『スカーレット』あれこれ「炎を信じて」2020-02-09

2020-02-09 當山日出夫(とうやまひでお)

『スカーレット』第18週「炎を信じて」
https://www.nhk.or.jp/scarlet/story/index18_200203.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年2月2日
『スカーレット』あれこれ「涙のち晴れ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/02/02/9209362

このドラマは、女性陶芸家としての喜美子の活躍、奮闘、苦労といったものはあまり描かない方針のようだ。それよりも、一人の人間として、妻として、母として、どう家族と生きることになるのか、こういったところをじっくりと描くことになっている。

この週で描いていたこととしては、次の二点を思ってみる。

第一に、女性陶芸家としての成功。長期間にわたって火をたき続けることで、ようやくのことで喜美子は自分の思っていたとおりの色を出すことができた。

たぶん、普通のドラマの作り方であれば、このあたりのことをクライマックスにもってきて、もっとドラマチックに描くところだろうと思う。それを、このドラマでは、非常にあっさりとした描写であった。つまり、女性の陶芸家として名をなすということは、ドラマの筋の一つではあるのだが、本筋ではないと理解していいのだろう。

第二に、陶芸家として成功した喜美子のその後の日常。陶芸家としては成功したことになるのだが、しかし、その一方で、夫の八郎とはわかれることになってしまう。喜美子のもとには、子どもの武志が残る。

その武志との生活を描いたのが、この週の終わりであった。武志は、京都の美大をめざし陶芸家になるという。そこに、かつての夫であり、武志の父である八郎の助言があったようだ。八郎と武志は、おたがいに縁が切れることなく連絡をとりあっていた。父と子である。

しかし、喜美子とは、分かれたきりである。喜美子は、しみじみと思うことになる。大切なものをうしなってしまったのである、と。

以上の二点が、この週を見ていて思うことなどである。

得てして、朝ドラでは、「女性の……」ということで、その苦労話を描くことが多い。このドラマも、女性陶芸家の草別としての存在がないではない。だが、そのことよりも、一人の人間としてどのように生きていくことになるのか、このことの方を軸に描いていると感じる。これは、あるいは、朝ドラとしては、新しい流れの作り方ではないかと思って見ている。

これからの喜美子の生き方をどう描くことになるのか、次週以降を楽しみに見ることにしよう。

2020年2月8日記

追記 2020-02-16
この続きは、
やまもも書斎記 2020年2月16日
『スカーレット』あれこれ「春は出会いの季節」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/02/16/9214394