「舟を編む ~私、辞書つくります~」(2)2024-02-28

2024年2月28日 當山日出夫

「舟を編む ~私、辞書つくります~」(2)

「右」もそうなのだが、「恋愛」ということばも辞書の語釈が問題になることが多い。しかし、このドラマの脚本は、なんでこう面倒なことばをとりあげるのかとも思ってしまうのだが……そのうち「動物園」とか「マンション」とか出てくるだろうか。

辞書、特に現代語を対象とする国語辞典に何を求めるかということになると、時代の状況によって変わってくることは確かなことである。この意味では「恋愛」ということばの語釈も時代とともに変化があってもいいとは思う。

だが、それはあくまでも冷静で客観的なことばの観察をもとにしてのことでなければならない。言いかえれば「恋愛」ということばをどう定義するかではなく、人びとがそのことばをどのような意味で使っているのか、ということである。

出てきたことで興味深いのは、新しく版をあらためた辞書で、前の版にあって消えることになったことば。一般に、新しく辞書が出たとき、収録語数とか、新しく採用になったことばとかが話題になることが多い。しかし、その一方で、無くなってしあったことばもある。むしろ、国語学、日本語学として意味があるのは、消えることになったことばかとも思う。無論、このことをここで書いているのは、『消えたことば辞典』のことが念頭にあってのことである。

ドラマの最後のシーンで、馬締は「配偶者」と言っていた。二〇一七年としては、このことばもありうる。「家内」「妻」あるいは「よめ」と言うことも可能だろう。他にもことばをえらぶことはできる。

近年になって使われることばの用法として、自分の配偶者のことを「よめ」ということがある。私が始めて耳にしたのは一〇年ほど前のことになるだろうか。以前なら、「よめ」は自分の子供の配偶者(女性)ということでつかっていた。この意味での使い方がすたれて、新しい用法が生まれてきたということかとも思うが、さて、これはこれから日本語のなかで定着するだろうか。

国語学、日本語学を勉強している学生がこのドラマを見てどのような感想をいだくか、きいてみたいものである。残念ながら、学校で教える仕事はもう終わりということにしてしまったのであるが。

2024年2月26日記

偉人の年収「ロケット開発者 糸川英夫」2024-02-28

2024年2月28日 當山日出夫

偉人の年収 How much? ロケット開発者 糸川英夫

再放送である。最初の放送のとき見逃していたので録画しておいた。

小惑星「イトカワ」の名前が、糸川秀夫に由来することは知っていたが、それがどんな人かはほとんど知らなかった。東京大学でロケットの開発をしていたことぐらいである。

私が子どものころ、テレビのニュースで、日本のロケット実験のことを何度か見た記憶がある。今から思えば、その陣頭指揮をとっていたのが糸川英夫ということになる。

しかし、日本初の人工衛星打ち上げのときのことは憶えていない。大きなニュースになったとは思うのだが。

糸川英夫が、東大を出て中島飛行機に就職し、隼の開発にたずさわっていたことは、この番組で知った。私の年代の人間なら、陸軍の戦闘機であった隼の名前は知っている。

脳波の研究をしていたことは意外であった。しかし、波形として表現出来るものなら共通点があるはず、という発想はすごいと思う。

それから、内之浦のロケット発射場の建設に、地元の人たちが協力していたということは、これはいい話しだと思う。

科学の研究、技術の開発には、個人の研究者の才能だけではどうしようもないことがある。研究資金をどこから調達してくるのか、そのマネージャーとしての手腕が必要になる場面もある。今の日本は、どうもこのあたり、非常にケチになっているという印象がある。糸川英夫のすごいところは、研究開発のプロジェクトを推進する、言ってみれば純然たる研究以外のところでの手腕があったということになるだろうか。

六〇を過ぎてからバレーを始めるというのも驚きである。だが、健康のためと、また、勝敗のない趣味の世界というのは、発想の柔軟性を保つためにいいことかと思う。

ところで、晩年の糸川英夫は、多くの著書を書いているのだが、手にした記憶がない。読んだことはないと思う。いったいどんなことを書いていたのか、興味がある。

2024年2月26日記