ドキュメント20min.「待ち声」2024-02-22

2024年2月22日 當山日出夫

ドキュメント20min. 待ち声

私は、待つ、ということがそんなに嫌いではない。電車が確実に来ることが分かっているのなら、それまでの間、なんとなくすごす。それも悪くないと思うタイプである。これも、私が年を取ってきたせいもあるかなと思う。

スマホを持っていないので、待ち時間にそれを見るということもない。いや、むしろ、ちょっとした待ち時間でもスマホを見てしまうということは、私の好むところではない。

NHKの番組で好きなものの一つに、岩合光昭の世界ネコ歩き、がある。ネコが好きということもあるが(今、我が家には四匹のネコがいる)、ネコの撮影の背後にある待っている時間が想像されるということもある。ネコは気まぐれである。こちらの思うように動いてくれたり、じっとしていてくれたりするわけではない。ネコはネコの時間ですごしている。それに人間の方が合わせなければならない。ただ待っているだけである。このような時間の過ごし方があっていい。ネコが映っている時間の背景に、そのネコを待っている時間のことを想像してみることができる。こういう番組があってもいいと思っている。

ただ何もせずにすごす時間、これが今の時代にあってとても貴重なものに思えてくる。一番の贅沢だと思う。

2024年2月19日記

「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」2024-02-22

2024年2月22日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪

これは非常に見応えがあった。

マンハッタン計画については、これまでの「映像の世紀」でも何度もとりあげている。この回では、特に、オッペンハイマーを軸に描いていた。その他に登場していたのは、ハイゼンベルク、ローレンス、そして、仁科芳雄、などである。

原爆の開発については、たしかに賛否両論があると私は思う。日本の立場からすれば、否定的に考えることにはなる。しかし、その時代にあって、新たな兵器の開発が求められたことは確かだとはいえよう。(ただ、それを、実際に日本に対して使うかどうかは、別の問題である。)

もし、オッペンハイマーがいなかったとしても、いずれ誰かが作ったにちがいない。アメリカが作らなかったとしても、あるいは、ドイツが作っていたかもしれない。ソ連が作ったかもしれない。原爆開発の責任を、オッペンハイマーだけの問題にしてはいけない。その時代の流れのなかで、政治家の判断と科学者の判断のもとに、実現すべきものとしてあったと考えるべきではないだろうか。

余計なことではあるが、こういう番組を見て思うことがある。原爆の破壊力のすさまじさ、その被害の惨状を克明に伝えることは、それを使用することをためらうことになると同時に、これだけの威力のある兵器だからこそ、所有したい、それを戦争で使いたい、少なくとも、威嚇として必要である……この反対の論理を導くことになる。現に、世界には、核兵器の保有国があることは確かなことである。

さて、今の時代、科学と人間について考えるとき、まず思いうかぶのはAIのことである。また、生命科学のこと、特に、脳と遺伝子の研究がある。これらは、人間の人間たるゆえんを根本から問いなおすことになる。

技術的に可能なことは、とにかく実現してきたというのが、人間と科学の歴史であると言えようか。これから、二一世紀はどんな時代になることだろうか。

『励起-仁科芳雄と日本の現代物理学-』を読んでおこうと思う。

2024年2月20日記