新日本風土記「秋田 おいしい横手盆地」2025-12-20

2025年12月20日 當山日出夫

新日本風土記 「秋田 おいしい横手盆地」

この番組が特にそうだということはないのだが、見ていると、人口減少問題をかかえる地方の都市や村落について、可能なかぎり、そのイメージを払拭したがっている……このように作っているということは、理解できる。逆にいえば、そうしなければならないほど、場合によっては、この地方の将来への展望はあぶないということなのかもしれない。70歳、80歳をこえても、男盛り、と言われてもなあ、と思う。

登場していた人たちは、昔からこの地域に住んでいる人であったり、いったん都会に出たものの、事情があって……その理由としては、よりやりがいのある仕事がしたいということであるが……この地域で仕事をしている、という人たちばかりである。これが悪いことだとは思わないけれど、その一方で、地方での生活を嫌って都市部に出て行く若者が多い、ということもまた事実だろう。暗黙の前提として、そういうことはあるけれど、そう思って(いや、そう思わずに)見てくださいということなのか、でなければ、意図的な欺瞞であるのか、さあどんなだろうかと思うところでもある。

ただ、映像としてはいい。特に盆踊りは、とても魅力的である。なぜ、顔を隠して踊ることになったのか、そのいわれがあるはずだが、どうなのだろうか。史実はどうであるかということも大事だが、伝承としてどう言われているかということも重要である。

道祖神を今でも作っているというのは、とても興味深い。それも、村落ごとに、いろんな作り方やデザインがあるようだ。こういう民俗行事は、古くからの形をたもちつつも、その時代の変化に合わせて変わっていくものでもある。こういうものは、作り続けないと残らないものである。そして、それを作る人たちの生活が続いていくことが、必要である。

道祖神もそうだが、村落と外部との境界に何かを祀るというのは、よく見られる光景である。それを、その村落の閉鎖性という面で見るかどうかは、世の中全体の価値観によることになるだろうが。(人びとの生活として、村落に定住してばかりではなく、移動する人びとも多くいたということも、忘れてはならないことである。)

道祖神や、精霊流しの船など、ワラで作ってある。今の米作だと、ワラが残らない。特に、この地方のように、圃場整備されて四角い大きな田圃がひろがっているような地域であれば、田植えや稲刈りは機械によるはずだが、それだと、稲ワラが残らない。おそらく、ワラを残すために、特別に手で稲を刈ることをしているはずだと思うのだが、それが、どういうふうになっているのかということなど、私としては知りたい、また、今の時代の記録として残しておくべきことだと思える。

興味深かったのは、クジラを食べる習慣があること。どこで捕ったクジラなのだろうか。いつごろから始まったことなのだろうか。今の日本で、日常生活でクジラを食べることは無くなってしまった。沿岸捕鯨でさえも、国際的にギリギリの許容範囲で行っている。

食べ物は美味しいし、釣りもできるし……ということで、魅力いっぱいの横手盆地ということにはなっているが、冬になるとたくさん雪が降るし(横手といえばカマクラである)、クマも出てくるし、ということもあるはずだと思う。意地の悪い見方であるかもしれないが。

竹久夢二は、いろんな逸話を残していると思うのだが、今の時代だったら、キャンセルカルチャーでメチャクチャ批判されるにちがいない。

なお、横手には、マンガの原画を保存しているミュージアムがある。これは他の番組でも紹介されているので、パスしたということでいいだろうか。マンガは食べられるものでもないし。

2025年12月12日記

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