『光る君へ』「二人の才女」2024-02-12

2024年2月12日 當山日出夫

『光る君へ』第6回「二人の才女」

嘆きつつ一人寝る夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る

道綱の母の歌であるが、すでに『蜻蛉日記』は広く人びと……貴族層ということになるが……に読まれ、歌も知られていた、ということでいいのだろう。少なくともドラマではそのように作っている。ここは『蜻蛉日記』の受容史を詮索することはない。まあ、この時代、『蜻蛉日記』は「書物」として認識されたのだろうか、という気もする。どうだろうか。また、この時代は、本は写本である。わざわざ「写本」という必要はない。(ただ、宋との貿易で板本は入ってきている。)

猫がまた出てきた。この時代にあっては、高貴な人びとに愛好されるペットだったということになる。『源氏物語』では重要な役割をはたす。

平安の貴族にとって、白楽天の詩はもっとも馴染みのあるものであった。(まあ、このあたりのことは、私が勉強してきた分野のことになるのだが。)しかし、元稹(元微之)はどうだろうか。ちょっと微妙かなという気がする。

白楽天の詩が人口に膾炙したものであったことは、『枕草子』からも分かることである。白楽天の作品のなかでも、閑適詩といわれるジャンルのものである。

漢詩の会があって、そこに女性が陪席するということはあったのだろうか。基本的には、女性は漢字は読めない、というのがこの時代の通念であった、と私は思っているが、どうだったのだろうか。その時代にあって、漢詩文の素養があったのは、紫式部であり清少納言である、ということになる。

気になっていることがある。平安時代の貴族が漢詩文を作ったとき、それは訓読を前提としたものだったかどうか。そして、訓読する場合、どのように訓読するのか、訓読法まで作者自身が関与できたのだろうか。このことは、若いころから気になっていることである。

漢詩が七言絶句であるのは、妥当なことかと思う。平仄はあっているのだろうが、推敲のあとがまったくないのは不自然な気がする。(しかし、推敲のあとを残すとなると、制作のハードルはかなり上がる。)

この回で清少納言が登場してきた。ききょうという名前である。無論、これはフィクションである。まひろ同様、この時代の女性の名前は分からない。まあどうせでっちあげだからどうでもいいようなものかもしれないが、「ききょう」という言い方は、この時代にそんなに一般的ではなかったろうと思われる。もし「ききょう」という名前であったなら、その当時としてはかなりハイカラな(?)名前であったかもしれない。

紫式部と清少納言が、宮中に出仕する以前に、ドラマのように顔見知りであったということは、史実としては確認できないことになる。このあたりは、平安文学の才女、紫女と清女が出会うことがもしあったとしたら、ということでいいのだろう。

「清少納言」の読み方であるが、ナレーションの伊藤敏恵アナウンサーは、「清・少納言」と言っていた。これが正しい。

兼家が道長に婿になれと言っていたシーンがあった。これは招婿婚に従っていることになる。だが、ドラマのなかで、一族という場合、直系男子長子相続の家系ということがあるようだ。このところの整合性はどうなるのだろうかという気もする。

忯子が亡くなった。これは宮中においてなのだろうか。そうだとしたら、非常な忌みケガレということになるが。(どうでもいいことだが、「忯」の字を探すのに苦労した。ATOKの単漢字検索でどうにかなったが。)

病気になったとき、前回はインチキ坊主が出てきてのだが、高貴な人物が病気になれば、れっきとした僧侶が加持祈祷をするはずである。そのようなシーンはこれまで出てきていない。安倍晴明が呪詛をするのならば、まともな僧侶の加持祈祷があってもいいと思う。これまで、寺社というものがこのドラマで大きな存在として出てきていない。たぶん、葵祭はあるだろうし、斎宮なども登場するかもしれないのだが。

散楽の直秀は盗賊でもある。このあたりのシーンは、まるで雲霧仁左衛門である。

最後の紀行のところで、岩瀬文庫の『枕草子』が映っていた。三巻本である。(なお、『枕草子』の成立と諸本の関係はとてもややこしい。)

2024年2月11日記

ウチのどうぶつえん「アマミノクロウサギって・・・」2024-02-12

2024年2月12日 當山日出夫 

ウチのどうぶつえん アマミノクロウサギって・・・

アマミノクロウサギについては、前にも見たように思うが……しかし、まあ、これはいろいろと興味深い。ハブを駆除するために人為的に持ち込まれたマングースが、アマミノクロウサギにとって天敵となる。このマングースを減らした結果、アマミノクロウサギも数を回復することができた。これは、マングースにとっては、かなり迷惑な話である。すべて人間の都合である。

交通事故にあったり、ネコに襲われたりして、保護されるものが増えている。治療して野生にもどせればいいのだが、もどせない場合、飼育するしかない。そこで、動物園の仕事になる。

ここ数年、アマミノクロウサギの交通事故が増えていることが、今日の読売新聞のオンライン記事でも載っている。

動物園の役割として、このような取り組みがあることは、重要なことである。このようなことは、もっと知られていいことだと思う。

それから、動物の赤ちゃんは見ていてとにかく可愛い。あまり可愛いというようなことばはつかいたくないのだが、可愛いとしかいいようがない。

2024年2月10日記