『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第16週」2022-02-20

2022年2月20日 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第16週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_16.html

前回は、
やまもも書斎 2022年2月13日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第15週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/13/9463636

この週で描いていたのは、映画村と撮影所。

ミス条映コンテストの結果は、ひなたは合格しなかった。これはなりゆき上、いたしかたないかと思う。でも、コンテスト会場で登場したのが、五十嵐でなかったとしても、はたしてひなたは合格しただろうか。が、コンテストをきっかけにして、伴虚無蔵の目にとまる。夏休み、ひなたは映画村でアルバイトをすることになる。

そこで目にするのは、時代劇撮影の現場であった。映画撮影の場面をドラマにとりこむというのは、以前の『おちょやん』でもあったことだが、『おちょやん』はまだ無声映画の時代だった。今回は、時代が現代にちかづいてテレビ時代劇になっている。

テレビ時代劇の撮影現場をドラマのなかで再現して見せるというのは、これはこれとして興味深い。ただ、一九八三年という時代を感じたのは、カメラが一六ミリであったことだろうか。(これが今ではデジタルのビデオカメラになっているはずである。)

ひなたは時代劇をこよなく愛している。これは人の好みと言ってしまえばそれまでであるが、しかし、時代の大きな流れとしては、時代劇は衰退の傾向の見えていた時代だろう。(今では、テレビ時代劇といえば、NHKが作るぐらいで、往年とくらべると見る影もない。)

その時代劇衰退の最たる理由のひとつは、マンネリ化したドラマ作りにあるのだろう。ひなたと五十嵐は言っていた……同じようなセットで、同じようなストーリーで、同じような結末で、それでも、それをこよなく愛する人がいる。が、このようなことこそ、時代劇衰退の一つの要因であることはたしかだろう。(強いて言うならば、時代劇はファンタジーの世界である。その設定の中で楽しむことはできても、シリアスに時代を描くことは難しい。)

時代劇が「現代」というものを描くことができなくなったとき、人びとはそれを見放すことなるのかとも思う。ある時期においては、時代劇はその「時代」を描いていた。たとえば『木枯し紋次郎』は、時代劇ではあるが、そこに描かれていたのは、その「時代」であった、今になってそう思える。

ともあれ、映画撮影、ドラマ撮影という現場を舞台にする、このこと自体は珍しいことではないと思うが、この『カムカムエヴリバディ』では、この舞台設定において、どのような人間ドラが展開されることになるだろうか。

次週、撮影所を舞台にしてさらに話しは進展するようだ。ひなたはどうすることになるのか。楽しみに見ることにしよう。

2022年2月19日記

追記 2022年2月27日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年2月27日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第17週」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/27/9467738