よみがえる新日本紀行「掘り割りのまち-佐賀市-」2025-05-24

2025年5月24日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「掘り割りのまち-佐賀市-」

再放送である。2021年の放送。オリジナルは、昭和49年(1974)である。

昭和49年というと、私が、高校を終えて大学生になるころのことである。

始まってすぐの場面で、掘り割りで釜を洗う女性の姿が映っていた。この時代、おそらく、家庭の台所で実際にご飯を炊くときにつかっていたのだろう。昭和30年代以降になって、電気の炊飯器が普及するまで、日本のほとんど大部分の地域では、かまどで薪でご飯を炊いていた。都市ガスなどがあっただろうが、それは、ごく一部のことであった。電気の炊飯器の発明、実用化は、日本の家庭の台所のあり方を大きく変える革命的な出来事だったと思っている。

地域の共同体があり、町内会の組織があって、掘り割りの掃除がおこなわれていた。掘り割りの清掃は、今でも継続していることのようだが、それをささえる地域に住む人たちのあり方は、随分と変わっただろうと思う。今では、地方の前近代性、封建制の代表のようにあつかわれるのが町内会である。

農業用水の水利をめぐっては、これは今はどうなっているだろうか。川の流れの中に石をおいて、流れを分岐させる。このやり方で、昔からやってきたことになる。近代的な農業ということを考えるならば、農業用水の利用について、より合理的なシステムを行政としておこなうべきことになるだろうが、古くからの地域の習慣は、そう簡単には変えられない。

飲み水があって、また、農業用水があって、地域の人びとの生活がなりたっていたことは確かなことだろうが、日本全国で、飲み水、農業用水についての、総合的な歴史地理からの研究は、どれぐらいなされているのだろうか。江戸時代、江戸の街では、水が売られていたと記憶しているのだが、どれぐらいの規模のビジネスで、どれぐらの人びとが利用していたのだろうか。水売りが姿を消したのは、いつごろのことになるのだろうか。水の日本史、水の文化史、水の社会史、といような本があるべきだと思うのだが、検索してもあまりはかばかしくない。

初代藩主に殉死した家臣たちの子孫が生きのこっていて、今にいたるまで集まりをもっているというのは、おどろいた。これは、今ではどうなっているのだろうか。

2025年5月22日記

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