「心おどるあの人の本棚 (7)牟田都子(校正者)」 ― 2025-05-24
2025年5月24日 當山日出夫
心おどるあの人の本棚 (7)牟田都子(校正者)
番組の始めに出てきた、『文字盤の記憶』は気になっている本なのだが、普通に売っている本ではない。さあ、どうしようかな、というところである。10年前の私だったら、何としても手に入れておきたいと思った。だが、もう、リタイアを決めて、読む本は基本的にKindle版ということにしたので、どうしようかというところである。
校正という仕事をするのに、辞書は必須だろうが、『日本国語大辞典』はなかった。かわりにパソコンの画面に映っていたのは、ジャパンナレッジだった。これは、私は、個人でアカウントを持っている。おそらく、国語学、日本語学の研究者で、『日本国語大辞典』(初版、第二版)を持っていない人はいないと思うが、実際にみんなが使っているのは、ジャパンナレッジ版だろう。今、第二版は書斎にあるが、初版は書庫である。(厳密には、『日本国語大辞典』も刷によって、微妙にちがっている。これが、デジタルが主体になると、辞書史の研究もむずかしいことになるかもしれない。)
漢和辞典で映っていたのは、『新版 新字源』だった。現代では、もっとも標準的な漢和辞典といっていいはずだが、ただ、漢字の字体の厳密な確認のためには、紙の辞書によることになる。『大漢和辞典』もデジタル版があるが、これを信用していいかどうかは、漢字についての専門的な立場からは、どうかなと思うところである。
新潮の国語辞典は、いい辞書である。一般的にはあまり知名度のない辞書であるが、この辞書を評価するのは、ことばについての専門家である。
幸田文は、いくつか読んだことはある作家だが、全集を買っておきたいとは思わなかった。今から思えば、買っておいてもよかったかとも思う。「幸田露伴全集」は学生のときに買って持っている。これも書庫のなかである。
絵文字と顔文字は、言語研究の立場から言っても、ちがう。現在、スマホなどでのコミュニケーションで多用されるようになっている絵文字は、文字研究の立場からは非常に興味深いものなのだが、しかし、研究は非常に困難でもある。ある絵文字があっても、どの形、デザイン、色が、その絵文字のものであるか、それを特定することが必要になるのだが、これがむずかしい。
顔文字、昔、パソコン通信の時代に使われた、:ー) などである。今、ATOKでは、「かおもじ」からの変換で、いくつかが出てくる。これも今ではほとんど使わなくなったものである。これについても、文字研究としてあつかおうにも、その資料となる、文書データが残っていない。現代、こんな字をつかったりすると、老人と思われるだろう。日本語研究では老人語ということばをつかうことがあるが、老人文字とでもいうことになるだろうか。
2025年5月22日記
心おどるあの人の本棚 (7)牟田都子(校正者)
番組の始めに出てきた、『文字盤の記憶』は気になっている本なのだが、普通に売っている本ではない。さあ、どうしようかな、というところである。10年前の私だったら、何としても手に入れておきたいと思った。だが、もう、リタイアを決めて、読む本は基本的にKindle版ということにしたので、どうしようかというところである。
校正という仕事をするのに、辞書は必須だろうが、『日本国語大辞典』はなかった。かわりにパソコンの画面に映っていたのは、ジャパンナレッジだった。これは、私は、個人でアカウントを持っている。おそらく、国語学、日本語学の研究者で、『日本国語大辞典』(初版、第二版)を持っていない人はいないと思うが、実際にみんなが使っているのは、ジャパンナレッジ版だろう。今、第二版は書斎にあるが、初版は書庫である。(厳密には、『日本国語大辞典』も刷によって、微妙にちがっている。これが、デジタルが主体になると、辞書史の研究もむずかしいことになるかもしれない。)
漢和辞典で映っていたのは、『新版 新字源』だった。現代では、もっとも標準的な漢和辞典といっていいはずだが、ただ、漢字の字体の厳密な確認のためには、紙の辞書によることになる。『大漢和辞典』もデジタル版があるが、これを信用していいかどうかは、漢字についての専門的な立場からは、どうかなと思うところである。
新潮の国語辞典は、いい辞書である。一般的にはあまり知名度のない辞書であるが、この辞書を評価するのは、ことばについての専門家である。
幸田文は、いくつか読んだことはある作家だが、全集を買っておきたいとは思わなかった。今から思えば、買っておいてもよかったかとも思う。「幸田露伴全集」は学生のときに買って持っている。これも書庫のなかである。
絵文字と顔文字は、言語研究の立場から言っても、ちがう。現在、スマホなどでのコミュニケーションで多用されるようになっている絵文字は、文字研究の立場からは非常に興味深いものなのだが、しかし、研究は非常に困難でもある。ある絵文字があっても、どの形、デザイン、色が、その絵文字のものであるか、それを特定することが必要になるのだが、これがむずかしい。
顔文字、昔、パソコン通信の時代に使われた、:ー) などである。今、ATOKでは、「かおもじ」からの変換で、いくつかが出てくる。これも今ではほとんど使わなくなったものである。これについても、文字研究としてあつかおうにも、その資料となる、文書データが残っていない。現代、こんな字をつかったりすると、老人と思われるだろう。日本語研究では老人語ということばをつかうことがあるが、老人文字とでもいうことになるだろうか。
2025年5月22日記
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