『帰郷』浅田次郎 ― 2017-03-08
2017-03-08 當山日出夫
浅田次郎.『帰郷』.集英社.2016
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-771664-1&mode=1
浅田次郎の短編集である。どの作品も、なにがしかの意味で、戦争(太平洋戦争、大東亜戦争)に関係している。その登場人物の多くは、兵士、元兵士である。あるいは、自衛隊。
買ったまま積んであったのだが、大佛次郎賞を受賞したということなので読んでみた。
大佛次郎賞
http://www.asahi.com/shimbun/award/osaragi/
読んで、一番気にいったのは、タイトルにもなっている作品『帰郷』。本書の冒頭におかれている。
ストーリー、登場人物は、いたって単純。戦後の荒廃した街の風景。そこで必然的にうまれてきた、女……街娼……。そこにとおりかかる、復員兵。彼がものがたる体験談。戦争のはじまるまで、戦争になってから、戦地に行ってから。帰ってから。男は、故郷に、妻子をのこして出征した。それから、病弱だった弟も。彼の所属していた部隊は玉砕したと伝えられていた。その彼が故郷にかえってみると……いかにも、ありきたりの題材ばかりである。ありふれた話しである。
だが、そのありふれた話しが、浅田次郎の語りの手にかかると、ものの見事に一つの物語へと変貌する。その語り口のうまさは、随一といってよいだろう。この小説は、その語りだけで、読者を魅了してやまない。読後には、ある種の文学的感銘が残る。
浅田次郎の文学作品を特徴付けるもの、それは、登場人物の愚直さと、物語の幻想性である、このようなことについては、すでに書いたことがある。
やまもも書斎記 2016年12月6日
浅田次郎『見上げれば星は天に満ちて』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/16/8276227
この短編集も、このような特徴をもった作品が多く収録されている。戦争、自衛隊、というものにふれながら、時に幻想的に、時にその組織のなかで愚直に生きていくことになる人間を哀惜の念をこめて描く。
ただ、余計なことを書いてみれば、浅田次郎が戦争、軍人、兵士を描くとき、それは、基本的に下士官、兵卒についてである。士官がメインに登場することは、あまりない。登場人物の行動としても、徴兵されてから、幹部候補生になるという道は選んでいない。あくまでも、下士官として、兵隊としての生き方を選択している。このあたり、浅田次郎の、軍隊、兵士についての考え方がうかがえるかと思う。
それから、この短編集のなかの作品では、『不寝番』。この作品では、太平洋戦争の時の軍隊(陸軍)と、現在の自衛隊とが、幻想のなかで融合している。兵士の立場にたってみて、旧軍隊と、自衛隊とを、連続するものとしてイメージする。
浅田次郎が、戦争、軍人・兵士を語るときの視点のおきかたは、上記の二つのところに特徴を見いだせるといってよいであろう。確認するならば……兵士の視点にたって、戦前の軍隊と戦後の自衛隊を連続するものとして見る。これは、著者(浅田次郎)の経歴……自衛隊体験……ということと無関係ではないはずである。現代文学研究、評論において、浅田次郎がどのように扱われているか、門外漢である私には、知るよしもない。だが、ここで述べたような点は、その文学を特徴付けるものとして、注目すべきことがらであると思う次第である。
そして、さらに余計なことを書いてみるならば、浅田次郎は、三島由紀夫を嫌っているようである。いや、すくなくとも、その文学においては、かなり意識していることは、見てとれる。たとえば、初期の代表作、『きんぴか』の「軍曹」の描写などは、三島事件をふまえている。また、『勇気凜凜ルリの色』に所収のエッセイにおいても、三島由紀夫への言及があったかと記憶する。
そして、また、その三島由紀夫も、「兵士」にあこがれを持っていた。
やまもも書斎記 2017年3月5日
『「兵士」になれなかった三島由紀夫』杉山隆男
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/05/8391460
その「兵士」にあこがれるが、ついになることはできなかった三島と、現実に自衛隊員「兵士」であった経歴をもつ浅田次郎と、現代文学のなかで、この二人の作家の、「軍隊」「兵士」というものへの意識を、比較・検討してみることは、面白い研究を生むことになるのかもしれない。(私が知らないだけで、すでにあるのかもしれないが。)
