『太平記』岩波文庫(三) ― 2020-02-03
2020-02-03 當山日出夫(とうやまひでお)

兵藤裕己(校注).『太平記』(三)(岩波文庫).岩波書店.2015
https://www.iwanami.co.jp/book/b245754.html
続きである。
やまもも書斎記 2020年1月27日
『太平記』岩波文庫(二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/27/9206987
岩波文庫で三冊目まで読んだ。ここまで読んできて、ようやく「歴史」という感覚で読めるようになったかと思う。
『太平記』は、一般には、文学史的には、軍記物というジャンルになる。その叙述のほとんどの部分が、合戦場面である。その戦闘の様子であり、あるいは、戦場におけるかけひきであったり、裏切りであったり、逆に、忠節であったりする。
これも、あまり同じような記述がつづくと、途中で飽きてくる。が、この三冊目になって、楠木正成が死に、新田義貞が死に、さらには、後醍醐天皇の崩御が語られる。これらのできごとを追って読んでくると、この長大な物語が、ようやく「歴史」を語っているのであるといことが、感じ取れるようになってくる。
近世から近代にかけて、『太平記』は「歴史」を語った書物として受容されてきたということがある。だからこそ、近代的な歴史学の登場にあたって、『太平記』の「史料」としての側面が注目されることになる。史料的価値の有無が判断されるようになった。
だが、今日においては、「近代の歴史学」という学問自体が、まさに「歴史」の所産であることを認識することができよう。この意味において、『太平記』の語った「歴史」を、新たな視点から、再構築して見ることができるのかもしれない。
それから、この本を、ただ楽しみのために読んでいるとはいっても、どうしても国語学、日本語学的なことで気になるところがないではない。いくつかのことばについては、時折、辞書(ジャパンナレッジ、日本国語大辞典)を検索しながら読んだ。そのなかで、特に「機」ということばの意味、用法が、注目される。これは、『太平記』における「機」ということで、改めて調べてみれば、いろいろ面白いことが分かるかもしれないと思って読んだ。
また、『太平記』は、あきらかに『平家物語』を意識して書いてあることが分かる。『太平記』を読み終えたら、『平家物語』を、再々度、読みなおしておきたいと思う。
続けて、岩波文庫の第四冊目である。
2020年1月18日記
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