ブラタモリ「鎌倉〜頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?〜」2024-02-06

2024年2月6日 當山日出夫

ブラタモリ 「鎌倉〜頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?〜」

鎌倉の鶴岡八幡宮には行ったことがあるかどうか、記憶が定かでない。行ったことがあったとしても、若いときのことで、もう忘れてしまっている。

この回では『吾妻鏡』を参照していた。これは珍しいかと思う。

鎌倉の今のところに鶴岡八幡宮を持ってきたのが頼朝であるということは分かるのだが、では何故「八幡宮」であるのか。ここのところの説明がなかったのが、ちょっと残念な気がする。まあ、このところを考えると、日本における神社の歴史を総合的に考えなおすということになるのかもしれないが。

段葛をわざわざ、川の流れている低い土地に築いたというのは興味深い。それほどまでして、まっすぐな道を通したかったということなのかもしれない。自然の地形に逆らって都市のデザインをするというのは、平安京にも似たところがある。

ところで、「段葛」の「葛」の字であるが、JIS漢字としては、古い字体を作って表示していた。「ヒ」の方である。

鎌倉幕府がどのあたりにあったのか、「西御門」「東御門」の地名にその痕跡を見ることができるらしい。これはこれでいいとして、鎌倉幕府跡というような形で遺跡が残っていない、あるいは、古地図でも確認できないということなのだろうか。であるとするならば、むしろこのことの方が私には興味深い。何故、残っていないのだろうか。

永福寺が、平等院鳳凰堂にならったものである、ということは確かにそのとおりなのだろう。鎌倉時代にあって、京都の文化が浸透していたことを示すものになる。いや、一般に言われるように、鎌倉時代になって、武士の時代になったということではないはずである。文化的な面では、京都の公家、寺社などがその中心であったと考えるべきであろう。(たとえば、『徒然草』など読んでみても、明らかに京の文化を強く意識している。)

鎌倉の街作りと頼朝ということだったのだが、はたして鎌倉の街には、武士以外の人びとはどのように生活していたのだろうか。また、生活物資や食材などはどう流通していたのだろうか。

2024年2月4日記

ウチのどうぶつえん「要チェックや!ホッキョクグマ」2024-02-06

2024年2月6日 當山日出夫

ウチのどうぶつえん 要チェックや!ホッキョクグマ

ホッキョクグマとハイエナの話し。

動物園で飼育している動物の健康管理もいろいろと工夫がある。ホッキョクグマの体重を量るのに、オーダーメイドで体重計を設置する。しかし、からだが大きくなりすぎたのではみ出してしまう。年月がたって、改めて新しい体重計を設置する。これなら始めから、もっと大きなのを作っておけばよかったのにと思ってしまうのだが、どんなもんだろうか。

ホッキョクグマが秋になるを食欲がなくなるというのは、興味深い。飼育下にあっても、自然界と同じに生きている。

白菜を食べるハイエナというのも珍しいかと思う。動物の体重管理には、動物園では様々に工夫をしていることが分かる。

飼育している動物の健康管理をきちんとして、高齢になっても無事に生活できるように配慮しているという動物園のとりくみが分かる。

2024年2月3日記