『誰がために鐘は鳴る』ヘミングウェイ2018-05-14

2018-05-14 當山日出夫(とうやまひでお)

誰がために鐘は鳴る(上)

ヘミングウェイ.高見浩(訳).『誰がために鐘は鳴る』(上・下)(新潮文庫).新潮社.2018
http://www.shinchosha.co.jp/book/210016/
http://www.shinchosha.co.jp/book/210017/

『日はまた昇る』『武器よさらば』については、昨年読んだ。思ったことなど書こうと思いながら、これらについては書かずにきている。

そのヘミングウェイの代表作である『誰がために鐘は鳴る』……こんど、新訳が出た。他の作品と同じく、高見浩訳である。今は、まだ読んでいる途中(下巻のなかば)なのであるが、それまでで思ったことなど書いておきたい。

読んで思うことはいろいろあるが、第一にあげておくべきことは、何故、アメリカ人の主人公が、スペインに出かけてまでその内戦にかかわるのか、何故、戦うのか、ということを説得力を持って描けるかどうか、ということであろう。あるいは、逆に、そこのところに共感して読めるかどうか、と言ってもよい。

読んでいくと、反ファシストという正義感一辺倒でもないようである。主人公が一緒に戦うことになる、ゲリラたちも、その人物像の背景は様々である。共和国に賛同するものもいれば、共産主義も出てくる。ジプシーは、政治的にはいったいどの立場になるのだろうか。このあたり、登場人物の背景が、種々の回想場面と錯綜しているので、今ひとつ理解しにくいところがある。だが、様々な背景を持った人間たちによる、ともかくも一つのまとまりとして、戦争に参加していることは読み取れる。

また、主人公(ジョーダン)の、戦闘への参加についても、複雑な背景、あるいは、煩悶とでもいうべきものがあるようである。アメリカの大学でスペイン語の教師をしていたらしいのだが、どうしてスペインの内戦にかかわるようになったのだろうか。

この作品、20世紀になってからのスペインの内戦を舞台にしている。このことは、文庫本の解説でかなり説明してあるので、ありがたい。昔、高校でならった世界史程度の知識しかない人間には、時代的背景の説明がないとさっぱりわからないところがある。

ところで、読みながら感じるのは、戦うことの意味とでもいうべきものである。戦いの自己目的化もあるようにも感じる、でありながら、それへの疑問もいだいている、主人公の心は一つにまとまっていない。いろいろに悩んでいる。このようなあたりが、『武器よさらば』に描かれたような厭戦気分とは、異なっているところである。『誰がために鐘は鳴る』では、厭戦感というよりも、戦闘における昂揚感と、逆に、空しさ、とでもいえようか。

そして、このようなところが、この作品が今日においても読まれるべき意義のあるところだろう。今日の世界において、戦争はなくなっていない。特に中近東において、泥沼の戦闘がつづいている。これを、日本にいて見る限りであるが、どの立場が正しくて、どちらが悪いと、そう簡単に割り切ることもできないようだ。複雑な歴史的経緯と、国際情勢のなかにあって、戦争の大義名分は何であるのか、混沌としている。

このような二十一世紀の今になって、この作品が読まれ続ける価値があるとするならば、正に戦争の大義をめぐる逡巡と葛藤の心情に共感できるところがあるからであろう。

追記 2018-05-18
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月18日
『誰がために鐘は鳴る』ヘミングウェイ(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/05/18/8853318

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