の知識としては、どうでもいいことなのだろうか。私には、そうは思えない。近代日本の歴史を考えるうえで、19世紀、日本がどんな国際情勢のなかにあったのかを見るためには、欠かせない視点だと、私は考える。

JADS(2016)年次大会2016-06-11

2016-06-11 當山日出夫

今日は、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の年次大会
2016年6月11日・12日
奈良国立博物館 講堂

http://d.hatena.ne.jp/JADS/20160318/1458261422

『文学』休刊に思うこと2016-06-12

2016-06-12 當山日出夫

すでにWEB上その他で、いろんな人が発言している。私にとってみれば、ああ、また一つ雑誌が減ったのか。あるいは、岩波書店は、これから本当に大丈夫なのだろうか、といった感想であった。

『文学』休刊のお知らせ
http://www.iwanami.co.jp/bungaku/

『文学』(岩波書店)休刊のニュースからやや時間がたったので、ここで自分なりに思うことをすこし書いてみたい。

まず、いうまでもないことであるが、日本文学・国文学関係の各種雑誌の衰退ということがいえよう。『国文学』『解釈と鑑賞』は、すでにない。『月刊言語』もなくなってひさしい。

また、これもよく指摘されることであるが、全国の大学から、日本文学・国文学の専攻が減少傾向にある、ということもいっておかねばなるまい。

だが、こんなことは、私がここで今さら書くほどのことでもないだろう。

ただ、私の立場で思うことは、
・雑誌は、「商品」として流通するものである。
・自分は、それを商品として買う「消費者」である(図書館での利用をふくめて)。
このことの確認である。つまり、消費者がいなくなれば、その商品は売れなくなる、これは当たり前のことである。そして、重要なポイントは、自分もその顧客・消費者の一人である、という認識である。商品が売れるためには、まずその消費者が存在しなければならない。

自分が買わなくなった商品なら、それが市場から姿を消してもおかしくはない。いや、当たり前である。自分が行かない、買わないお店が、つぶれて廃業したとしても、それは当然のこととするのが、今の社会のあり方であろう。

需要と供給……これは、ニワトリとタマゴのようなものであろう。だが、これから「供給」(雑誌)をいくら工夫しても、需要(消費者・読者)が、増えるということは、たぶんないだろう。少なくとも、日本文学関連の分野については、と思う。

ところで、私は、昔は(学生のころからしばらく)、『文学』を定期購読していた。大学の生協の書店で、ずっと買っていた。三田の文学部国文科の学生のころのことである。そして、だいたいは読んでいた。そんなに丁寧に読むということはなかったけれど、ざっと目を通すぐらいのことはしていた。ちなみにいえば、『国文学』も買っていた。

それが、買わなくなってしまってしまっている。その理由は、次の三つだろうか。

第一に、大学院にすすんで、自分の専門は「国語学・日本語学」と決めるようになったので、文学全般にわたる雑誌に、それほど必要性を感じなくなった、ということがある。学会として、国語学会(現在の日本語学会)、訓点語学会には所属していた。これは、今でも続けている。「文学」から「国語学・日本語学」へ専門的にシフトしていったということである。

第二に、図書館で読めると判断したからである。文学部というようなところで教えていえれば、『文学』ぐらいはおいてある。強いて、自分で買って持っておくほどのこともない。

第三に、内容がつまらないと感じるようになったからである。特に、近年のことであるが、月刊から隔月刊になって以降は、あまり読む気がしなくなった。たまに、特集で興味のあるときは買ったりしたが。

これら三つの事柄は、同時におこったことではなく、別途、時間をかけて徐々にあったことではある。しかし、総合的に考えて、このような三つの理由で、『文学』を定期購読することは止めてしまった。つまり、消費者であることをやめたのである。だが、今になって思うことは……ずっと買い続けていればよかった、そして、毎月、ざっとでも目を通すようにしておけばよかった、という悔恨である。(いや、逆にいえば、そのような雑誌であってほしかったという「願望」というべきである。)

これは、自分の勉強のあり方について考えることにもなる。あまりに、専門領域……国語学・日本語学のなかでも、訓点語・文字・表記、そしてそれから私の場合には、コンピュータの文字について……に、とじこもらずに、ひろくいろんな文章・論文を読んでおくべきであった。

今になって、そのような生活をおくってみたい、このようなブログで『文学』というカテゴリを作って毎月の号の感想を記す、こんなこともいいかな……と思ったところで、その『文学』がなくなってしまうことになっている。

けれども、もし、私が定期購読者を続けたところで、かつてのような月刊の『文学』が存続したとも思えない。だが、そうはいっても、いささか残念な思いがあることも事実である。

そして、これを、別の観点からはこのようにいうこともできよう……『文学』を毎月ひととおり読み続けるような勉強のあり方が、もはやすたれてしまったこと、このことが基本にある。文学部での勉強のスタイルというか、生き方のようなものが、変化してしまったのである。

そのようなスタイルの勉強が変容してしまったこと、『文学』がつまらなくなってしまったこと、『国文学』などが終わりになったしまったことなどは、関連する一連のできごとだと思う。

