『「死の棘」日記』島尾敏雄2018-06-14

2018-06-12 當山日出夫(とうやまひでお)

「死の棘」日記

島尾敏雄.『「死の棘」日記』(新潮文庫).新潮社.2008 (新潮社.2005)
http://www.shinchosha.co.jp/book/116405/

『死の棘』を読んだのは、昨年、一昨年のことになる。

やまもも書斎記 2017年1月26日
『死の棘』島尾敏雄
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/26/8333549

その後、

梯久美子.『狂うひと-「死の棘」の妻・島尾ミホ-』.新潮社.2016

を読んだ。いや、この『「死の棘」日記』は、かなり時間をかけて読んだので、読み始めたのはこちらの方が早かったのかもしれない。いずれにせよ、相当の時間をかけて『「死の棘」日記』と『狂うひと』の二冊を読んだのであった。なぜ、時間がかかったのか。一気に読んでしまえば、読めない本ではない。だが、時間がかかってしまっていた。また、読後も、すぐに読んで思ったことなど書こうとも思いながら、本がうもれてしまっていた。

何故か……それは、やはり考えてしまうからなのであろう。『死の棘』あるいは『「死の棘」日記』に書かれたことは、「本当」のことなのだろうか。また、島尾敏雄とミホの関係は、いったい何だったのだろうか。読めば読むにしたがって、考えがまとまらなくなる。

無論、文学だからフィクションと割り切ってしまえばいいのかもしれない。だが、『死の棘』は、戦後日本文学のなかで、最高に評価の高い小説、それも、私小説である。そう簡単にフィクションと割り切ってしまう気になれない。

また、『死の棘』を書いた著者(島尾敏雄)は、なぜ、その日記『「死の棘」日記』を書いていたのか。そして、さらに、なぜ、妻・ミホは、その刊行にいたることになったのか。

こうまで克明に妻の病気、それも精神的な病気のことを、書き綴る意図は何なのだろうか。そして、自分のことが書かれた日記を、夫の死後に刊行する妻の気持ちはいったい何なのだろうか。

このようなことを思いながらも、文庫本で500ページを超える分量を、じっくりと文字を追って読んでしまったのである。書いてあるのは、小さな家族の日常生活と、徐々に精神を病んでいく妻の姿のみといってよい。それを読んでしまうというのは、つきなみな言い方になってしまうが、これが「文学」というものなのだろう、としかいいようがない。

文学としての「日記」これは、日本文学における伝統といっていいかもしれない。近代においては、永井荷風の『断腸亭日乗』が著名である。あるいはこうもいえようか、日記が文学になるのではなく、逆に、日記という形式をかりることによって表現しうる文学というものがあるのである、と。

はっきりいってよくわからないというのが正直なところである。だが、まぎれもなくこの日記は文学たりえていると確信するものがある。

なお、蛇足を書いておくと、読みながら付箋をいくつかつけた。豊島与志雄の人名が出てきたときにである。数カ所に豊島与志雄の名前が、出てくる。その死について記してある。作家としてである。豊島与志雄は、今ではもう忘れられた作家である。だが、その訳した『ジャン・クリストフ』は、今でも読まれている。

やまもも書斎記
2017年9月28日
『ジャン・クリストフ』ロマン・ローラン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/28/8685378

島尾敏雄にとって、豊島与志雄は、仲間としての作家であったことが分かる。

なお、新潮文庫の『「死の棘」日記』の解説を書いているのは、加藤陽子。歴史学者の目、史料批判の目で、『「死の棘」日記』をどう読むことになるのか。この観点でも、興味深いものがあった。加藤陽子の文学的感性が光っている。