ヤマブキ2020-07-01

2020-07-01 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので花の写真。今日はヤマブキである。

前回は、
やまもも書斎記 2020年6月24日
カラスノエンドウ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/24/9260935

掲載の写真は、四月のうちに撮影しておいたものである。

三月の末から四月にかけて桜が咲く。四月のおわりごろになると藤の花が咲く。その間に、我が家の片隅でヤマブキの花が咲く。我が家のものは、八重咲きである。そんなに数多く花が咲くというのではないが、黄色い花は、この季節には目につく。

このヤマブキについては、毎年、写してきているかと思う。

今年は、タムロンの180ミリで撮ってみた。このレンズを買ってから、花を写すのにもっぱら使うようになってきている。AFは遅い。が、花を写すのにそんなに高速のAF機能は必要ない。これには満足してつかっている。

今年も例年のように花が咲いた。来年もまた同じようにこの花を写せたらと思う。

ヤマブキ

ヤマブキ

ヤマブキ

ヤマブキ

ヤマブキ

ヤマブキ

ヤマブキ

Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRO 1:1

2020年6月30日記

追記 2020-07-08
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月8日
公孫樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/08/9265885

『源氏物語』(2)若紫・末摘花・紅葉賀・花宴2020-07-02

2020-07-02 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(2)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(2)若紫・末摘花・紅葉賀・花宴.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362082

続きである。
やまもも書斎記 2020年6月29日
『源氏物語』(1)桐壺・帚木・空蝉・夕顔
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/29/9262795

第二冊目である。「若紫」から「花宴」までをおさめる。

このように小さく分冊になっているので読んでいるせいなもあるのだろうが、各巻の短篇としての面白さに気持ちがむくようになってきている。昔、学生のころに『源氏物語』を読んだときは……そのころは、岩波の日本古典文学大系で読んだ……光源氏の物語として、それを中心に読んだものである。これは、そのころ、大学で授業に出ていた池田彌三郎先生の影響もあってのことかとも思うが。

が、学生のころから何十年かすぎて、ただ楽しみのためだけにと思って、『源氏物語』を読んでいる。このような気持ちで読むと、各巻が、それぞれに独立した短篇として、非常に完成度の高いものであることが感じとれる。

「若紫」は、確かに光源氏と紫の上とのなれそめを描いた『源氏物語』のなかで重要な巻であるであり、そのようなことは分かって読むのだが、しかし、同時に、都をはなれた貴公子(光源氏)が、山里のなかで、幼い女の子(紫の上)をかいま見て、それを我が物にする……おそらく、『伊勢物語』の冒頭の段などをふまえて、このような筋立ての物語が、王朝貴族のうちで流布していたにちがいない。それを踏襲して、『源氏物語』という長大な物語のなかの一つとして、描き出したのは、実に見事という印象をもつ。

また、同じように、「末摘花」の話しなども、身分は高いが零落した姫君の物語が、先行するものとしてあったのだろう。それを、うまくつかって、光源氏の色好みの話しに仕立ててあるのも、見事という他はない。

ところで、去年(二〇一九)のことになるが、「若紫」の定家本が発見されたというのがニュースになった。いわゆる青表紙本である。どれだけ本文に違いがあるのか、気にならないではないが、おそらくは、これまで使用されてきている青表紙本系テキストとそう大きな違いはないのだろうと思っている。これが、若いころのことだったならば、テキストの系統をめぐって、源氏物語大成などひもときながら、いろいろ考えたところだったろう。が、今は、そのような気もおこらないでいる。ただ、余生の楽しみとして、『源氏物語』を読んでいっている。

「花宴」で、朧月夜が登場する。これが、続く、「須磨」「明石」への布石となっている。つづけて、読むことにしたい。

2020年6月12日記

追記 2020-07-03
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月3日
『源氏物語』(3)葵・賢木・花散里
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/03/9264230

『源氏物語』(3)葵・賢木・花散里2020-07-03

2020-07-03 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(3)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(3)葵・賢木・花散里.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362083

続きである。
やまもも書斎記
『源氏物語』(2)若紫・末摘花・紅葉賀・花宴
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/02/9263919

第三冊目である。「葵」「賢木」「花散里」をおさめる。

これまで何回か、『源氏物語』を読んできているのだが、この小学館版で読むと、また印象がちがってくるところがある。特に、「葵」の巻が印象深い。

なによりも、葵の上にとりついたもののけが不気味である。もののけというものが、人びとの生活のなかにリアルに存在した時代だからこそ書けたものだろう。また、このようなもののけの描写を見ると、『今昔物語集』などのことも思うことになる。