いうなれば、いまでは、『文学』という商品の供給を必要とするような、消費者がいなくなってしまったのである。

このことについては、後ほど続けて書いてみたい。

付記
なお、この文章は、松本功(ひつじ書房)のFacebookでの発言に触発されて書いたところのあることを、書き添えておきたい。誤解してのことかもしれないが。

追記 2016-06-19
この文章のつづきは、
「世界をまるごと分かりたい」(2016ー06ー17) として書いてある。
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/17/8113547

米窪明美『明治宮殿のさんざめき』2016-06-13

2016-06-13 當山日出夫

米窪明美.『明治宮殿のさんざめき』(文春文庫).文藝春秋.2013(原著は、2011.文藝春秋)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167838782

これは、同じ著者(米窪明美)による『明治天皇の一日』のときもあげておいた。

米窪明美.『明治天皇の一日-皇室システムの伝統と現在-』(新潮新書).新潮社.2006
http://www.shinchosha.co.jp/book/610170/

やまもも書斎記(2016-05-29):米窪明美『明治天皇の一日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/05/29/8097931

この二冊、読んでみると、かなり重複する内容である。それはそうだろう、明治宮殿(明治になってから、江戸が東京になって、旧江戸城が皇居となった)の「日常」を描くのに、その「一日」を軸にするか、「一年」を軸にするか、その時計のとりかたの違いなのであるから。

しかし、そうはいっても、『明治宮殿のさんざめき』には、特別のことが記される。それは、明治天皇の崩御のときの様子である。

明治45年7月19日、天皇がたおれた。そして、7月30日午前0時43分、崩御。しかし、これには裏があるという。実際には、その2時間前の、7月29日午後10時43分であったらしい。公式発表と実際の時間との違いは、次の天皇(大正天皇)の践祚の準備のために時間を要したためとのこと。

ところで、天皇の崩御というと、私の世代にとっては、昭和天皇のときのことが思い出される。だからということもあるが、天皇の崩御という事件を、昭和天皇のときのことだけで考えてはいけないだろう。では、当時、人々はどんなだったろうか。

「これ(宮中)とは対照的に、皇居の外は賑やかだった。/天皇の危篤を知った国民の中から、自然発生的に皇居に集まり快癒を祈る動きが出てくる。各新聞がこぞって土下座して祈る市民の写真を掲載するとさらに人が集まり……、膨れ上がった人垣に秩父宮は息をのむ。」(p.210)

むしろマスコミが、それを事件としてあおり立てる、これは昭和天皇のときもそうであったように思う。

それから、昭和天皇のとき気になっていたことの一つが、その遺体をどのようにあつかったかということ。これについては、

「その後(遺骸を棺に収めた後)棺は八月十三日に宮中正殿に設置された殯宮(中略)へ移され、日々皇族や文武百官による礼拝が行われた。これらのことが暑さの盛りに行われていたことを考えると、遺体の保存は大丈夫だったのかとついつい心配になるが、その点について触れた史料は見当たらない。」(p.216)

と、きわめて冷静にしるしている。

なお、米窪明美の本を読んで、注目しておきたいのは、いわゆる「皇室敬語」をつかっていないことである。あくまでも史料に即して、淡々と記述していく。

明治天皇については、

松本健一.『明治天皇という人』(新潮文庫).新潮社.(原著は、2010.毎日新聞社)
http://www.shinchosha.co.jp/book/128733/

笠原英彦.『明治天皇―苦悩する「理想的君主」-』(中公新書).中央公論新社 .2006
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2006/06/101849.html

ドナルド・キーン(角地幸男訳).『明治天皇』(新潮文庫)全四巻.新潮社.2007
http://www.shinchosha.co.jp/book/131351/

などがあるが、追って読後感など書いていきたい。

『和紙-近代和紙の誕生-』2016-06-14

2016-06-14

今、奈良国立博物館でやっている展示。
特別陳列『和紙-近代和紙の誕生-』(2016年6月7日-7月3日)

不勉強ながら……この展示を見るまで、「近代和紙」というものについて認識がなかった。主に日本の古典籍をあつかう勉強をしてきた人間として、不明をはじるしかない。

今回のこの展示から学ぶべき点は、次の三点であると私は考える。

第一に、和紙の生産というのが、明治以降の日本の近代産業のひとつであるという認識。大量生産が可能になって、輸出もされれている。タイプライター用紙など。

第二に、上記のことの再確認であるが、いわゆる和紙というものが前近代からの伝統産業であり、その時代のものを今にうけついでいるという、思い込みのようなものに気づくことである。いいかえれば、古いと思っていたものの新しい側面、とでもいおうか。

第三に、その中心的役割をはたしたのが、吉井源太という、高知県いの町の人物の存在。今回の展示は、吉井源太の功績を顕彰するものでもあると思う。

そして、さらにいうならば……現代の古文書・古典籍の修復事業のあり方についてである。

この展示、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)が、奈良国立博物館で開催の時、ちょっと早い目に行って見てきた。一室だけの展示ではあるが、上記のようなあたらな発見をあたえてくれる。

高知県いの町 いの町紙の博物館 
http://kamihaku.com/

こんど機会があれば、是非とも行ってみたいものである。