「貝印“特許包囲網”の地獄」2024-08-28

2024年8月28日 當山日出夫

神田伯山のこれがわが社の黒歴史 貝印“特許包囲網”の地獄

これも偶然なんだろうな、と思ったが。先日の「探検ファクトリー」で、貝印の爪切りをあつかっていた。このときは、今の四代目社長が出ていた。番組のなかで、貝印の爪切りは、特許をかなりとっている言っていた。

以前、「探検ファクトリー」と重なったといえば、国立印刷局の取材がある。このときは、「ザ・バックヤード」とほぼ同じ時期の放送だった。

私はひげそりは、ずっと電動のを使っている。昔は電池式だった。確か単二の電池を使ったはずである。学生のころは、月に一回ぐらいで電池交換していただろうか。(どうでもいいことだが、電池交換というと、私がクォーツの腕時計を使い始めたのは大学生になってからである。中学高校とゼンマイ式のを使っていた。それが故障したので、大学の生協にお店を出している時計屋さんでクォーツを買った。そのころのクォーツ腕時計は、電池の寿命が一年ぐらいだったので、毎年誕生日をめどに電池の交換をしていた。その時計屋の親父さんは、電池を交換するたびに、裏蓋にその日時を記入していた。一年たって行くと、また来ましたね、という感じだった。今も使っている鉄道時計も、そのころに買ったものである。これは、いまだに故障することなく動き続けている。)

要するに剃刀という刃物を使って髭を剃るということを自分ではやったことがない。床屋さんにいくと、やってくれるのだけれど。だから、替え刃式の剃刀の市場がどうなっているのか、まったく関心がない。

替え刃式剃刀でも、あんなに特許でがんじがらめになっているものなのか、と感心して見ていた。二枚刃から、三枚刃にするぐらい、そうたいしたことではないように素人目に思ってしまうのだが、これが、実はとても大変なことだったらしい。

日本の企業で特許で問題を起こしたというと、どうしてもミノルタのα7000を思ってしまう。世界初のオートフォーカス一眼レフとして、カメラの歴史に残る名機なのだが、肝心のオートフォーカスの技術で、アメリカの企業の特許に抵触した。

このころからだろうか、日本において特許のこと、知的財産権ということが、非常に重要な問題であると認識されるようになったのは。これからの物作りにおいても、伝統の職人技を継承するだけではだめで、それを知的財産に変えて保持していかなければならない。さて、日本の企業の知的財産における世界での地位というのは、どのようなものなのだろうか。

この番組、もっと続くといいと思っている。「プロジェクトX」より、こちらの方が絶対に面白い。そう思っている人は、少なからずいるはずである。

2024年8月26日記

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