葵の上の死、ただ、それを描くのみではなく、それに続けて、二条院での紫の上と夫婦の関係になるところまでを描いている。このあたりの書き方を読んでいくと、まさに物語としての小説的な面白さというものを感じずにはおられない。また、随所にある、このテクストの校注者の評言も、読んでみると、いかにも現代の目で『源氏物語』を読んでいるという感じがつよい。

たしかに、『源氏物語』を読むのに、古注や宣長などにしたがって読むというのもありうる方針である。しかし、それらをふまえつつ、現代の我々の目で読んでみて、この作品の「文学」である所以をさぐっていくというのも、これはこれで一つの見識と思う。

「賢木」で、朧月夜の君との密会が露見して、その結果、光源氏は須磨から明石へと流謫の境遇に身をおくことになる。さて、次の冊で、「須磨」「明石」になる。ここは一気に読み進むことにしよう。

2020年6月16日記

追記 2020-07-07
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月7日
『源氏物語』(4)須磨・明石・澪標
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/07/9265584

オンライン授業あれこれ(その一一)2020-07-04

2020-07-04 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年6月27日
オンライン授業あれこれ(その一〇)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/06/27/9262025

さて、いろいろと困ったことが起こるものである。

ある学生から連絡があった。スマホが故障して、修理に時間がかかって、ようやくアクセスできるようになったが、どうしたらいいでしょうか……ということ。

もうすでに、レポートは二回実施して、締め切ってしまっている。レポートは四回の予定。ただ、レポートを出すだけなら、遅れてもいいようなものかもしれないが、ただ、今回は、レポートの講評として、書くべきポイント、採点のポイントなど、すでに学生に示している。これを見ることができる状況なので、同じ基準で評価ということはできない。

このような学生のこともあって、学校のPC教室を利用できるように、特別の配慮があったはずなのだが、その連絡を見ていなかったのだろうか。

スマホしかもっていなくて、たまたま、そのスマホが故障して……という事態は、学生の自己責任ということであつかっていいものか、どうか、このあたりは、いろいろ考えるところである。

また、オンラインのライブ授業(ZOOMとか、Webexとか)であった場合には、さらに困ったことになりかねない。一番、古風な形式かもしれないが、オンデマンドの教材配信という方式であるので、これなら、今からでも、頑張ればなんとかなる。残りの教材配信をちゃんと見て、レポートを提出してくれれば、なんとかできるかと思う。情状を考慮することも可能ではある。

それにしても、大学の事務から、大学のLMSを見るようにという連絡は行っているはずなのだが、見ていなかったのだろうか。このあたりをふくめて、通常の授業があった場合とは違った判断が必用になってくる。通常の授業があった場合なら、学期末の試験を受けて、レポートを提出してあれば、なんとかなる。出席は毎回確認することにしているが、評価にはふくめないという方針でいる。

スマホしか持っていないという学生のことは、配慮すべきことになるかと思う。大学生になれば、パソコンを持っていて当たり前、という前提は通用しないと思うべきだろう。

ともかく、あと二回のレポートをなんとか無事にのりきることにしよう。

2020年7月3日記

追記 2020-07-11
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月11日
オンライン授業あれこれ(その一二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/11/9266868

『エール』あれこれ「初めてのエール」(再放送)2020-07-05

2020-07-05 當山日出夫(とうやまひでお)

最初の放送のときのことは、
やまもも書斎記 2020年4月5日
『エール』あれこれ「初めてのエール」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/05/9231712

COVID-19の影響で、『エール』の収録がとまっている。そのため、放送休止期間中は、第一回からの再放送である。ただ、土曜日のまとめの回はなくて、連続で放送するようだ。

第1週の再放送を見て思ったことなど書いてみる。

第一には、東京オリンピック。

東京オリンピックの音楽を古関裕而が作ったことは知っていた。ここから、ドラマがスタートしていた。(いや、厳密には、もっとさかのぼって、一万年以上前からであるが。)

誰でもが耳にしたことのあるあの音楽の作曲家ということで、古関裕而とはどんな人生をたどったことになるのか、その妻(音)との物語を語り始めることになる第一回であった。

この東京オリンピックのとき、鉄男が藤堂先生の墓参りをするシーンがあった。これは、最初見たときには、見過ごしていたところであるが、ふりかえってみると、なるほど、やはり藤堂先生の役割は大きかったかと思う。