浅田次郎.『帰郷』.集英社.2016
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-771664-1&mode=1
浅田次郎の短編集である。どの作品も、なにがしかの意味で、戦争(太平洋戦争、大東亜戦争)に関係している。その登場人物の多くは、兵士、元兵士である。あるいは、自衛隊。
買ったまま積んであったのだが、大佛次郎賞を受賞したということなので読んでみた。
大佛次郎賞
http://www.asahi.com/shimbun/award/osaragi/
読んで、一番気にいったのは、タイトルにもなっている作品『帰郷』。本書の冒頭におかれている。
ストーリー、登場人物は、いたって単純。戦後の荒廃した街の風景。そこで必然的にうまれてきた、女……街娼……。そこにとおりかかる、復員兵。彼がものがたる体験談。戦争のはじまるまで、戦争になってから、戦地に行ってから。帰ってから。男は、故郷に、妻子をのこして出征した。それから、病弱だった弟も。彼の所属していた部隊は玉砕したと伝えられていた。その彼が故郷にかえってみると……いかにも、ありきたりの題材ばかりである。ありふれた話しである。
だが、そのありふれた話しが、浅田次郎の語りの手にかかると、ものの見事に一つの物語へと変貌する。その語り口のうまさは、随一といってよいだろう。この小説は、その語りだけで、読者を魅了してやまない。読後には、ある種の文学的感銘が残る。
浅田次郎の文学作品を特徴付けるもの、それは、登場人物の愚直さと、物語の幻想性である、このようなことについては、すでに書いたことがある。
やまもも書斎記 2016年12月6日
浅田次郎『見上げれば星は天に満ちて』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/16/8276227
この短編集も、このような特徴をもった作品が多く収録されている。戦争、自衛隊、というものにふれながら、時に幻想的に、時にその組織のなかで愚直に生きていくことになる人間を哀惜の念をこめて描く。
ただ、余計なことを書いてみれば、浅田次郎が戦争、軍人、兵士を描くとき、それは、基本的に下士官、兵卒についてである。士官がメインに登場することは、あまりない。登場人物の行動としても、徴兵されてから、幹部候補生になるという道は選んでいない。あくまでも、下士官として、兵隊としての生き方を選択している。このあたり、浅田次郎の、軍隊、兵士についての考え方がうかがえるかと思う。
それから、この短編集のなかの作品では、『不寝番』。この作品では、太平洋戦争の時の軍隊(陸軍)と、現在の自衛隊とが、幻想のなかで融合している。兵士の立場にたってみて、旧軍隊と、自衛隊とを、連続するものとしてイメージする。
浅田次郎が、戦争、軍人・兵士を語るときの視点のおきかたは、上記の二つのところに特徴を見いだせるといってよいであろう。確認するならば……兵士の視点にたって、戦前の軍隊と戦後の自衛隊を連続するものとして見る。これは、著者(浅田次郎)の経歴……自衛隊体験……ということと無関係ではないはずである。現代文学研究、評論において、浅田次郎がどのように扱われているか、門外漢である私には、知るよしもない。だが、ここで述べたような点は、その文学を特徴付けるものとして、注目すべきことがらであると思う次第である。
そして、さらに余計なことを書いてみるならば、浅田次郎は、三島由紀夫を嫌っているようである。いや、すくなくとも、その文学においては、かなり意識していることは、見てとれる。たとえば、初期の代表作、『きんぴか』の「軍曹」の描写などは、三島事件をふまえている。また、『勇気凜凜ルリの色』に所収のエッセイにおいても、三島由紀夫への言及があったかと記憶する。
そして、また、その三島由紀夫も、「兵士」にあこがれを持っていた。
やまもも書斎記 2017年3月5日
『「兵士」になれなかった三島由紀夫』杉山隆男
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/05/8391460
その「兵士」にあこがれるが、ついになることはできなかった三島と、現実に自衛隊員「兵士」であった経歴をもつ浅田次郎と、現代文学のなかで、この二人の作家の、「軍隊」「兵士」というものへの意識を、比較・検討してみることは、面白い研究を生むことになるのかもしれない。(私が知らないだけで、すでにあるのかもしれないが。)
最近のコメント