『清兵衛と瓢箪・網走まで』志賀直哉/新潮文庫2020-06-13

2020-06-13 當山日出夫(とうやまひでお)

清兵衛と瓢箪・網走まで

志賀直哉.『清兵衛と瓢箪・網走まで』(新潮文庫).新潮社.1968(2011.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/103004/

新潮文庫版で読んでいる日本近代文学。志賀直哉を読むことにした。新潮文庫では、この『清兵衛と瓢箪・網走まで』の他に『小僧の神様・城の崎にて』が短篇集としてある。長編としては、『和解』と『暗夜行路』が刊行である。

このうち『暗夜行路』については、以前に読んでいる。

やまもも書斎記 2017年2月17日
『暗夜行路』志賀直哉
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/17/8364763

短篇集の方は、年代順に編集されている。これは、年代順に読んでいくことにした。

『清兵衛と瓢箪・網走まで』を読んで思うことであるが……完璧な短編小説である、という印象をもつ。明治の終わりから大正にかけて、このようなすぐれた短編小説が書かれていたということに、認識をあらたにした。

収録されている作品のうち「清兵衛と瓢箪」は、若いときに読んだ記憶がある。教科書に載っていたのだろうか。いまとなっては記憶が確かではないが、ともかく若いときに読んで、面白い小説であるという感想をいだいたのを覚えている。

近代の小説史にはうといのだが、明治の夏目漱石あたりは、長編小説でいい作品を残した。それをうけて、短編小説という形式で、文学的感銘を与えるような作品が書かれるのは、まさに漱石の次の時代、世代になってからだろうかと思う。しかも、その短編小説が、現代の我々の目で読んで、十分に鑑賞にたえるものなのである。いや、このような言い方ではたりない。現代においてもなお、さらにその文学的価値が増していると言ってもいいだろう。

短編小説といっても、オチのあるような話しではない。短いなかに、文学的小宇宙を構築してみせるような作品である。小説というものを読む楽しさを堪能させてくれる作品ばかりと言っていいだろう。

そして、文章史のうえから見るならば、まさに近代的な小説の文体を確立している。いわゆる口語散文という種類の文章になるのだが、これもまさに完璧な文章と言ってよい。

2020年6月11日記

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