ドキュメント72時間「新宿 24時間営業のドラッグストア」2024-02-20

2024年2月20日 當山日出夫

ドキュメント72時間 新宿 24時間営業のドラッグストア

この前、新宿に行ったのはいつのことになるだろうか。もう憶えていない。若いとき、学生のころは、時々行く街だった。そのころの思いでとして記憶に残っていることとしては、大学生になって知り合った同じ慶應の学生、東京育ちなのだがこれまで新宿には行ったことがないという。話しを聞いてみれば、東京でも下町の生まれ育ちだった。百貨店とか映画とか、特に新宿にまで行かなくても、下町で十分に間に合う。話しを聞いたときは驚いたが、しかし、そんなものかなと思ったことでもある。まあ、とにかく東京の街は大きすぎるのである。

番組の舞台は新宿のドラッグストアである。新宿という街は、今の日本の縮図という感じがする。いろんな人のいろんな人生が交錯する。

TikTokをやっているという男性。リアクションが増えるのが楽しみであるという。確かにSNSの弊害はいろいろと言われているのだが、それが生きる楽しみであるという人もいる。一概にマイナス面だけをとりあげるのもどうかという気がしないでもない。

塾の黒板ふきをアルバイトにしているという。今時、黒板とは時代遅れと思うかもしれない。だが、教育の場においては、依然として黒板とチョークという手段が、最も有効だと感じることが多い。いや多かった。(今では、もう教える仕事はやめにしてしまったので。)学生の反応を見ながら黒板に字を書いていくという方法は、これからも十分に価値のあるものでありつづけるにちがいない。たぶん、そのアルバイトも続くことになるだろう。

総じて感じることなのだが、みんな自分らしい生き方をしたい、自分らしくありたい、ということを求めている。今の時代、人間の自由意志と自己決定が至上の価値を持っている。特に、東京の新宿という街は、それを人に強く要求するところがあるようだ。それはそうなのだが、人はときとして、自分らしくあることを追求することを止めたくなるときがある。そのようなとき、この前の放送であった、琵琶湖畔のベンチに座って湖を眺める、そのような時間が必要なのかもしれない。

2024年2月17日記

こころの時代「カムイエロキ 神々が鎮座するところ」2024-02-20

2024年2月20日 當山日出夫

こころの時代 カムイエロキ 神々が鎮座するところ

こういう番組を「こころの時代」で放送するというのも、今の時代ということかなと思う。アイヌの人びとの生活感情に分け入っている。

アイヌの人びとが、日本列島において、いわゆる先住民族であるということは、一般に認められていることである。日本が古代の統一国家となるころ、あるいは、それ以前、アイヌの人びとが東北から北海道にいたし、また、沖縄はまた独自の存在であったろう。(現代の「日本」の範囲が決まるのは、明治になってから、あるいは、太平洋戦争後のことになる。)

私が知りたいと思い興味があるのは、第一に、今の日本で生活しているアイヌの人びとが、どんな暮らし方をしていて、どんな思いで生きているのか、ということである。この最も普通の人びととしての生活がどんななのか、ここのところが、一番分かりにくいところかとも感じている。

三〇年ほど途絶えていた、カムイエロキの祭り、あるいは、神事と言ってもいいのだろうか。アイヌの人びとが古くから伝えてきた神々を祀る行事である。

それが一端途絶えることになったのも、そこの地に暮らすアイヌの人びとの思いを反映してのことであることを、まず理解しておく必要があると思う。もう途絶えてしまってもいいという気持ちを抱いた人びとがいたことは、確かなことである。

その一方で、それを復活させたいと思う人びともいる。北海道の地でアイヌとして生きていくことになる人びとの気持ちは、複雑なものがあるのだろう。普通に会社などで働いていて、そして、アイヌであるということは、どういうことなのだろうとは思ってみる。

アイヌの祭りをおこなう人びとの、宗教とか世界観というのは、どうなのだろうと、ここは素朴に思うところがある。アイヌの祭りを執り行うからといって、かつてのような、民族の心性を保ち続けていることができるのだろうか。

しかし、民族の心性(という言い方しかできないのだが)は、儀式の形式を受け継ぐことによってしか、継承できないものであるのかとも考える。宗教というものは、人びとの生活と心のなかにあってこそ意味があるものだと思っている。決して博物館や文献資料のなかにあるものではない。その人びとのコミュニティと日常生活を守ることが、何より重要である。

それから、梅原猛のことばが紹介されていたが、私は、これは余計だったと感じる。アイヌの人びとに、古代の日本の姿を見出そうとする姿勢については、賛否両論あるかもしれない。あるいは、アイヌについて触れるならば、ほかに沖縄であるとか、また、日本の各地に残る民俗について、総合的に考える方向であるべきではないだろうか。おそらく、多様な要素が複合して日本の文化はなりたっていると私は思っている。

これからの時代、日本に暮らす人びとの多様性の尊重ということになるだろう。そのなかには、近代になってからの朝鮮系の人びともいれば、現代における新たな外国からの人びと、その多くは労働者としてやってきて暮らしている。これらを尊重するということは必要である。ただ、一般の社会のルールを乱さないようにという制限はある。そして、同時に重要なことは、そのルール、規範意識は、私たちのみんなの総意によって形成されるものであることも、同時に考えておかねばならないと思う。

2024年2月13日記