おとなのEテレタイムマシン「土曜美の朝 現代の“用の美”を求めて デザイナー 柳 宗理」2026-02-28

2026年2月28日 當山日出夫

おとなのEテレタイムマシン「土曜美の朝 現代の“用の美”を求めて デザイナー 柳 宗理」

我が家にも、柳宗理のデザインになるものがあるのかもしれないと思う。いい日常品のデザインとは、それが誰がデザインしたか、名前が残らないものであっていい……これは、おそらく、父親ゆずりの考え方なのかとも思える。しかし、民藝が手仕事を基本として工業生産を否定していたのとは違い、柳宗理のデザインは、近代的な工場での生産ラインがあって、近代の生活の中でつかわれることを、意図している。

古びることのない、いいデザインということは、現代において重要であろう。自動車のデザインを例にして、新しい自動車が出たら古びてしまうことを前提にデザインすることを、否定的に見ている。古いからいいということではなく、いいものは古びることがない、と考えるべきだろう。

工場で作る製品だが、それは紙に描いて創るものではない。手作業で、その形を創っていく。材質や手触りという総合的なことを考えると、頭の中のアイデアを、紙に描いただけでは不十分ということになる。

これも、今なら、コンピュータを使って、3Dの設計図を作って、3Dプリンタで形を出力して見る……ということが可能なのだが、しかし、自分自身の手を使って形をたしかめながら創っていくということが、大事なのだろうと感じるところである。

白い(何の模様もない)コーヒーカップなどは、現代ではごく普通のものになっている。しかし、柳宗理が、白いコーヒーカップを作ったとき、百貨店では、未完成品としてうけつけなかった。陶磁器が日常の食事に用いられるようになったことで、人びとの生活の感覚がどう変わってきたかということについては、柳田国男が書いている。その陶磁器が、白いものが使われるようになって普及したのは、ここ半世紀ほどのことになるだろうか。(昔、大学生になった時、目黒の下宿の近所にあった瀬戸物屋さんで、白いコーヒーカップを買ったを憶えている。安物ではあったが。)

2026年2月26日記

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