第二には、その藤堂先生のこと。

音楽教育にちからを入れている先生である。この藤堂先生との出会いがなければ、裕一は、音楽の道に進むことはなかったろう。

ひとよりほんの少し努力することがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること、それが得意なものである……このような意味のことを、藤堂先生は語っていた。これは、おそらく、歴代の朝ドラのなかで、印象に残る名シーンとして記憶されることになるのではなかろうか。

以上の二点が、再放送を見て思ったことなどである。

さらに書いておくならば、最初の週から、将来の友人になる、鉄男と久志が登場していた。このあたり、その後の展開を考えて、幼いときからの伏線ということになるのであろう。

放送が再開されるまで、再放送を見ていきたいと思う。

2020年7月4日記

追記 2020-07-10
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月10日
『エール』あれこれ「運命のかぐや姫」(再放送)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/10/9266503

『ルドルフとノラねこブッチー』斉藤洋2020-07-06

2020-07-06 當山日出夫(とうやまひでお)

ルドルフとノラねこブッチー

斉藤洋.『ルドルフとノラねこブッチー-ルドルフとイッパイアッテナⅤ-』.講談社.2020
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000325656

このシリーズは、最初の『ルドルフとイッパイアッテナ』から読んでいる。このブログにも、以前に書いたことがある。

やまもも書斎記 2016年6月19日
斉藤洋『ルドルフとイッパイアッテナ』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/19/8114891

その最新刊が出たので、さっそく買って読んでみることにした。シリーズの五冊目になる。

この巻の主な登場人物(猫)は、ブッチーである。金物屋に飼われていた猫だが、その主人がひっこしていなくなってしまったので、今は、野良猫ぐらしである。

野良猫といっても、ルドルフやイッパイアッテナが仲間にいる。食べるものに不自由することはない。イッパイアッテナの飼い主から、一緒にキャットフードをもらってすごしている。

そのブッチーがもと住んでいた家に、時々、もとの飼い主がやってきているらしい。では、野良猫になってしまったブッチーは、飼い主のもとにもどりたいのだろうか。ここのあたりの、ブッチーの気持ちを推し量って、ルドルフは、いろいろと悩むことになる。

結局、ルドルフとブッチー、それから、イッパイアッテナがそろっての大冒険ということになる。

このシリーズ、私は、現代の日本における最高の「教養小説」であると思っている。ここには、岐阜から東京にやってくることになった、黒猫ルドルフの成長の姿がある。それを導く存在であるのは、イッパイアッテナである。それから、ブッチー、さらには、デビルといった仲間たちがいる。これらの仲間のなかで、人間関係(?)をいかに構築していくかが、ルドルフの課題である。ルドルフは「教養」のある猫になろうと、はげむことになる。

ところで、この本の最後に出てきた必殺技は、いづなおとし(白土三平)……と言っていいような気がするが、これは、深読みだろうか。

2020年7月5日記

『源氏物語』(4)須磨・明石・澪標2020-07-07

2020-07-07 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(4)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(4)須磨・明石・澪標.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362084

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月3日
『源氏物語』(3)葵・賢木・花散里
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/03/9264230

第四冊目である。「須磨」「明石」「澪標」をおさめる。

「須磨源氏」などと言ったりもするが、とにかく読み進めてきている。いや、「須磨」「明石」の巻は、むしろ物語的には面白い巻と言っていいだろう。

ここまで読んで思うことであるが……今更ながら感じることだが、まさに、この「須磨」「明石」の巻は、貴種流離譚なのだな、ということである。(こんなことはとっくに源氏研究の分野では言われていることにちがいないが。)

貴種流離譚であり、そして、非常にドラマチックな展開である。京の都を退去して須磨にうつり、また、さらに明石にうつる光源氏、そこで出会う現地の女性(明石の君)。ただ、これも、単に流謫の身ということではなく、常に都に残してきた紫の上とは、通信をかわしている。須磨、明石での生活も、そんなに貧窮した生活というのでもない。むしろ、明石の入道の屋敷の見事さにおどろくほどである。

このあたり、明石の入道の造形は、受領層でありながらも、突出した財力の持ち主という設定と読んでおくべきなのかと思う。そうはいっても、その娘(明石の君)の出自としては、都の貴顕の女性にくらべると、どうしても見劣りするものになってしまう。

「澪標」の巻で印象的なのは、やはり、六条の御息所であろうか。その娘(斎宮)への思い、また、一方で光源氏への思い、複雑な思いが錯綜している。このあたりの心理の動きは、近現代の文学理解において興味のあるところでもある。

