映像の世紀バタフライエフェクト「CIA 世界を変えた秘密工作」2024-02-29

2024年2月29日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト CIA 世界を変えた秘密工作

最近のNHKにしては、珍しくアメリカに批判的な視点をつらぬいて制作した番組である。ときには、このような方針の番組があってもいいと思う。

あつかっていたのはCIA。これまで「映像の世紀」シリーズでは何度か登場してきているが、CIAだけを中心にしたことは無かったかと思う。

ハンガリー、イラン、チリにおける、親米、反共産主義的活動の裏側にCIAの暗躍があったとしている。これは今の歴史観からするならば、特に否定することではない。

この番組のなかで意図的にであろうが、出てこなかったのが、ソ連のこと。これは、スターリン批判を東欧社会主義国に伝えたのがCIAということであった。だが、KGBのことはまったく言及がなかった。それよりも、時代の背景としての東西冷戦については、触れるとことがなかった。

CIAの活動を考えるとき、東西冷戦ということは絶対にはずすことはできないと思う。このあたりのことは、特に東西冷戦ということを言わなくても、当然のこととして視聴者の知識にあるものとして、ということなのかもしれない。

私は、CIAを擁護するつもりはないが、しかし、CIAだけが悪かったということではない、と思っている。世界の状況のなかで、その活動の否定的な部分もふくめて総合的に考えなければならないことになるだろう。

ところで、CIAの活動は、当然ながら日本にもおよんでいる。だが、日本のことはまったく出てこなかった。あるいは、日本におけるCIAの活動ということは、まだ表だって語ることのできないことなのかとも思う。

2024年2月27日記

「ローティ“偶然性・アイロニー・連帯” (4)共感によって「われわれ」を拡張せよ!」2024-02-29

2024年2月29日 當山日出夫

100分de名著 ローティ“偶然性・アイロニー・連帯” (4)共感によって「われわれ」を拡張せよ!

ローティ“偶然性・アイロニー・連帯” (4)共感によって「われわれ」を拡張せよ!

中島みゆきの歌に「Nobody Is Right」がある。この歌のことを思い出す。

『ロリータ』は読んだ。たしか学生のころに翻訳が文庫本で刊行になって話題になったのを憶えている。近年になって、新しい訳がでている。無論、「ロリータ・コンプレックス」ということばは、この小説に由来する。

他者への想像力、あるいは無関心であることの反省、自覚、このことを語るのに、『ロリータ』を出してくるのは、微妙かなという気もする。

今の時代の「正しさ」からすると、性の多様性を認めるという方向である。いわゆるLGBTの人びとの権利の主張である。その一方で、小児性愛については、絶対的な悪として糾弾し排除することになる。人間は自分の性的嗜好を自分では選ぶことができない。だから性的マイノリティの権利擁護になる。しかし、その性的嗜好には小児性愛はふくまれていない。つまり、今の社会の「正しさ」は、LGBTの人びとを含みながら、同時に、小児性愛者を「われわれ」から排除することになる。小児性愛者は、その性的嗜好を自分で選ぶことはできないからこそ、そうなのであることに想像力がおよんでいない。このことに配慮する必要はないのだろうか。(だからといって、いわゆる日本版DBSについて完全に反対ということではないのだが。)

『アンクル・トムの小屋』は、子どものころに読んだ。小学生向けの縮約版であったかと思う。今から半世紀以上も昔のことである。その後、この作品に対する評価は変わった。アメリカの黒人(と言っておくことにするが)の悲劇を描いた作品という位置づけであったものが、時代の変化とともに、黒人のおかれた状況を現状肯定するものである(かわいそうと思うだけでは何も変わらない)として、批判的にとりあつかわれるようになった。近年になって、光文社古典新訳文庫で新しい訳本が出ている。

100%の正しさを信奉するものは愚かである。特に日本の場合、その信奉する理念を海外からの輸入にたよっている。かつては、マルキシズムがそうであった。近年では、フェミニズムがそうである。私は、マルクスの考えたことに意味があると思うし、またフェミニズムの考え方に理解を持っていたいとは思う。しかし、それを絶対の正しさとしてふりかざす人びとを信用する気にはなれない。同時に、これはいわゆる右翼に対しても同じである。

ベルリンの壁の崩壊があっても、人間はあまり賢くなっていないと思うのである。

2024年2月27日記