2020年6月18日記

追記 2020-07-09
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月9日
『源氏物語』(5)蓬生・関屋・絵合・松風・薄雲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266212

公孫樹2020-07-08

2020-07-08 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日なので写真の日。今日は花ではなく、公孫樹の葉である。

前回は、
やまもも書斎記 2020年7月1日
ヤマブキ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/01/9263626

掲載の写真は、先々月のうち、まだ新緑のころに写しておいたものである。

我が家に一本の公孫樹の木がある。この木に銀杏はならないのだが、秋になると黄色く色づく。公孫樹というと、秋に紅葉したところを思い浮かべるが、見ていると、新緑のころの公孫樹もまたきれいである。

写真に撮った日、たままま雨上がりだったので、その滴が見える。雨にぬれた新緑の公孫樹である。これも、季節ならではのものであろう。

秋になって紅葉のころになると、地面が落ちた葉で黄色くなる。そのころには、また、改めて写真を撮ってみたいと思っている。

公孫樹

公孫樹

公孫樹

公孫樹

公孫樹

Nikon D500
AF-P DX NIKKOR 70-300mm f/4.5-6.3G ED VR

2020年7月7日記

追記 2020-07-15
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月15日
ニシキギの花
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/15/9268247

『源氏物語』(5)蓬生・関屋・絵合・松風・薄雲2020-07-09

2020-07-09 當山日出夫(とうやまひでお)

源氏物語(5)

阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男(校注・訳).『源氏物語』(5)蓬生・関屋・絵合・松風・薄雲.小学館.1998
https://www.shogakukan.co.jp/books/09362085

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月7日
『源氏物語』(4)須磨・明石・澪標
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/07/9265584

第五冊目である。「蓬生」から「薄雲」をおさめる。

この冊に収められた巻を読んで思うことは、『源氏物語』における子どもの描写である。明石の君が、姫君を出産する。その女の子を、光源氏のわたすことになる。「松風」から「薄雲」の巻にかけて描かれる。

ここを読んで、幼い明石の姫君の様子がいかにも微笑ましい。また、紫の上のその子ども対する可愛がりようも、こころにとまる。このあたり、日本文学のなかで、子どもというものがどのように描かれてきたのかという観点から見るならば、特筆すべき箇所になるにちがいない。

それから、これは、文字や仮名について勉強していると常識的に知っておくべきことになるが、「絵合」の巻に出てくる、「草」(そう)。草仮名のことである。『源氏物語』の成立が、一一世紀のはじめごろとして、それより少し前の時代設定でこの物語が書かれている、としても、それは、仮名(平仮名)という文字の成立よりは後の時代のことになる。その時代設定において、いわば現代風の、当世風の仮名の書きぶりというものがあったのであり、またそれは、草仮名とも区別されるものであったことが、理解される。

2020年6月19日記

追記 2020-07-13
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月13日
『源氏物語』(6)朝顔・少女・玉鬘
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/13/9267588

『エール』あれこれ「運命のかぐや姫」(再放送)2020-07-10

2020-07-10 當山日出夫(とうやまひでお)

前回の第一週のときのことは、
やまもも書斎記 2020年7月5日
『エール』あれこれ「初めてのエール」(再放送)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/05/9264937

本放送のときのことは、
やまもも書斎記 2020年4月12日
『エール』あれこれ「運命のかぐや姫」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/12/9234473

これまで週に五回の放送だったものが、六回になっているので、毎週同じ曜日にということではなくなっている。

再放送を見て印象にのこるシーンをあげてみる。

第一に、ダンスのシーン。

関内の家のなかで、お父さんとお母さん、それに家族そろってダンスを踊るシーンがあった。家族の団欒をたくみに表現していたかと思う。

第二に、海辺のシーン。

お父さんがなくなって、お母さんと三人の娘が、海辺にやってくる。また、学芸が終わってからも、海辺でお父さんのことをしのんでいた。この海辺のシーンが、印象に残る。

以上の二つが、再放送を見て印象に残ったところである。

それから、いうまでもないが、最後の、学芸会での「朧月夜」の唱歌のシーンもよかった。このドラマでは、あまり学校唱歌というのが登場してきていないのだが、その中にあって、学校唱歌をうまく使ってあったと思う。音の歌声もよかった。

次回から、こんどは裕一のことに話しがもどる。ドラマの放送再開まで、再放送を楽しみに見ることにしよう。

2020年7月9日記

追記 2020-07-16
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月16日
『エール』あれこれ「いばらの道」(再放送)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/16/9268578